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Accumu Vol.5

宇宙背景放射とダークマター

京都大学基礎物理学研究所研修員

京都大学理学博士

元京都コンピュータ学院講師

渡辺 卓也

1992年4月23日,次のようなニュースが世界を駆け巡った。

「米の宇宙背景放射観測衛星,宇宙誕生のゆらぎを発見」

この知らせは,ビッグバン宇宙論の正当性を確証するものとして,多くの宇宙論学者達を興奮させるものだった。

その意味で,(1)1922年,ハッブルの法則の発見 (2)1964年,ペンジアス・ウィルソンの宇宙背景放射の発見と並んで,今世紀の宇宙論の三番目の大発見と言っても過言ではない。

しかしこの大発見に触れる前に,前の二つの大発見について触れておかなければならない。

ハッブルの法則の発見

宇宙には,銀河と呼ばれる巨大な星の集団がいくつも存在している。我々の銀河系(天の川)や,よく知られているアンドロメダ銀河は,数千億個という星を含んだ渦巻銀河である。銀河は我々から非常に遠いので,その距離を決めるのは至難の業である。しかし1922年,アメリカの天文学者ハッブルは,ある種の変光星(明るさの変化する星)の変光周期と真の明るさの間に一定の関係があることを利用して,いくつかの銀河の距離を観測から決定することに成功した。

各銀河からくる光のスペクトル(色の分布)を調べれば,我々に対する速度がわかる。光は波の性質をもっているので,ちょうど救急車のサイレンのように,我々に近づいているときは波長が短く(音は高く,光は青く),遠ざかるときは長く(音は低く,光は赤く)なる。

ハッブルはこの二つの結果から,距離の遠い銀河ほど,スペクトルが赤い方にずれている(赤方偏移),つまり,我々から速く遠ざかっていることを見い出した(ハッブルの法則)。これは何を意味するのであろうか。我々が宇宙の中心にいるとは考えられないので,宇宙が一様に膨張しているためであると解釈するのが最も自然である。ハッブルの発見は,膨張宇宙の確たる証拠として迎えられた。

火の玉宇宙の化石,宇宙背景放射の発見

1964年,アメリカのベル研究所のペンジアスとウィルソンは,通信衛星技術に用いられるアンテナを開発するため,宇宙からくるマイクロ波の試験観測をしていた。しかし彼らは,どの方向にアンテナを回してみてもほぼ一定の強さで存在する雑音があることに気づいた。この雑音こそ,宇宙が膨張していて,かつては高温の火の玉(以下,ビッグバン宇宙)であったというもう一つの証拠なのである。

それはつまりこういうことである。宇宙が膨張しているということは,昔にさかのぼるほどその体積は小さく,密度も温度も高かったはずである。十分温度の高い状態では,物質は電離してプラズマという状態になる。この状態では,輻射(光のこと)は電子と盛んに相互作用して散乱されるので,まっすぐ進むことができない。つまり,宇宙が現在の1000分の1程の大きさだった頃,それまで高温のために盛んだった輻射と物質の相互作用が切れて,輻射は,初めてまっすぐ進むことができるようになった(これを宇宙の晴れ上がりという)。このとき輻射は,数千度という高温であったが,宇宙が膨張する間にその温度を下げて,現在のような低温になった。彼らの発見した雑音は正にこの高温の輻射の名残(宇宙背景放射)であるとすれば説明できる。

この発見により,二人はノーベル賞を受賞した。

宇宙の大構造と重力不安定シナリオ

今世紀の二大発見により,ビッグバン宇宙論は人々に広く受け入れられるものとなった。しかし,まだすべてが説明できるわけではなかった。

すでに述べたように,宇宙には,おびただしい数の銀河が存在している。これらの銀河は,決して宇宙に一様に分布しているわけではない。銀河の空間分布は,ハッブルの法則を適用すれば,各銀河のスペクトルを調べることで明らかになる。それによると,銀河は,数百個から数千個集まって,銀河団と呼ばれる集団を作り,さらに銀河団が数個から数十個集まって,超銀河団という,数千万~数億光年に及ぶ大構造を形成していることがわかってきた(図1)。

図1

このような非均一な構造はどうして生まれたのか。

膨張宇宙論が用意した答は,重力不安定というシナリオである。天体を形成するのに,最も効果的に働くのは重力である。重力では引力のみが働くので,始めに物質の密度が平均より高い場所では,周りの物質を引き寄せてより高い密度へと成長する。逆に,密度の低いところは高密度の領域に物質が流れていくためにさらに密度が減少する。このようにして,重力によって,観測されるような大きなスケールでの非均一性を説明しようというわけである。

これは自然な考え方であるが,理論家達は大きな悩みを抱えていた。いかに宇宙の構造形成に重力が効果的とはいっても,構造の源となる,密度の「ゆらぎ」が存在しなければ話にならない。もし,このような密度ゆらぎが宇宙の初期に存在していたとすれば,それは,宇宙背景放射のゆらぎとして観測されるはずである。これまで,このゆらぎを検出すべく,地上で様々な観測が行われてきたが,結果は否定的だった。背景放射は天球上で,見事なまでに一様で,測定限界を越えるゆらぎが見つからないのである。重力不安定シナリオは引導を渡されたかに見えた。

ダークマター

宇宙背景放射は極めて一様である一方,現在の物質の分布は大きくゆらいでいる,このジレンマを解決すべく,理論家達のとった方策とは,ダークマター(暗黒物質)に救いを求めることだった。

ダークマターとは光では観測できない物質のことである。先に述べたように,普通の物質は高温時に輻射と相互作用していたので,背景放射にそのゆらぎが反映されてしまう。しかし,輻射と相互作用しない暗黒物質の存在を仮定してやれば,輻射の分布をほぼ一様に保ちながら,物質のゆらぎだけを大きくでき,観測と矛盾せずに,重力不安定によって構造を作ることができるわけである。

見えないものに救いを求めるなんて,随分虫のいい話ではないかと思われるかもしれないが,宇宙には「見えない物質」が存在している天文学的な証拠が,実はいくつかあるのである。例えば,渦巻銀河は回転していることがわかっているが,このような回転する円盤は,円盤自体の重力だけでは渦巻の形状を保つことができず,数回転で棒状に変形してしまうことが数値シミュレーションから明らかになっている。現実の渦巻銀河のように安定した渦巻構造を維持するためには,周囲に光では見えない広がった物質が存在する必要がある。また,銀河や銀河団の質量は,銀河の中の星の運動や,銀河団の中の銀河の運動を観測することで推定することができる。それによれば銀河や銀河団は,光で見えている物質から推定される値よりも,はるかに多くの質量が存在することが示唆されているのである。

図2

そういうわけで,ダークマターによる構造形成が1980年代から盛んに研究されるようになった。宇宙に存在し得るダークマターとしては,大きく分けて,バリオン的ダークマター,冷たいダークマター,熱いダークマターの三つが知られている。バリオンとは,星や銀河を作っている通常の物質のことで,ブラックホールや惑星などの光では見えない天体などが候補である。冷たい(熱い)ダークマターとは,それ自体のもっている速度が小さい(大きい)粒子の総称で,素粒子物理学からその存在が示唆されているものである。スーパーコンピュータを使ったN体シミュレーションによって,色々な宇宙モデルでの大規模構造形成の様子が詳しく調べられている。実際の宇宙の構造をよく再現できるという点では,冷たいダークマターの宇宙モデルが現在,最も有力である(図2)。

しかしながら,ダークマターの宇宙も,背景放射のゆらぎを完全に抑えることができるわけではない。わずかに存在するバリオンのゆらぎは,背景放射にかすかなゆらぎとして刻印されるはずである。重力不安定シナリオが正当化されるためには,背景放射のゆらぎは,それがいかに小さいものであれ,存在しなくてはならないのである。

第3の発見=COBEによる背景放射ゆらぎの発見

1989年11月,米国航空宇宙局(NASA)から1機の観測衛星が打ち上げられ,COBE(コービー:Cosmic Background Explorer 宇宙背景放射観測衛星)と名づけられた。COBEの大きな使命は,雑音の影響の少ない空からの観測によって,宇宙背景放射のより精密なスペクトルを測定することと,未だ誰も成功していない背景放射の天空上でのゆらぎの検出であった。

図3

打ち上げから2ヵ月後,COBEは早くも最初のセンセーショナルな結果を送ってきた(図3)。宇宙背景放射のスペクトルは,輻射が熱平衡状態にあるとしたときの理論値(黒体放射)と完全に一致するものだった。ビッグバン宇宙論の予言が,さらに精密な形で裏付けられることになったのだ。

地上の天文学者達は,次の一報を,つまり,背景放射のゆらぎの検出のニュースを待ち望んだ。明けて,1992年4月,ついにCOBEは10万分の3度という天球上でのかすかな温度ゆらぎを検出した(図4)。現在の非均一な宇宙構造を作った大昔のゆらぎの種を,我々はついに直接目にすることに成功したのである。

図4

これからの宇宙論

この3番目の「大発見」は,ビッグバン宇宙論と重力不安定による構造形成のシナリオが,おおむね正しいことを証明するものとして,理論家達をひとまず安堵させた。この発見は,予想されていたものの実在を確かめたに過ぎず,標準宇宙モデルに重大な方向転換を迫るような事実をもたらしたわけではない。その点では,前の二つの大発見に比べて社会的なセンセーションも小さいかもしれない。しかしCOBEの発見が今世紀の宇宙論の展開の中でも最も大きな発見の一つであるのは,疑いようのない事実である。

ビッグバン宇宙論は未だに多くの仮説の上に成り立っている。ダークマターの正体は何なのか,光では見えないが通常の物質なのか。

重力不安定シナリオは宇宙の大規模構造の形成にある程度成功したが,細かい部分では未解決の問題が残されている。例えば,銀河はいつ頃,どのようにして生まれたのか。なぜ,渦巻銀河や楕円銀河など,様々な形の銀河が生まれたのかについては,定量的な説明がまだできていない。

ビッグバン宇宙論によれば,宇宙の年齢は100億~200億年程度と考えられるが,この時間の間に,観測されているような大規模構造を作ることができるかという問題がある。現在は,銀河や銀河団は密度ゆらぎがある値よりも高いところで選択的に形成されたという考え(バイアスモデル)が主流になっている。しかし,このようなバイアスがなぜ起こるのか,その物理的説明は十分にはなされていない。このような問題に一つずつ答えて,ビッグバン宇宙論は初めて確固としたものになるのである。あるいは,近い将来,ビッグバン宇宙論ではどうしても説明のできない観測事実が出てくるかもしれないのだ。宇宙論の将来は,予断を許さない。