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Accumu Vol.10

月下独酌~NEW YORK~

由起 邦人

ニューヨークに住んでいる。毎朝,タイマーセットしたバイオハザードのホワット・メイクス・アス・ティックで目覚めて,ベーグルかスコーンを齧りながら地下鉄に乗る。タイムズスクエアで乗り換えて,シックスアベニューと23ストリートの交差点にあるオフィスまで40分かかる。ディ・トレーディングのコンピュータファシリティのサポートをしている会社で,サラリーはそこそこ良い。日本で大学を卒業し,KCGのロチェスター工科大学(RIT)修士課程留学コースを経て,ロチェスターで一年を過ごしてから,僕は,この思い出深いNYに職を得た。アメリカの大学院では一度社会を経験してから入学するのが普通で,同じクラスには年上の同期が多数を占める。そういった人達は,短期間に可能な限り多くを吸収しようとして真面目に勉強していた。その中にいて僕ももちろん影響を受けた。今,NYで仕事をこなしていると,あの時に勉強をしていた勢いで仕事をしている自分を発見して,少しうれしくなる。20歳すぎの頃まではできなかったけれど,会社で働く経験を経てやっと,何かの作業に全力を尽くすということの意味を知った。全力を尽くすということは,自分が全体でひとつになって,それに集中するということだ。その基礎ができたのは,あの,修士課程の学生時代だったと思う。そのころに僕は,ひとつの別れを経験した。

アメリカでの人生の始点にいた僕は,それまで憧憬のあったNYに初めて来て,そのひとと会った。今こうやって毎日,NYの街を歩いていると,目前に展開する風景は,あの時,ふたりで見たはずの光景と明らかに違う。少しは大人になったせいもあるだろうし,僕にとってNYは,すでに現実の生活の場になったからだ。ただ,人いきれに満ちた地下鉄の匂いだけは,あの時と変わらない。そして,今も地下鉄に乗ると,通り過ぎた無数の記憶の中で,かならず蘇る断片がある。線路の継ぎ目を乗り越える音が時間を逆行させて,思い出のかけらが時々瞬くのだ。

その頃の僕は,日本を逃げ出してアメリカに行きさえすれば,なにか活路を見出せるに違いないと信じていた。バブル崩壊後の日本では,私立文系大学を出ても,就職などない。KCG経由でRITに留学し,修士号を得てコンピュータのエキスパートになれたら,異国でなにかをつかめるかもしれないと思っていた。そんな漠然とした夢とあいまいな意思が,当時の僕の頭の中に影のようにこびりついていたのだ。何かを捨てて別のものを得ることができたら,現状を打破できると考えるのは間違っている。だけど,そのときの僕は,いや,僕の中に影のようにこびりついていたあいまいな意思は,彼女と決別することで,明日を得ようとしていた。今になって考えると,自分がひとつの全体になれなかったという,若さに過ぎなかったのだけれど。

京都にいた頃,一年早くに大学を卒業した友人がJALのスチュワーデスになった。その友人とはいわゆるステディな関係になりかけたことはあったのだけれど,どういう訳かタイミングが合わず,気のいい友人関係が続いていた。共有できる精神世界が少なすぎたことが,その友人との距離になったのだと思う。ある日,空港まで会いに行ったら,同期だといって紹介されたのが,サツキだった。透き通った目をしたすごい美人というのが最初の印象だった。三人で空港近くのイタリア料理店に行って,他愛のない話を続けながら昼食を楽しんだ。2月末にKCGを修了してアメリカに渡ることを話したら,サツキも3月中頃に初めてのニューヨーク便乗務があるとのことだった。そのスケジュールに合わせて僕もNYに立ち寄ることにして,会う場所を決めた。少し話したら,影のようにこびりついていたあいまいな意思は,もっと遠い距離にいる人だということを的確に見抜いた。共有できる精神世界などほとんどなかったから,特別な想い入れが芽生えたわけではない。かといって僕は全くどうでも良かったわけではなく,友達の友達は友達さといった軽いノリで,お互いNYを見るのに誰か一緒に楽しめる相手がいたらいいという程度だったと思う。ともかく,そうやって約束をしたのがバレンタインデーの数日後だった。もとよりの友人は,僕に義理チョコを手渡しながら,紹介した自分の友達二人が,NYで会うことになったくらい意気投合したことを,純粋に喜んでいた。

渡米して雪の残るロチェスターに落ち着いて,しばらくしたある日,僕は朝一番の飛行機でNYに向かった。サツキは一昨日の朝にマジソンスクエアのホテルに入っているはずだった。長距離の乗務では,クルーに現地で丸2日の休暇が与えられる。仕事がきついから,クルー達は最初の一日はホテルで寝込むのが普通だそうだ。そして2日目を観光や買い物にあてて,その次の日に帰国便に乗務する。サツキも多分そうすると言ったので,彼女が帰国便に乗る前の1日を,ちょっとしたデートの日に決めたのだった。

3月のNYはまだ寒い。とっておきのセーターにDKNYのジャケットを重ねて,僕は早朝,NYのラガーディア空港に着いた。サツキは,前に会ったときよりもずっと綺麗になっていた。しばらくぶりの挨拶を交わした後,2人で近くのスターバックスで軽くブランチを取った。もとよりの友人に,僕のことをある程度聞いてきたらしく,互いのぎこちなさはすぐに消えた。

世間話を交えながら,今日一日の計画を決める。現代美術館を一巡りして,おのぼりさんよろしくエンパイアステートビルに登ることにした。夕食はチャイナタウンで,そのあと,あのライムライトに行こう。サツキは微笑んでうなずいて,最後の一口のブルーベリー・マフィンをほおばった。そのとき,僕は目の前のサツキを見ながら,なにか漠然と,夢のような無いものねだりを考えていたのだと思う。サツキはそんな深奥の僕に気づくはずもなく,そして僕は僕で,その日は一日,あいまいに悩まずにナンパな青年を演じきろうとしていた。

現代美術館に僕の気を引くものはなかったけれど,サツキは透き通った大きな目で丹念に見て回り,嬉しそうに印象を語ってくれた。スチュワーデスとして採用される程度に背が高く,スレンダーなボディは僕の目を奪った。仕事で発声練習なども重ねているのだろう。サツキはクリアな声で僕に語りかける。その声は今もはっきりと耳に残っている。

エンパイアステートビルに登ると,自分たちが摩天楼に囲まれていることが良くわかった。屋上は風がきつく,髪が吹かれて,サツキの声もかき消された。その後,5番街を南下し,サツキと僕はまるで数年連れ添ったステディのように,気のとまった店を順番に覗き込んだ。何をどれだけ話し合ったのか,記憶に残ってはいない。夕暮れとともにサツキの微笑が,徐々に身近に感じられるようになっていったことだけは確かだ。サツキもきっと同じだったと思う。そして,サツキとの時間が経つにつれ,影が夕闇に溶けて広がり,大きくなっていったことを覚えている。

NYのチャイナタウンは大きい。サツキが同僚に聞いたという店を探し当てて,僕たちはいくつかの料理を頼んだ。ビールで乾杯し,料理を取り分けて,その味覚をふたりで共有しながら,若ければ誰もがそうするような,とりとめのない会話を重ねに重ねて,サツキと僕は,もう少し親密になっていった。食事を終えたら,あたりはすっかり暗くなっていた。チャイナタウンを歩きながら,中華風の公衆電話の前で,サツキはふざけて受話器を耳に当てた。手元に残っているその写真には,サツキが微笑んで歯が輝いている。

人いきれと鉄の匂いに満たされた地下鉄に乗って,僕たちはシックスアベニューの20ストリートにある,ライムライトに向かった。今ではそのあたりはシリコンアレーと呼ばれている。教会を改装したクラブで,中にはいくつもの小部屋があり,それぞれジャンルの違う音楽がかかっている。ヒップホップの部屋では,マリワナの匂いに少しムッとした。パンクの部屋では,バイオハザードが鳴っていた。別の部屋では,大ブレイク中のアリーヤだった。その日から数日あと,アリーヤのCDを買おうと思ったことはあったけれど,結局やめてしまった。だから,そのとき踊ったのが,いい音楽であったことは確かなのだけれど,それがどんな曲だったかは,もう覚えていない。ほぼ満員のカウンターで,サツキと僕は肩を寄せ合って並んだ。サツキはジンフィズを頼んで,僕はマンハッタンのガラスの味,マティーニを頼んだから,ふたりとも,ジンベースになった。触れ合う肩のぬくもりは忘れたけれど,乾杯したときのグラスの音が,二人の間でかすかに,綺麗に響いたことを覚えている。

ライムライトを出てしばらく北上すると,路地裏にバスケットコートがある。外に出たのは深夜だったから,もちろんコートには誰もいなかった。サツキと僕はその中に入って,ボールをパスする真似をしてふざけあった。ロチェスターから来た僕はそのとき,ちょうどその頃走りだったMDと携帯小型スピーカーを持っていた。MDには,当時好きだった曲をブレンドして入れていた。チックコリアをかけると,サツキは,どうしてそんなものをポケットに持っているのかと,噴き出して笑った。僕は,歩く蓄音機だとか応えて,笑い返した。酒のせいで僕たちは,街灯の下で手を取り合って,もう少し踊ったりした。

明日サツキは日本への帰国便に乗る。明日僕はロチェスターに帰る。夜半も過ぎたからそれぞれのホテルに帰ろうと,僕たちはシックスアベニューを歩いた。二つ目の信号で,サツキの耳に口を寄せ,僕は笑いながら小声でなにかを伝えようとした。弱点は耳であるらしく,サツキはくすぐったがって声を出して笑って,聞かなかった。仕方がないので,また歩き始めたら,サツキもふざけて僕の耳に口を寄せてなにか話した。二人でくすぐったがりながら,笑いあい,ふざけあって,三つ目の信号で,サツキは僕を見上げていた。僕はサツキの透き通った目に見とれた。そのまま,横断歩道の端で何秒経っただろうか,僕たちは吸い寄せられるように自然にキスをした。

どんなに考え方や生き方が違っても,どんなに性格が合わなくても,どこかで波長があって,ただただ引かれ合うような男と女の関係というものがあるそうだ。顔を見ているだけで胸が締め付けられて,磁石のように唇を引き合う力がものすごく,意思なくても身体を重ねてしまうような相手というのがいるらしい。僕とサツキはそんな感じだったと思う。頭ではまったく合わないのが互いによく分かっているのに,心も魂も,あまりに楽しくて,あまりにも引かれ合って仕方がなかったのだ。だから,サツキは本当に自然に,僕を部屋に迎え入れた。僕は惹かれるまま,なにも気負いすることなく,サツキに向かった。

部屋の窓からは摩天楼の隙間に月が見えたけれど,街の灯の方がずっと明るかった。サツキは僕の影を見ていた。影は能動的でなにも憂いのない青年を演じていた。そういえば,僕は最初からずっと,少し悲しかった。本当は,その日,僕は独りで飲んでいたのだった。サツキは影と飲んでいたのだった。僕たちは確かにNYの街の灯に酔っていた。僕はサツキに恋したのだけれど,影はジンの苦い匂いのように僕の酔いを醒ましにかかり,ガラスの破片のような冷徹さを強要したのだった。

グラスを重ねて,僕が歌えばサツキは廻った。僕はサツキを両腕に確かめながら,影と闘っていた。サツキがメロディーを奏でると,僕はサツキの心に乾杯した。そして,両掌に包みこんだ瞬きのために,地下鉄の駅にたちこめている空気のような,漠然とした夢を捨てたいと願った。二人で踊れば影が乱れた。重ねた言葉が溶け合って,僕たちはシンセサイザードラムの余韻を聞いた。でも,最後には,やはり僕は,サツキを通り抜けてしまったのだ。サツキは残された影を抱きしめようとして,叶わなかったのだ。いや,もしかしたら,サツキこそが,ずっと,僕と影の踊りを静観していたのかもしれない。だから,それがサツキとの最初で最後の夜になった。

そのひとときが永遠に続くなら,僕はずっとサツキと一緒に居たいと願った。しかし,そんなことは無理な話だと影が囁く。だから,いつの日か,どこかでもう一度会えるなら,それがいい。それまでは,忘れることはないけれど,思い出すこともないだろう。翌早朝,僕はとても悲しかったのだけれど,ロチェスターに向かうために,綺麗な寝顔のサツキを残して,ラガーディアに発った。

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由起 邦人
Kunihito Yuki
  • フリープログラマ
  • 現在東京に在住する
  • 詩人・作家

上記の肩書・経歴等はアキューム1号発刊当時のものです。