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Accumu Vol.15

京を生きる プロをめざし京都へ 洋画家・中村晴信さん

風景,寺院…題材の宝庫

洋画家・中村晴信さん

「京都は自分の絵を成長させるには絶好の地。プロになるという目標を実現させるため,努力し続けたい」。京都市左京区聖護院東町の住居兼アトリエは,広さが6畳ほどだろうか。生まれ育った静岡県浜松市を離れて3年。中村晴信さん(40)にとって,この空間は,狭いとはいえ,大きな飛躍を支える大切な「城」だ。壁に並ぶ穏やかでぬくもりのある風景画のすき間に,浜松市の実家で夫の夢実現を祈る妻からのメッセージも見える。2007年春にプロ画家として初めての個展開催が決定。見えてきた光に向かって,中村さんは今日もキャンバスに向かう。

幼少のころから絵を描いたり見たりするのが好きで,「絵を描くことしか取り柄がない」と思っていた中村さん。西洋画にひかれたこともあり,将来は「美術系の学校に進んで,絵に関する仕事に就く」という志を抱いていたが,中学生のときに父親が病死。夢はあきらめざるを得なくなったという。その後は「行動が遅く,会社勤めに向かないタイプ」(中村さん)のため,さまざまな職を転々とする日々が続き,絵は趣味で描く程度だった。そんな中,中村さんを絵の世界に呼び戻す,ある出来事が起きた。

28歳,老人ホームに勤務していた。あることがきっかけで,入所していたお年寄りに肖像画を描いてあげた。すると,そのお年寄りは出来栄えに驚き,大変喜んでくれたという。その話は施設内にみるみるうちに広まり,ほかのお年寄りばかりか,施設職員からも依頼が殺到。このとき中村さんは,絵を通して人を感動させる喜びを思い出した。そして同時に,「画家になる」という夢が,再び首をもたげてきた。

再び活動を始め,さまざまなコンクールで受賞や入選をするようになった。コンクールの結果を報じる地元の新聞にも自分の名前が頻繁に登場する。しかし増えるのは賞状や楯ばかり。30歳を過ぎ結婚もしたというのに,プロ画家への道が,いっこうに見えてこない。行き詰まりははっきりと自覚でき,焦りは募る一方だった。

「京都は自分の絵を成長させるには絶好の地。プロになるという目標を実現させるため,努力し続けたい」
「京都は自分の絵を成長させるには絶好の地。
プロになるという目標を実現させるため,
努力し続けたい」

思い悩み,苦しみ,夫婦で何度も話し合って出した結論は,環境を変えるということだった。やはりプロになるには,多くの仲間やライバルが身近にいて,刺激も多い地で活動することが必要だと悟った。いくつかの候補地を▽画商・画廊の数▽発表の場▽同じ系統(写実・古典派)の画家数▽モチーフの豊富さ―などの点から比較。「プロへの扉を開かせてくれる地は京都」。答えが出るのに,さほど時間はかからなかった。近辺にはプロ養成のための「塾」があることも大きな材料。金銭面で単身を余儀なくされたが,妻は快く「旅立ち」を認めてくれた。

「目指す方向が違う」ため「塾」は半年でやめたものの,京都という土地柄は中村さんの活動に幅と息吹をもたらせた。素晴らしい風景,寺院など題材の宝庫だ。清掃会社に勤めながら,お気に入りの嵯峨,嵐山,南禅寺,熊野神社などを巡ってキャンバスを開き,自分の「城」で仕上げる。中村さんの評価は徐々に高まり,京都を中心に関西各地で開かれるグループ展への出展にも声が掛かるようになった。そして2007年春,プロ画家への大きなステップとなる機会が巡ってきた。出身地・静岡にある百貨店で,画商企画では初めてとなる個展開催の話が持ちかけられたのだ。これは中村さんをプロとして,画商が認めたことに他ならない。

開催は3月28日~4月3日,静岡市の松坂屋静岡店が会場。京都の風景などをモチーフにした0号から20号までの作品30点を披露する。中村さんの筆に俄然,勢いがついた。「この個展を成功させれば,次にもつながるし,プロ画家として両足がつくことになる」。これまで抱き続けてきた夢が京都の地で芽吹き,大きく花開こうとしている。

(2007年2月取材)