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Accumu Vol.5

脳とコンピュータ ―意識を持つ機械を目指して―

東京大学工学部教授 甘利 俊一

未開拓の小宇宙「脳」

脳とコンピュータ

人間のすばらしい知性と感性は脳の機能として現象している。脳は1000億個のニューロンを結合してできている複雑なシステムである。近年の科学の発展によって,ニューロンの働きやその分子機構など,多くのことがわかってきた。しかし,脳がシステムとしてどのように働くのか,例えば我々の記憶の中で情報はどのように表現され,そのデータ構造はどうなっているかなど,情報科学からみて一番興味のある問題はほとんど解明されていない。脳は未開拓の小宇宙なのである。

脳の研究には多様なアプローチがある。生物学的実在としての脳をミクロな要素に分解して実証的に研究しようという生物科学の方法もある。他方,認知科学のように,脳のマクロな機能に着目し,そこに内在する法則性を探っていこうという立場もある。これは心理学に基礎を置く一方,人工知能とも密接に関連している。

これに対して計算論的神経科学や神経計算学というものが最近注目されるようになった。これは神経回路網のモデルを構成し,モデルの動作を調べることで本当の脳の仕組みを予見すると共に,工学的にも有用な新しい情報処理方式を開発しようというものである。ニューロコンピュータの開発もこの流れの一つである。この方法はミクロな生理学的な脳と,マクロな脳による認知機能とを結びつける方法としても注目されている。

人間は意識を持ち,自律的に動作する脳というすばらしい小宇宙を持っている。今,多方面にわたって,この小宇宙に迫る研究が協力体制を組もうとしているのである。ここでは,研究の学術的詳細に踏み込むことはできないので,脳の思考と意識をめぐる方法的な考察を述べてみたい。

論理的思考

人間は論理的な思考を行っている。物事を理路整然と整理して考え,人に自分の思考を伝えることができる。これこそが人間の高度の知性であると言われている。論理的思考においては,外界の多種多様な情報はあるがままのパターンとしてとらえられるのではなく,認知され整理された対象としてとらえられる。こうした対象は概念として区分けされ,固有の名前がつけられている。これが言葉である。言葉とは実在の世界の情報を概念として把握し,これを脳という小宇宙内の世界で表現した代替物である。すなわち,外界の情報を内在化しシンボル(記号)で表したものである。

情報をシンボルで表現することに一度成功すれば,情報の間の関係をシンボルの間の関係としてとらえ直すことができる。これが論理の始まりである。人間の論理的な思考能力の高度の発展は,言語の獲得と表裏一体のものなのである。

シンボルの世界における情報処理はどの程度に強力なものであろうか。これはコンピュータサイエンスにおける基本的な問題である。なぜなら,コンピュータは情報を0,1の記号列を用いてシンボルで表し,論理操作を通じて情報処理を実現しているからである。一方,現代数学にとっても,これはその基礎に関わる問題である。数学は,シンボルで表現した概念をもとに公理系を組み立てる。公理系から出発して,推論規則という論理体系をもとに定理を導き出すが,これは形式的に見れば皆シンボル列と論理の問題である。

1936年にイギリスの数学者アラン・チューリングはこの問題を解決するため,チューリング機械と呼ぶ仮想的なコンピュータを提案した。これをシンボル操作による推論の基本モデルにしようというのである。チューリングは万能マシンを定義し,このマシンはプログラムを与えさえすればどのようなマシンの動作をもシミュレートできるという意味で万能機械であることも示した。今日のコンピュータは(メモリの増設さえできれば)いずれもチューリングの意味での万能なマシンである。

チューリングは一方ではこうした機械では計算できない関数が存在することも示した。これは数学の形式化できない側面を示したものでもあり,ゲーデルの不完全性定理とつながるものである。

コンピュータと人工知能

人間の思考の二つの方法

シンボルを操っての情報処理は人間の脳における計算の一つの特質である。ところが,技術の進歩によってシンボル計算(数値計算も含めて)を超高速で実行する機械が誕生した。これがコンピュータである。真空管から始まったコンピュータは,トランジスタ,IC,LSIと素子技術が進展するにつれてその性能が人々の予想を越えて発展した。今やコンピュータは社会の隅々にまで入り込み,文明の形態をまで変化させて情報化社会を迎えるに至っている。その基礎にあるのがシンボルによる計算の原理である。

こう見ると,コンピュータは人間の論理的思考の部分にヒントを得て,それを技術により強力に実現したものということもできる。そうならば,コンピュータに数値計算や事務計算をやらせるだけでなく,論理的計算(推論)を実行させて,知的機能を発揮できるようにしてみたい。これが人工知能であり,1980年代に多くのシステムが開発された。

それでは人工知能は人間の知能のように働くのかというと,そうはなかなかいかない。コンピュータの素子はニューロンの10万倍も速く動作するし,メモリ量も極めて大きくなってきている。しかし,どう見ても人間とは違う。人間は不完全な入力情報,あいまいな状況,変動する状況下で実に巧みに動作をする。このような状況をすべて考えて,事前にプログラムの形で指定しておくのは極めて難しい。それでは人間はどうやってこの問題を解決しているのかに戻って考えてみる必要がある。

直観的思考

脳の情報原理解明への道

人間は意識の支配下で物事を論理的に考えているように見える。しかし,人間の脳はいつでも極めて多くの部位が活動していてそのすべてが意識に登るわけではない。意識に登るのは脳の活動のほんの氷山の一角のような部分である。

考えてみれば,猿や犬などの動物にしたところで,シンボルを使っての論理的思考こそしていないにせよ,その記憶,パターン認識と判断,運動計画と制御など,極めて優れた能力を発揮している。人間の脳がこれら動物の脳とは原理的に異なる情報処理をしているとは考えにくい。そこにある思考法は,多くの要因を総合し,ニューロン間の並列の情報のやりとりのダイナミックスに基づく情報処理の方式である。これを仮に直観的思考と呼んでみよう。

直観的思考にあっては,情報はシンボルとして集約されてしまうのではなく,その個別性多様性を保持したままで,脳の多くの部位上のニューロンの興奮パターンとして表現される。そうすると,パターンのかけら同士がてんでばらばらに相互作用を行い,並列のダイナミックスによってすべての情報が総合されていく。これは記憶の場の中で行われる。こうして,ダイナミックスの中で集約化された結論的部分が意識に登り,言葉すなわちシンボルで表現される。

シンボル操作は意識のもとで逐次直列型で1ステップずつ遂行されるが,それと同時進行でパターンの並列ダイナミックスが行われている。ある問題解決をする場合,例えば重大な決断を下すときとか,数学の問題を解く場合を考えてみよう。我々は答の合理性を理路整然と説明する。これはシンボルによる論理的説明である。しかし答を発見する思考のプロセスはこうではない。論理以前に直観がある。決断にしろ数学にしろ,無意識の思考のうちに可能な解が突如として見えてくる。全体の条件がしっくりと溶け合い,全体が透明になって納得がいく気がする。こうして得た直観的解をさらに意識に登らせて論理で煮つめ,完全なものにしていく。これが人間の思考のスタイルであろう。

従来の人工知能は,この直観のプロセスを省略しすべてを論理によって解決しようとする。それは完全ではあるが,手数の組合せ的爆発と,プログラムの側への限りない負担が強いられる。直観的思考は論理的には正確でないが,すべての要因を総合し,並列処理で効率を上げると共に,あいまいな条件や矛盾する条件をも包括する柔軟性がある。人間はこの二つの思考法を同時に用いることですばらしい効果をあげている。

直観的思考の原理

論理的思考はシンボル操作の体系として定式化され,アルゴリズムの理論として大成している。では直観的思考の原理はどのように解明されていくのであろうか。このためには,ニューラルネットワークに戻り,その上の興奮パターンによる情報表現,並列のダイナミックス,学習と自己組織化の基本原理とその情報処理の可能性を探求しなければならない。これには,チューリングの意味での計算可能性やアルゴリズム理論とは全く視点の異なる,複雑系のパターンダイナミックスと自己組織化の原理をもとにする新しい情報の理論体系の建設が要請されている。

直観的思考の原理の解明には,勿論現実の脳の仕組みを研究することが重要である。しかし,逆にパターン情報処理の原理的な可能性と限界とを理論として考え,ここから逆に脳の解明に向かう道筋も重要である。脳は永年の生物進化の結果でき上がった自然界の大傑作であるが,これは生物の進化の過程でパターンダイナミックスの基本原理を発見し,それに適合するアーキテクチャの脳を見出してきたと見ることができるからである。この観点からするならば,脳は基本原理の生物学的実現であり,進化によるランダム探索でこれを見つけたのであった。我々はこれを論理的数理的思考によって発見しようとしている。また,この原理を工学的に実現しようとすればニューロコンピュータの世界が開けてくる。

ニューラルネットの理論

現在,数多くのニューラルネットのモデルが研究されている。一番単純なものは,多層パーセプトロンである。これは入力情報を層をなした神経回路網で処理して次の層に渡すもので,フィードバックの相互作用がないのでその能力が研究しやすい。また,バックプロパゲーションと呼ぶ学習方式が古くから提案されていたが,それが再発見されてその実用性が確認され,多くの単純なモデルで実用化されている。その応用範囲は極めて広い。

一方,フィードバック結合のある回路のダイナミックスは複雑である。これもまた連想記憶のモデルとして古くから研究されてきた。一方,組合せ的な問題をこのダイナミックスに埋め込み,さらに確率的なゆらぎを用いて準最適解を求める方法が研究されている。これはジェネティックアルゴリズムと呼ぶ解法につながっていく。他方,この種の回路に内在するカオス的居動の研究も進みつつある。

脳は自己の構造を自己組織的に作りあげる能力を持っている。特に外界の情報構造を手がかりに,それに適合する構造を内部に作りあげる能力の研究は極めて重要である。これは,よりマクロな視点に立てば,知識の自己組織化に通ずるものである。また,脳は高度の機能分化を遂げた超並列超分散システムであるから,このような分業体制とその自己組織化も重要であって,研究が進められている。こうした研究はこれからも大いに進んでいくであろう。

脳と意識

脳は直観的思考様式と論理的思考様式を備えた意識を持つコンピュータと言える。では意識とはいかなる役割を果たし,どのように発生したのかを考察してみる必要がある。意識とは,自分が何を思考しているかを自分で承知していることであり,論理的思考は意識の流れを核として進行していく。

意識はどのようにして発生したのであろうか。生物の低次の情報処理は反射である。これは入力信号に応じて素早い計算をし,答をそのまま出すものである。ここでは意識のような高次の機能はかえって邪魔になる。情報処理システムが脳として高度化するにつれ,分業体制が整い,記憶を参照する高次の処理が必要になる。それには直観的思考というべきパターン思考が使用されている。しかしこの段階でもまだ意識の出番はない。

進化がさらに進むうちに生物は類似の情報を集約し概念化することを始める。これに伴い記憶構造が体系化される。さらに人間に至って,概念に名前を付けてシンボル化し,シンボル操作による論理的推論を開始する。これは逐次直列型の推論になる。一方,それと並行して,並列のパターンダイナミックスが無意識下で進行している。ここでは個別性を捨て去ることなく,事物の意味付けがなされている。

意識はこの段階では不可欠のものとなる。シンボルによる直列の逐次推論と並列で勝手に進行していく並列推論とのインタフェースを用いて,両過程の情報交換を計ることが不可欠であるが,その際には直列推論がどの段階に入っているかを監視しそれを把握しておく必要がある。これが意識である。すなわち意識とは,シンボル操作による自己の推論の段階をモニターし管理するものであって,これにより意識的な推論と無意識的な推論とのインタフェースが可能になる。

動物にあっても,言語系はまだなくとも情報を概念化し脳内での客体として扱う能力はある程度は発達している。これを用いて低次の擬似論理的推論ができる。この段階では,低次の意識と呼ぶべきものが発生していると考えられる。

意識を持つコンピュータ

鳥と飛行機

こう考えてくれば,将来のコンピュータやロボットは意識を持つことが有用となる。それはコンピュータプログラムから始めてもよい。コンピュータはプログラムを指令どおりに実行していく。しかしプログラムの上にメタプログラムを付け加えて,メタプログラムはコンピュータがプログラム上のどこを走っているかを監視させるようにすることは難しくない。さらに,ループを空回りしているとか,プログラムの矛盾によって行き場所がなくなっているとか,途中で必要な入力データが不足しているとか,プログラム実行上の問題点を解析する。さらに進めばプログラムを自動的に改変したり,一部を省略して結論を急がせたりすることもできよう。

将来,超並列超分散プロセッサが使われる状況ではこれを統合する意識はどうしても必要になる。さらにニューロコンピュータが付加され,シンボル推論とパターン推論が同時に進行するようになれば,そのインタフェースとして意識のような機能がどうしても必要になるはずである。

人は鳥が飛ぶのを見てついには飛行機を発明した。両者はその機構は違っているかもしれないが,空中で固体が流体力学的な作用を利用する点で,その基本原理は同じと言ってよい。ただその実現形態が異なる。コンピュータとて同じことである。論理と直観を持ち,これを意識の管理のもとで統合するコンピュータがこれから現れようとしている。これは脳の機構と認知の仕組みに迫るものである。その実現形態が大いに異なるとはいえ,基本原理は脳と同じになっていくのである。