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Accumu Vol.9

閑堂忌について-「一身独立の気力」-

牧野 澄夫

学院創立者・初代学院長長谷川繁雄先生は1986年7月2日に亡くなられた。学院では,先生の号閑堂にちなみ,7月2日を閑堂忌と名付けて,先生の思想をあらためて想い起こす日としています。学院創立にあたり先生の抱かれた「建学の精神」は,学院に集う私たち校友が,未来に受け継いで行かなければならないものであり,7月2日は,校友の一人一人が,あらためて,京都コンピュータ学院の一員であることの自覚と誇りをもつ日です。

「一身独立の気力」

ここで,初代学院長の思想の一端に触れてみようと思います。

広く社会人を対象にしたプログラミングの講習会から,主として,高校卒業生を対象にした情報処理全般を教授する学院を創立するにあたって,先生が希求された願いの一つは,「個人の,真の自立」にあったと思われます。明治の昔,福沢諭吉の言葉を借りれば,「一身独立の気力」の鼓舞。これこそが,初代学院長の,学院創立にかけた目標でした。

ちなみに,福沢諭吉は『学問のすすめ』のなかでこう言っています。

(文明の精神とはなにか,という問いに答えて)「人民独立の気力,即ちこれなり」。「人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るも啻(タダ)に無用の長物のみならず,却(カエ)って民心を退縮せしむるの具となるべきなり」。「故に文明の事を行う者は私立の人民にして,その文明を護する者は政府なり」

明治初年,福沢は新しく生まれ変わった日本が西欧諸国に伍して行くためには,封建制度のなごりである,互いにもたれ合い誰一人責任をとろうとしない気風を払拭し,個人が真に個人として独立することこそがまず第一の課題であると考えたのでした。すなわち,「一身独立して一国独立する」と。

こうした「一身独立の気力」こそが,(西欧)文明の精神であると彼は言います。

文明開化のかけ声のもとに,西欧の文物がどっと流れ込み,生まれて初めて見る新奇なもの(文明の形)に目を奪われて,それをもって文明と考えた人たちに対し,彼は文明の精神こそが問題であるといいます。「一身独立の気力」をもたない,個人が自立した個人になろうとしないところでは,文明の形,すなわち「文明の利器」はいわば幼児の玩具にすぎないものです。

「一身独立の気力」の鼓舞とはまた,「私立」の勧めでもありました。「官」を尊び「私」を卑下する根性,すべてを「官」に頼ろうとする根性を矯正する必要を,彼は繰り返し説いています。

福沢諭吉のこの思いは,初代学院長長谷川繁雄先生の思いでもありました。さらに現代のコンピュータ社会を考えてみると,ことがらは福沢の時代よりもはるかに重大な様相を帯びてきます。明治の初めに早くも「電信」,「印刷」,「郵便」等,現在の情報・通信にあたるものの重要性を指摘した福沢であっても,現代のコンピュータの発達はやはり思いもよらなかったことでしょう。その発展普及をいち早く予見された初代学院長は,コンピュータという「文明の利器」のもつ長所とあわせて短所にも,気付いておられたのでしょう。

すなわち,コンピュータは福沢のいうところの「人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るも啻(タダ)に無用の長物のみならず,却(カエ)って民心を退縮せしむるの具」の典型的なものとなる危険性をはらんでいるのです。コンピュータは,人類の進歩発展に貢献するのではなくて,反対に「民心を退縮せしむるの具」,創意工夫の意欲を喪失したあげく,機械に操られるがままの人間を大量に生み出す危険性をもっていると言えるのです。

だからこそ,特にコンピュータについては,福沢のいう「文明の精神」すなわち「一身独立の気力」が求められるのです。

先生はことある毎に,「私立」の意義を説かれました。相変らず,「官」に頼り,「官」の衣装をまとえば信用し,反対に「私」であればすべて疑わしいとする,無意識の内に私たちの抱く固定観念を摘出し,「私」を「官」に優先させることの重要性を,繰り返し啓発されました。(念のために言えば,ここで問題にされているのは,「私」と「官」の関係であって,「私」と「公」の関係ではありません)。

先生は,したがって,コンピュータを相手にする若者にこそ,この「一身独立の気力」をかきたてることが重要だと考えられました。学院で教授するべきは,いわゆる小手先の技術ではないのです。「一身独立の気力」に満ちあふれ,自ら道を切り開いて行こうとする,パイオニア精神の涵養こそが目標でなければならないのです。初代学院長は,学院生が時折見せるそうした精神の片鱗をことのほか悦ばれました。

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牧野 澄夫
Sumio Makino
  • 京都大学大学院文学研究科博士課程修了
  • 専門は「西洋哲学史」
  • 京都コンピュータ学院副学院長,京都コンピュータ学院京都駅校前校長

上記の肩書・経歴等はアキューム15号発刊当時のものです。