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Accumu Vol.15

学院を廻るアルティザンたち 劇団PASSIONE 豊嶋文香

飛び魚の箱

劇団PASSIONE 豊嶋文香

ホールの明かりが落ちる。暗さに目が慣れてくる。すると何もない空間に過ぎなかったステージが,深海のような様相を帯びて浮かび上がってくる。客席の観客は,知らず知らずのうちに異世界へと誘われる。

劇団PASSIONE(パッショーネ)の作品,「飛び魚の箱」。人類のほとんどが死滅し,アンドロイドたちが我が物顔でふるまう地球。日本でたった一人生き残った人間である後藤氏。元来,人間に奉仕するために作られたアンドロイドたちにとって,奉仕すべき人類の絶滅は自分たちの存在理由の喪失を意味する。そのため彼らは,人間の生き残りである後藤氏を,保護と称して監視下に置く。後藤氏もまたアイデンティティの危機のなかにいる。実は,後藤氏は固有の記憶を持たないクローン人間なのである。なぜ自分が生まれてきたのか,何のために存在するのか不明なまま,彼は存在している。そんな彼が見舞われるのは,海への憧憬の念。その理由は?

前半の深海のような静寂さが,アンドロイドたちが後藤氏にお世継ぎをもうけさせようと中国で一人だけ残った女性と引き合わせたあたりから物語に速度が加わり,歌が歌われ,ステージ上所狭しと役者が駆け回り,クライマックスに至る。後藤氏がなぜ海を憧憬し,そこに還りたがったのか,その謎が一挙に解明される。

物語としては,難解ではなく,純粋にエンターテインメントとして楽しめる。しかし,かなり重い「問い」を孕んだ作品である。物語が閉じられ,終幕の余韻のなか,一様に観客は「問い」を突きつけられている。自分という存在の根拠が何であるのか,「飛び魚の箱」は,安易な答えは用意しない。見終わった瞬間から,観客はその「問い」をそれぞれ生きることになる。良質な演劇を観ると,それ以前と少し周りの風景も変わって見えてくる。揺るぎ無いと思い込んでいた価値観が揺さぶられる。この作品はその体験をさせてくれる。「飛び魚の箱」は,大阪の劇場主催のロクソドンタフェスティバルで3位を獲得し,高い評価を得ている。

演劇にかける日々

劇団PASSIONE

「飛び魚の箱」の出演者の一人,豊嶋文香さん。彼女はKCGの教職員であり,現在,KCGの企画部門での業務に携わっている。中学,高校と演劇部に所属していた豊嶋さんは,京都大学に進学。「学生の街と呼ばれる京都には多くの大学のキャンパスがあり,学生劇団もたくさんあります。私が京大に入ろうと強く思ったきっかけの一つは,高校生のときに平田オリザさんから京都は学生演劇が盛んでいいよと伺ったことです。私が入学した当時,京大にもいくつか劇団がありましたが,私は既存の劇団には入らず,同回生の有志で劇団Yies(ワイズ)というグループを結成しました。3回生の夏に解散するまでYiesで活動を続け,私は主に役者をしていました。一度だけ演出を務めたこともあります。」

大学卒業後の進路として,ある劇団の一員となって演劇活動に専念しようと考えた時期もあったが,結局,彼女が選択したのは,KCGの教職員となる道であった。

リアルであること

豊嶋さんは,2002年3月に「カラス」という作品を観た。「役者の使い方が適材適所で上手いと思いました。描かれている世界観もとても面白かった。」それが彼女と劇団PASSIONEの出会いであった。

劇団PASSIONEは,1997年結成の京都を拠点とする劇団である。一口に劇団と言っても,団員が他に仕事を持たず演劇活動に専念しているものから,団員が劇団活動と仕事を両立させている劇団まで様々であるが,PASSIONEは,主宰者はじめ団員全員が仕事を有するいわゆる社会人劇団である。主宰者は,有田弘二(芸名:蟻蛸蛆)氏。数人の脚本家が集まって旗揚げされ,その後,有田氏が主宰者となった。現在の劇団員数は9名。

演劇の制作現場はどのようなものだろう。「飛び魚の箱」のほかPASSIONEで多くの作品の脚本を書き,演出を行っている有田氏にお話を伺った。

劇団PASSIONE

「脚本は,自分の言いたいこと,即ちメッセージを出発点にして書きます。普段,私たちは,それぞれに世界観を抱いて生きています。その世界観を揺るがす機会を演劇で生みたいと考えています。他の世界観との出会いを提供したい。ただ世界観の押し付けはしたくない。お客さんに考えてもらい,選択してもらいたいのです。私の書く脚本で取り上げるテーマには安易なハッピーエンドはありません。」

「当然ストーリーやプロットを立てるわけですが,どうしても枠に収まってしまいがちです。自分で立てたプロットに縛られて自由に思考することができなくなる。そこで,プロットを否定するプロセスが必要となります。『あて書き』というのですが,稽古と平行して,役者に演じてもらいながら,脚本を進めていくようにしています。当然,稽古が始まる前に組んだプロットは,稽古の過程でどんどん変わっていく。また,稽古では,台本を役者に渡して30分ぐらいでさーっと暗記してもらいます。本を取り上げて,さあ,演じてごらんとやるわけです。当然,暗記しきれないで,台詞がポロッと抜け落ちてしまったりする。なぜ抜けるのかと言えば,その箇所が役者にとってはリアルではなかったのだろうと。そこで互いの世界観や認識のズレを明確にしていきます。」

「演出は押し付けにならないように心がけています。以前は,目線にまで注文を付けていました。でもあるとき,そうしたやり方は成立しないと感じはじめました。そういう演出では,役者のリアルなものを引き出すことができない。押し付けではダメなのですね。むしろ何もしないほうがましだと気が付きました。こうして,ああしてと言うよりも,役者が感覚的に理解できる方法で個性を引き出すべきだと思いました。今はイメージを共有するためのキーワードだけ伝えるようにしています。『もっと太平洋みたいに!』とか。これはこれで役者からは不評な場合もあるのですが(笑)。」

有田氏は「リアル」ということを強調する。リアルであるとは,どのようなことなのだろう。

「技術的に上手い役者は,自分の隠し方が上手い。でも,重要なのは曝け出すことです。自分に嘘をつかないで舞台に立つことが重要です。口先だけの理解ではダメです。自分の真ん中にあるものが理解できること。」役者である豊嶋さんも「ステージ上でちゃんと存在しろ,とよく言われます。」と言う。

団員全員が社会人であるPASSIONEでは稽古の予定を調整するのも苦労が伴う。稽古は全員が揃って行うのではなく,シーンごとに登場する役者がグループになって行うそうだ。

稽古の様子について豊嶋さんは「役者同士のコミュニケーションがやはり大事ですね。息を合わせて一つのシーンをつくっていくわけですが,例えば,どの部分でどういう動きをしたいのか,役者間できちんと相談して詰めていかないとシーンそのものが崩壊してしまうことになります。」と言う。

「演技がぶつかり合ってしまって,上手く噛み合わないことがあります。演技同士が喧嘩してしまっている感じです。そういうときにはそのことを指摘して,上手い喧嘩の仕方を,役者に考えてもらいます。」と演出家の有田氏は言う。

小劇場の現状

1980年代には小劇場ブームがあり,野田秀樹氏や鴻上尚史氏などが活躍した時代もあったが,現在の小劇場のおかれている状況は,必ずしも恵まれているとは言えない。「演劇で食べていくのは難しいことです。演劇で食べていくためには,やりたくないこともしなければならなくなる。でも,質の低いものはやりたくない。公演を行うと赤が出てしまうことが多いです。その場合の補填は,団員で分担することになります。」と有田氏は言う。

豊嶋さんは,PASSIONEでは,制作を担当している。「会計や広報も担当しているわけなのですが,会計の立場から言えば,持ち出しの金額は極力少なくしたい。でも広報的には,チラシやDMを打ちたい。そのジレンマのなかでどうすればいいか悩みます。KCGでは広報企画などの業務をしていますが,そこでの経験が,劇団マネジメントに携わる立場では活きていますね。」

劇団PASSIONE 有田氏

有田氏は言う。「多くの演劇公演は,劇場を借りる予算的な理由から,だいたい2~3日の週末公演が普通です。演技は,観客の反応で鍛えられる側面がありますが,2日ぐらいだと,お客さんの反応を演技に反映させにくいですね。やはり,できれば1ヵ月ぐらいの長期公演を行うのが理想です。このシステムは集客上も良い効果が期待できます。2日ぐらいの公演だと,観に来てくださったお客さんが,知り合いに『面白かったから行ってみてごらん』と言っても公演が終了してしまっている。1ヵ月公演であれば,口コミによる広がりも期待できるわけです。海外などでは,長期公演の方が一般的で,若手劇団の育成などに役立っているようですが,まだ日本ではそういった劇場は少ないですね。」経済や社会の枠組みのなかで文化を育む仕組みが,日本ではまだ整っていないのである。

劇団での活動には苦労が伴うが,他では得られない喜びもある。「『飛び魚の箱』では,舞台装置として空のペットボトルをたくさん使用したのですが,自分たちだけでは到底集め切れないので,劇団のホームページ上で協力を呼びかけました。そうしたら協力してくださった方がいて。お礼にチケットをお渡ししたのですが,公演の日は行けそうもないと辞退されまして。ところが,やはり気になったのか,わざわざ入場料を払って観に来てくださっていたんです。凄く嬉しかったですね。作品をつくる過程に参加していただいたようで,こういう関わり合い方もあるんだなと思いました。」と嬉しそうな表情で有田氏は語った。

スイッチを切り替え,役者になる瞬間

「演劇で食べていくためには,やりたくないこともしなければならなくなる。自分としては,質の低いものはやりたくない。」という有田氏の言葉は,純粋に演劇の理想を追求しようとする劇団PASSIONEの本質をよく表している。PASSIONEは,演劇の新しい形も追求している。「あるビアレストランで,食事をしながら芝居を観るという企画をされていて,PASSIONEが定期的にやっています。あるとき,ビールに因んだ演劇にしてほしいと言われ,さてどうしたものかなと思い,ビール職人の方からお話を伺いました。するとビールの注ぎ方ひとつとってもこだわりがあって,とても面白い。いっそのこと,その職人さんにも舞台に上がってもらっちゃおうと。レストランの歴史も調べてみると,十分に芝居になるほど劇的で,それについても盛り込むことになりました。自分たちが思うままに広げた世界観を上演するのとはまた違う,普段そこで生きている人の生活や歴史も取り込んで物語をつくる面白さを感じています。」

PASSIONEの挑戦は続く。その場その場のリアルな空気を取り入れながら,何もない舞台に,もう一つの世界を創出するPASSIONE。考えてみれば,劇団員の全員が,それぞれ仕事を別に有していることも,PASSIONEの魅力の秘密なのかもしれない。

劇団PASSIONE 豊嶋文香

その一員である豊嶋さんはKCGでは,統括本部企画室において,企画部門の業務に携わっている。その仕事ぶりは正確で緻密であると定評がある。困難な業務であっても,真正面から取り組むそのひたむきでガッツのある姿勢は,他の若手の教職員や学生の良き模範となっている。

仕事と演劇活動の両立は困難な場合もあるはずだが,そんな様子を彼女が職場で見せたことはない。だから豊嶋さんが劇団に所属し,役者として活動していることを知らない教職員や学生も多いだろう。

仕事から演劇活動への切り替えに際しては,彼女独特の方法がある。「仕事と演劇に限らず,自分の中でモードを変えるときには時報を聴くようにしています。例えば,本番の10日前になってこれからいよいよ追い込みだぞ,というときなどに電話で時報を聴いて,ギアチェンジをするんです。」「本番直前まで,受付業務のことなどにも気を配らなくてはいけないので,開演前に衣装を着て舞台袖に行くときが,完全に役者になれる瞬間です。」

「飛び魚の箱」で,豊嶋さんはアンドロイドを演じていた。時に精密な計算で即座に回答を出し,時に自分の性能に疑義を抱き自問自答するリアルなアンドロイドが,ステージ上にはいた。豊嶋さんの演技に対して有田氏は,「まだまだリミッターを外せるはずだ。」と励ます。豊嶋さんは,役者の道を歩み続けているのだ。

豊嶋さんに演劇の魅力を尋ねてみたが,明快な答えはもらえなかった。考えてみれば,当然だろう。中学生以来,ずっと演劇とともに歩んできた彼女にとっては,演劇が魅力的であることは,あまりにも当然なのだから。