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Accumu Vol.18

世界で初めてノート型PCを開発 溝口 哲也氏 講演(要旨)

2009年12月18日

「大志を抱きチャレンジを」

「大きな志を抱いて」と熱く訴える溝口氏
「大きな志を抱いて」と熱く訴える溝口氏

世界で初めてとなるノート型PC「ダイナブック」の開発を手掛けた株式会社 東芝の元専務・溝口哲也さんの講演会が2009年12月18日,KCG京都駅前校6階大ホールで開かれた。溝口さんはノート型PCの開発に至る経緯を,思い出話を織り交ぜながら紹介,聴講した学生に向け「一流の技術者とは研究,開発,製品化,商品化,収益確保の5つのステップを全うする人」と説明したうえで「人間はみなダイヤモンドの原石。大志を抱き,自分自身を磨きながら目標に向けてチャレンジしていってほしい」と熱く呼び掛けた。講演の要旨は次のとおり。

◇人生の転機

一般的に18歳になると進路を決めなければならないが,それは極めて難しい。決断するにはあまりに早すぎるからです。人間には神から授かったミッションというものがある。常に前向きな姿勢で,何事にも真剣に取り組んでいればそれが見えてきます。大きな志を持ち,見つけた道に向けてチャレンジしていってもらいたい。

私は1959年,20歳のときに文系から理系に鞍替えしました。最初に入った地元の大学でマルクス経済学を学んだのですが,何か自分の求めているものとは違うと感じました。エンジニアになりたいという夢もあったので1年間受験勉強をし直して,東京にある大学の理工学部に入学。そこで建築を学ぶことも考えましたが,自分には「美的センス」がないと思い,電子・電機の専攻に進むことになりました。ここでコンピュータと出会うことになったのです。卒論はコンピュータの開発について書きました。当時,東芝のコンピュータ部門が,私の大学(東京工業大学)と共同研究をしていたことが縁となり,卒業後の63年に東芝に入社しました。

◇「無理」を克服,一般向けワープロを開発

世界初のノート型PC開発に至る思いを語る溝口氏
世界初のノート型PC開発に至る思いを語る溝口氏

東芝に入社後は大型コンピュータ関連の部署で働きました。ただ当時は,大型コンピュータを手掛ける会社が日本に6社もあり,米国IBMの存在も大きかった。ですから事業として成り立たせるには,あまりに厳しい状況だったのです。

当然の成り行きで,東芝は78年,大型計算機開発から撤退しました。ここで当然必要となったのは「デジタル新市場の創出」です。撤退前から私は,ワープロの開発を思い描いていました。私は仕事で米国のアリゾナ州フェニックスに長期滞在したことがあり,その時に大量の英文資料を,テキストデータを使って作っていました。日本にもこんなマシンがあれば便利なのに―。そのような経験がきっかけでした。研究機関のある若手グループが,カナ漢字変換技術の開発を手掛けているという話を耳にしました。そのグループとスクラムを組み,研究に研究を重ねて79年に「JW-10」が完成。市場では漢字の文章を作成できるということで大きな反響を呼びましたが,マシンは重さ600キロ,価格は630万円とあくまで業務用でしかなかったのです。日本初のワープロは技術的には成功しましたが,個人が家庭で使えるようになるためにはさらなる小型化と低価格が必要でした。

ある時,東京・秋葉原の家電量販店を訪れたときに,その社長の言葉「VTRは30万円もすると売れない。せめて20万円を切らないと」。それを聞き私は「個人向けワープロは10万円を切らないと売れない」と感じました。

製造原価を抑えるために設計を抜本的に見直し,部品メーカーなどと話を続けたのですが,返ってくるのは「その原価で製造するのは絶対に無理」という言葉ばかり。そこである部品メーカーと掛け合い,長期的な戦略関係を構築。85年には,当時では衝撃的だった価格が9万9800円のワープロ「RUPO」を商品化。個人の需要を呼び込み,最終的には販売台数が10万台に達する大ヒット商品となりました。「絶対無理」と言われながらの,挑戦でした。でもこれは決して無茶なチャレンジではなかった。目標を掲げ,なんとか乗り越えたいという一心でした。

◇「破常識」への挑戦,ノート型PC世界初お目見え

溝口氏はコンピュータ博物館建設に向けた顧問に就任,支援をいただくことに
溝口氏はコンピュータ博物館建設に向けた顧問に就任,支援をいただくことに

ある時,パソコンの基本概念を提唱した米国ゼロックス・パロアルト研究所の研究員,アラン・ケイ氏による論文「パーソナル・ダイナミック・メディア」を読む機会がありました。その中には「電子文房具を個人が持ち運ぶ時代が来る」と書かれていたのです。その一文に刺激を受け,「必ず私の手で作ってみせる」と意を強くしました。「ハードディスクを持ち運ぶなんて愚の骨頂だ」と言われました。でも私は,それを「非常識」とは思わなかった。ラジオやステレオ(ウォークマン)は,もう屋外で使われていた。パソコンを外に持ち出すことは「非常識」ではない,「破常識」だったのです。「破常識」に挑戦しなければ新しいものを生み出すことはできません。

部品一つひとつから設計し,86年には世界市場向けにラップトップPC「T-3100」を発表することができました。日本向けは「J3100」。そしてその4年後の89年,さらに小さい世界初のノート型PC「ダイナブック」発売に至りました。

これは部品メーカーとの共同開発抜きでは到底,不可能でした。どのメーカーも技術を駆使し「世界初」を生み出してくれました。とりわけ大容量ハードディスクと小型バッテリーを開発できたことが大きかったですね。

「ダイナブック」は86~2000年,世界市場でトップの売り上げを記録しました(93年は2位)。そして私は,「ダイナブック」を,考案者ともいうべきアラン・ケイに贈ったのです。

◇自分のために大志を抱け

溝口氏

私は,大ヒット商品をつくり出す条件として,次の6つが必要だと思います。①高い目標を掲げる②マーケット側からの発想を大事にする③リスクは進んで冒す④非常識ではない「破常識」と情熱を持つ⑤スピード感を持って取り組む⑥優秀な人材を集め,ハードワークに耐える―。アンテナを高く,感度を鋭くし,良い点を探し学ぶ美的凝視ができるような謙虚さを併せ持つ。明快な分析力や,軽快なフットワークも必要でしょう。

札幌農学校のクラーク博士の言葉に「青年よ 大志を抱け」があります。実はこの言葉の前に「神の栄光のために」という言葉があることは,あまり知られていません。「神」を「国」「母校」「自分」などに置き換えて考えてみてください。また,J・F・ケネディ,ビル・クリントン元米国大統領に「もっとも尊敬する日本人政治家」と言われた江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山は「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」という言葉を残しています。現在のバラク・オバマ米国大統領も「Yes We can」と言っていますね。常に知りたい,学びたいという意欲と,チャレンジする気持ちを持ち続けてください。

この著者の他の記事を読む
溝口 哲也
Tetsuya Mizoguchi
  • 東京工業大学理工学部卒
  • 東京芝浦電気(現東芝)に入社し,パソコン事業部長,パーソナル情報機器事業本部長などを経て1996年に取締役,2000年に執行役員専務に就任
  • デジタルメディア機器社長,モバイル放送社長なども務めた
  • 2006年から東芝の顧問
  • 福岡県出身

上記の肩書・経歴等はアキューム18号発刊当時のものです。