日本は観光立国政策の推進に合わせて,メディカルツーリズム市場の拡大を目指してきた。良質な医療サービスと高い医療技術を有する日本は,海外の富裕層が好んで利用する市場の一つになっている。
本研究は,日本のメディカルツーリズムの発展における政府の政策,医療現場の対応,日本医師会,医療渡航支援企業,メディカルツーリストなどの複合の視点からアプローチし,直面される問題点を明らかにし,政策と実践の双方から円滑なメディカルツーリズムの実現の可能性を検討する。そして,Withコロナ時代における医療インバウンドの推進策,医療の国際化と医療イノベーションのあるべき姿を模索する。
また,本学は,「社会のニーズに応え,時代を担い,次代をリードする高度な実践能力と創造性を持った応用情報技術専門家を育成する」という建学の理念で示されるように,日本最初のIT専門職大学院として「観光IT専門分野」を立ち上げ,医療ツーリズムに関する専門知識の修得や問題発見・企画・設計力の養成,技術の実践的活用などを目指している。そのため,本論文は,「大社連携」(大学と社会との連携)に基づき,日本のメディカルツーリズムの発展を産学共創の視点からも考察していく。
近年,患者が国境を越えて海外の医療サービスを受けるというメディカルツーリズムは,アジア諸国を中心に推進されていた。日本も観光立国政策の推進に合わせて,2010年以降メディカルツーリズム市場の拡大を目指してきた。日本経済新聞社2019年10月の報道によると,日本国内の医療ツーリズム市場は2020年の潜在需要が43万人,5,500億円規模とされる。新型コロナウイルスの世界規模の流行がなければ,日本におけるメディカルツーリズムはより一層の発展が考えられる。その背景には,メディカルツーリズムは海外の患者が渡航先で医療サービスを受けることに伴った医療費や滞在費などの支出だけでなく,患者に同伴する家族や見舞客の消費効果も加算されれば,その経済的波及効果がより大きくなることは容易に想像される。
一方,新型コロナウイルスの影響で,世界のメディカルツーリズムが思うように展開できないだけでなく,市場規模の予測さえ立てられなくなっているのが現状である。日本市場においては,良質な医療サービスと高い医療技術を有しており,同伴者も安心して滞在できるという優位性を持っている。これらをもとに日本は海外の富裕層が好んで利用する市場の一つになっているが,これもコロナによる影響の長期化の中で,展望ができないまま年月を経ている。しかし,コロナによって日本市場の優位性が完全に消失したわけではなく,むしろコロナを機に日本の医療技術の一層の向上を通じて,Withコロナ時代への対応力を世界に見せつける良いチャンスと捉えよう。
本稿は,これまでの日本のメディカルツーリズムの展開における政府の政策,医療機関や医療現場の対応,日本医師会,医療渡航支援企業,メディカルツーリストなどの複合の視点からアプローチし,直面される問題点を明らかにした後,政策と実践の双方から,円滑なメディカルツーリズムの実現の可能性を展望し,Withコロナ時代における医療インバウンドの推進策,医療の国際化と医療イノベーションのあるべき姿を模索する。
また,本学は,「社会のニーズに応え,時代を担い,次代をリードする高度な実践能力と創造性を持った応用情報技術専門家を育成する」という建学の理念で示されるように,日本最初のIT専門職大学院として「観光IT専門分野」を立ち上げ,医療ツーリズムに関する専門知識の修得や問題発見・企画・設計力の養成,技術の実践的活用などを目指している。そのため,本稿は,「大社連携」(大学と社会との連携)に基づき,日本のメディカルツーリズムの発展を産学共創の視点からも考察していく。
メディカルツーリズムは,「医療観光」ともいい,一般に患者が治療や手術,検診などの医療サービスを受ける目的で他国や他地域を訪ねることを意味する。主に安い手術代や投薬費,高度医療技術・臓器移植・整形手術・健康診断・性転換手術など,自国では不可能,高価,求めている結果が得られない医療を受けることを求めて,先進国の患者や途上国の富裕層患者などが他国へ渡航するものが中心である。渡航先には,医療技術が優れ医療費が安い東南アジアのシンガポール,タイ,マレーシアなどが多く選ばれている。また,美容整形外科手術や歯科医療などで訪問する観光客の多い韓国も,各国の富裕層などへ高度医療を売り込もうとしているなど,多くの国が医療観光への参入を目指している。
また,医療観光に訪れる患者は長くその国に滞在するほか,同伴する家族やその見舞客も訪問することもあるため,ホテルや観光地などの分野へも波及効果が大きい。そのため,外貨獲得や,医療機器の需要増,現地消費の拡大などのメリットも各国がメディカルツーリズムに参入してくる理由となる。
医療技術・情報の格差の解消を目的としたメディカルツーリズムは,1990年代から注目されるようになった。グローバル化の進行により,世界中で国境を越えた人の動きが活性化し,インバウンド市場は拡大し続けるとともに,メディカルツーリズムの規模の拡大も続けており,その市場規模は1,000億ドル以上とも言われている1。特に東南アジア諸国においては,外貨獲得の手段として,医療観光に注力していたことから,急速に市場規模の拡大をもたらした。その背景には,アジアにおける経済成長に伴った国民可処分所得の上昇がある。世界規模のマスツーリズム時代の到来と言われるように,アジア諸国の国民の間に海外旅行がブームになり,富裕層を中心に海外旅行のついでに医療先進国で健康診断や,受診,治療,美容などのニーズも急増していた。これらは受け入れる側にとって,その対応次第では,新たな観光資源の創出とともに,インバウンド観光の振興にもつながることから,より一層メディカルツーリズムの環境整備に尽力するという好循環を作り出している。
日本におけるメディカルツーリズムは,国土交通省,経済産業省,厚生労働者などの省庁が関係している。しかし,メディカルツーリズムの定義に関しては,それぞれ違うニュアンスを持つ傾向がある。例えば,国土交通省観光庁では「医療観光」,経済産業省では「サービスツーリズム(高度健診医療)」,厚生労働省では「医療ツーリズム」などの表現を使うケースがしばしば見られる。もちろん,「医療観光」でも,「サービスツーリズム(高度健診医療)」でも,「医療ツーリズム」でも,三者は患者が医療サービスの受診・受療を行う目的で他国を訪問し,合わせて受診国で観光を行うなどに共通点があると言える。日本においては,高度な医療技術,低カントリーリスクなどの観光魅力があり,これらの魅力を有効に活用すれば,インバウンド観光がより一層の活性化につながることは,政府,地方自治体の共通認識である。そのため,観光立国の推進に合わせて,各関係省庁では積極的にメディカルツーリズムに関する施策を検討し始めるようになり,また,多くの地方自治体でもインバウンド観光客誘致の一環として,メディカルツーリズムの展開に乗り出した。
本格的な医療ツーリズムに関する日本政府の取り組みは,2009年の「新成長戦略」から始まった(表1)。同戦略のもとで,医療ツーリズムが「国際医療交流」と位置付けられ,2010年には閣議会議を経て正式に決定された。日本の医療ツーリズムのスタートこそ他の先発国から大幅に遅れをとってはいるが,日本での医療ツーリズムは2020年時点で年間43万人程度の潜在需要があるとみられ,市場規模は約5,500億円,経済波及効果は約2,800億円と試算されている2。産業としての成熟度はまだ低いものの,日本において今後の成長を期待できる分野であることは間違いない。
表1 医療ツーリズム推進に関わる政府機関の主な動き
| 内閣府 | 2009年12月 新成長戦略(基本方針) 6つの戦略分野のなかに「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」を盛り込み,「アジアなど海外市場への展開促進」として「アジアの富裕層等を対象とした健診,治療等の医療および関連サービスを観光とともに促進」として,医療ツーリズム支援のための方針を示す |
|---|---|
| 経済産業省 | 2009年「サービス・ツーリズム(高度健診医療分野)研究会」を発足と取りまとめ 2010年9つの医療機関による同研究会実証事業を実施し,「国際メディカル・ツーリズム調査事業」として報告 |
| 厚生労働省 | 2009年医療ツーリズムプロジェクトチーム立ち上げ |
| 国土交通省 観光庁 |
2009年「インバウンド医療観光に関する研究会」設置,研究会開催 2010年には医療機関による実証事業実施 |
| 外務省・法務省 | 2010年中国人観光客の個人訪日ビザの発給条件緩和を決定 |
| 経団連 | 2009年「経済戦略レポート」に新たな需要が期待される5分野の1つとして医療産業を盛り込む。潜在的需要のある「メディカルツーリズム」推進に向け,国策としての体制構築を提言 |
出所:各種資料よりまとめ
「外国人患者」の種類とその類型別特徴医療機関における外国人患者の受け入れ体制整備の観点から言えば,「外国人患者」は次の3つに大別することができる。日本に長期滞在している「在留外国人患者」(第1類型),健診や治療目的でわざわざ日本の医療機関を受診するいわゆる「医療ツーリズムの外国人患者」(第2類型),観光や仕事で日本に短期滞在している間に病気やけがで治療が必要となった「訪日外国人旅行客の患者」(第3類型),の3つである。
出所:各種資料よりまとめ
従来,日本で外国人患者といえば,第1類型の「在留外国人患者」がほとんどであった。彼らの多くは日本の公的医療保険に加入し,日本に長期在留していることから,医療機関の受診方法をはじめとして,日本の医療文化や医療習慣も一定程度理解している。また,日本語でのコミュニケーションが可能な者も少なくないため(もしくは家族や友人,地域のボランティア等により医療通訳の確保も比較的容易であるため),医療機関としては日本人患者と特段区別することなく治療を行うことが可能な外国人患者ということができる。
ただし,観光立国に伴った訪日外国人の増加は,第2類型,第3類型の外国人患者の増加をもたらしている。第2類型は治療の目的で来日のため,言うまでもなくメディカルツーリストに属する。100%自費であり,中間業者が介在するため,代金回収不能や言葉や文化の違いへの心配はさほどいらなく,緊急性もないため,比較的に対応が容易とされる。第3類型は医療ビザではないが,日本で医療を受ける面から見て,メディカルツーリストと捉えることができる。ただし,緊急性が高いケースが多く,代金回収や言語,文化などに不安が残る。
実際に,第2類型の医療ビザで来日した患者へのビザ発給数から見ると,2011年の70件程度から2019年の1,653件まで拡大した。2020年は新型コロナウイルスの世界規模の流行で減少したものの,それでも622件が発給されており(図1),メディカルツーリストにとって日本で治療を受けることに根強い支持があると言える。一方,医療ビザ発給対象者は,中国人患者が全体の8割以上に達していたことが特徴である。その背景には,近年の訪日中国人観光客の急増に伴った日本の高度な医療サービスを利用したいという中国人メディカルツーリストの増加がある。観光立国の効果はメディカルツーリズムにも反映されつつあると言える。
図1 医療ビザ発給数の推移また,外国人患者受け入れ実績に関する厚生労働省の調査では,2018年に49.50%の病院は受け入れたことがあるのに対して,2019年では53.30%に増え,日本の病院の半数以上がメディカルツーリストを含む外国人患者を受け入れていた実態が分かる(図2)。これも訪日外国人の増加に伴った外国人患者が増えたことが背景と考えられる。
図2 外国人患者受け入れ実績
出所:JCI資料より
メディカルツーリズムの進展に伴って,病院にもグローバルスタンダードの視点が求められるようになる。そこから生まれたのはJCI(Joint Commission International)であり,医療の質や安全性など,医療水準を認証する国際的な医療機能評価に関する制度である。同制度は米国内の病院に対する第三者審査機関としてスタートしたのを機に,現在は全世界でそのノウハウを活用した審査を実施している。同制度の認証は特に「医療ツーリズム」を推進する国々にとって,有利な制度であるため,各国は認証取得に積極的である。日本では,2009年に亀田総合病院の取得を皮切りに,2016年末現在18の施設が認証を取得している(表3)。
併せて,日本国内でもJMIP(Japan Medical Service Accreditation for International Patients)やJIH(Japan International Hospitals)という認証制度が発足し,多言語による診療案内や,異文化・宗教に配慮した対応など,外国の方々が安心・安全に日本の医療サービスを受けられる体制を整えている。
メディカルツーリストは日本で治療を受けるに当たって,大きく「来日前」,「来日」,「帰国」という3段階に分けられ,様々な関係者による様々な対応が求められる。特に「来日前」では,要望ヒアリング,医療機関のマッチング,受け入れ調整,支払い代行,医療通訳・TV通訳の手配,宿泊・観光手配などの多種多様な準備が求められる。また,「来日」は空港への送迎,医療通訳アテンド,家族・同伴者へのサポートなどがある。そして,「帰国」時の治療費精算,空港への見送り,アフターフォローなども不可欠である(図3)。これらの各段階において,様々な関係者が,様々な側面から様々な対応が求められるだけでなく,様々な問題にも直面しなければならない。つまり,インバウンドに限定して見れば,経済面のプラス効果が大きいが,メディカルツーリストの受け入れになると,上記のようなインバウンドの視点だけで見えてこないものが多い。そのため,日本国内では,メディカルツーリズムの展開に対して,様々な議論が行われているのが現状である。以下では,メディカルツーリズムを展開するに当たっての重要と思われる視点を整理してみる。
図3 メディカルツーリスト来日までのフローチャート日本では国民皆保険制度がある。国民皆保険制度は世界最高レベルの平均寿命と保健医療水準の実現を目指して,国民の安全・安心な暮らしを守ろうとしているのが制度の趣旨である3。このような完備された保険制度のもと,高額な医療費は国が負担し,誰でも同じレベルの医療サービスを受けることができる国は,先進国の中でも極めて少ないと言われる。一方,高度な医療技術を要する治療,医療サービスを受ける機会が限られ,特定の病院でしか受けられない海外の患者は日本の医療資源を多く利用される場合,本来日本国民または国民健康保険加入者しか受けられない医療サービスはメディカルツーリストに割安な料金で利用されるという指摘がある。
観光立国が推進される中,各都道府県においても訪日外国人旅行者の増加を期待し,地域活性化を目指してそれぞれ取り組みが進められている。メディカルツーリストを訪日外国人の一タイプと捉えると,受け入れの推進は地域活性化にプラス効果をもたらすことに間違いない。しかし,医療機関としては,外国人患者受け入れの経験不足や,受け入れ体制の不備により,医療現場での負担感の増加,トラブルの発生,代金の未回収などの問題が多く発生し,外国人患者受け入れに不安を感じるケースも多々ある。
日本医師会は,メディカルツーリズムには消極的な姿勢を示している。その理由は下記のものがあげられる4。
要するに,営利企業が参入し,利潤追求,外貨獲得のための医療,ひいては一部の富裕層のための医療は,従来の日本国の医療方針に反するもので,混合診療解禁につながることも強く懸念している。
日本では,健康保険の医療サービスに関する金額は主に厚生労働大臣が決めることになっている。そして,健康保険の範囲内の診療と範囲を超えた診療が同時に行われた場合でも,平等な医療を提供するために,範囲外の診療に関する費用を患者から徴収することを禁止している。もし,患者から費用を別途徴収した場合は,その疾病に関する一連の診療の費用は,初診に遡って「自由診療」として全額患者負担となるルールになっている。一連の医療サービスの中で,例外として患者から別途費用徴収を行うことが認められているのは,差額ベッド(入院した時の個室代)や新しい高度な医療技術などのごく一部である。これを背景とすると,混合診療には,このような問題が潜んでいる。
そこで,メディカルツーリストを患者としての捉え方,自国患者と平等に受診させる実践的可能性,差別化された受診金額の設定の必要性などの問題が生じる。メディカルツーリズムの推進に当たって,国土交通省,経済産業省,厚生労働省などの関係省庁は多元的な施策を通じて,メディカルツーリストにできるだけ詳しい情報を伝えるように努力しているが,医療現場では,情報格差の解消だけでは,現実的な問題の解決につながらない。現場での問題を解決せずに,メディカルツーリストを大量に受け入れるのは,現場にトラブルの増加,さらに医療システムの妨害につながるという逆効果を招く恐れがある。
医療ビザとは,日本の医療機関の指示による全ての行為(人間ドック,健康診断,検診,歯科治療,療養(温泉湯治を含む)等)について,これを受けることを目的として訪日する外国人患者・受診者等(以下,「外国人患者等」)及び同伴者に対し,発給されるものである。
既述のように,2009年ごろから日本の医療ツーリズムに対する取り組みが本格化したことを機に,厚生労働省は「医療ツーリズムプロジェクトチーム」,経済産業省は「サービスツーリズム研究会」,観光庁は「インバウンド医療観光に関する総合研究会」を相次いで立ち上げた。また,2010年の新成長戦略に「国際医療交流」が盛り込まれ,2011年1月に医療ビザが解禁された。最長1年滞在,最長3年の数次医療ビザの取得可能は,医療ビザで来日する外国人患者が次第に増えるようになった。
ただし,外国人患者等及び同伴者がビザ申請を行うに際しては,日本の国際医療交流コーディネーターもしくは旅行会社等の身元保証を受ける必要がある。外国人患者等からの依頼を受け,日本の医療機関における外国人患者等の受け入れをアレンジする国際医療交流コーディネーター及び旅行会社等は,身元保証機関としての登録を行う必要がある。
診療価格の決定方法については,診療報酬点数表を活用した倍数計算(いわゆる1点=〇〇円として換算すること)を行っている。外国人患者の受け入れが多い,JMIPもしくはJIH登録医療機関に限ると,3割の病院が1点あたり10円としているものの,6割の病院が1点あたり20円以上で請求していた。拠点的な医療機関でも,全体より1点10円以上の価格設定をしている医療機関が多い傾向にあった。自由診療のため,診療価格のばらつきは不可避であるが,定価の難しさ,医療平等への配慮,自費診療と保険診療が同じ医療資源を利用していることなどもまた混合医療が進みにくい原因になっている。
がんの後期治療や,幹細胞などの単価が高い医療サービスに対して,患者は自らの意思で治療を受けるための来日であるので,営利や研究を目的とする病院などでは自由診療,混合医療の推進に積極的であるが,国公立大病院,有名な私立病院,キャパシティ不足の施設などでは混合医療の推進が進んでいない。こういう消極的な傾向は経済産業省が実施したアンケート調査から確認される。同省ヘルスケア産業課が2008,2012,2015年度に全国約9,500の医療機関を対象に実施したアンケートでは,外国人患者受け入れの取り組み状況や課題について,47%の医療機関が「経験・意向なし」と回答した。外国人患者の受け入れ意向が消極的な理由のベスト3は,1位国内患者対応により人手が不足(23.8%),2位多言語・異文化への対応(19.8%)(院内表示,各種文書や食事など),3位外国語を話すことができる医師,看護師が不足(19.4%)である5。
医療渡航支援企業とは,日本で医療サービスを受けるために訪日する受診者に対し,受け入れに関わる一連の支援サービスを提供する事業者のことである。受け入れ医療機関のコーディネート(日本の医療機関が受診者の受け入れ可否を判断する際の医療情報のやり取り等に関わる業務を含める),多言語に対応する通訳,交通宿泊の手配,医療費の支払い代行等の業務を主に担当する。よりサービスの質の平準化を図るために,医療国際展開タスクフォース/インバウンド・ワーキンググループにて策定されたガイドラインの基準を満たした企業に,認証医療渡航支援企業(AMTAC)の認証制度が2015年から導入された。
医療渡航支援企業は渡航者の立場に立って,事前サポートと来日後の滞在サービス全般を担当し,患者に大きな信頼を得られている一方,医療機関からすると,民間営利企業が間に入っていることを必ずしも前向きに受け入れているわけではない。中でも医療通訳に求められる知識の不十分が理由の一つとしてあげられる。医療通訳にある一定レベルの医療知識を有することが求められる。特に難しい治療を要する海外の患者に丁寧な説明を通じて理解してもらい,安心して手術を受けることは重要である。現状では,医療通訳は日常的なコミュニケーションに問題がなくても,専門分野になると資質の限界が生じることがあり,医師と患者との橋渡し役ができないまま施術してしまい,時に問題を起こすこともある。
2020年末の時点で,中国の医師の数は408万6,000人に達し,人口1,000人当たりの医師数は2.9人に達した6。ちなみに2019年に発表されたOECD人口1,000人当たり医師数は,日本では 2.4人,OECD平均は3.5人である7。医師の数的には,中国はOECD先進国に劣るものの,日本に比べ決して遜色がある数字ではない。それでも中国人患者が海外の医療サービスを利用する人が増え続け,2012年に4.3億元の海外医療仲介サービス市場規模が,2018年に63.2億元に急拡大した(図4)。
図4 海外医療仲介サービス市場規模
図5 訪日中国人観光客の推移(単位:万人)その背景には,①都市部を中心に富裕層の増加,②海外旅行のついでに診療を受けられる,③安心して利用できる海外の医療サービス,医療技術があるということがある。特に既述のように,日本の医療ビザ発給対象者に占める中国人患者の割合が全体の8割以上に達していたことは象徴的な数字と言える。OECDの日本の医療の質に関する紹介では,「プライマリケアの質は良い」,「病院医療の質も良い」,「がん生存率も高い」などがあげられており8,これらは中国人患者が近隣の日本に集中する状況を作り出したと考えられる。特に訪日中国人観光客数の推移を見ると,2019年には史上最多の959万人に達した。同年訪日外国人総数3,188万人に対して,訪日外国人の3人のうち1人が中国人観光客という計算になる。この事実からも中国人メディカルツーリストが日本に集中する理由をうかがい知ることができる。
新型コロナウイルスの影響で,医療業界に急激な変化をもたらし,世界各国において,医療機関・医療現場の作業安全性と効率化,そして,さらなるデジタル化の推進が求められている。日本においても,健康・医療・介護分野のICT化が急速に進められている。中でも,厚生労働省は,2017年1月に「データヘルス改革推進本部」を立ち上げ,同年7月に「国民の健康確保のためのビッグデータ活用推進に関するデータヘルス改革推進計画」9が注目される。
デジタル化が進んだ社会像としての「Society 5.0」があげられる。高度化するICT技術や膨大なデータの利活用により,医療分野では様々な取り組みが注目される。例えば,医療電子カルテシステムの構築により,受診者の情報を複数の医療機関でデータ共有できるようになる。遠隔診療の利用や最適な治療方法を提供し,受付システム・検査システムの一元管理にも寄与する。メディカルツーリズムの利用者のニーズや要望をリアルタイムで共有し,より良い提案とサポートによって満足度向上に繋げると考えられる。
メディカルツーリズムの推進に当たって,各省庁はこれまで医療機関における外国人患者の受け入れ実態調査や,「病院のための外国人患者の受入参考書」の作成と配布,外国人患者受け入れにおける事例紹介セミナーの実施,ホームページ,カタログ,パンフレット,動画等を通じた海外への情報発信,海外イベントにおけるブース出展などの取り組みを行ってきた。一方,これまで論じてきたように,日本におけるメディカルツーリズムは産業としての成熟度がまだ低いが,今後の成長を期待できる分野であることは間違いない。
特に医療の国際化を目指していくためには,混合医療の推進は不可避である。そこで,政府に対しては,受け入れ体制の整備,診療価格の明瞭化,海外における日本医療サービス認知度の向上が求められる。また,医療渡航支援企業や医療機関への支援,及び外国人医療渡航支援の強化が不可欠である。また,医療機関においては,多言語応対能力や,未収金リスクへの対応策の強化,そして,これらの情報をホームページやSNSツールの活用を通じて発信し,必要に応じて旅行会社との提携,現地出張所や代理オフィスの設置,外国人向け医療コーディネーターの配置などが考えられる。
また,Withコロナ時代に備えた遠隔診療も重要であろう。2017年以降,日中間の遠隔医療事業として,訪日受診促進プロジェクトと日中遠隔医療を行うための中国医療ICT人材育成拠点構築実証事業などがある。中国の国立病院と日本の私立総合病院の間に遠隔医療ネットワークを構築し,院内に「訪日受診者紹介センター」を開設することで,渡航受診者のスクリーニングを行うほか,先進医療や体のへの負担が小さい低侵襲医療の診療はすでに存在しており,同時に医療ICT人材の育成も始まっている。日中遠隔医療支援センターの設立は,日本メディカルツーリストの主要供給源である中国の患者が来日前から日本の医療事情に一定の理解を有し,安心して日本で治療を受け,帰国後もアフターフォローを受けられる上で,必要不可欠なものである。また,今後,日本のメディカルツーリズム産業を安定的に発展,拡大させていく上で不可欠なものになろう。
新型コロナの影響で,メディカルツーリズムを推進するアジア諸国は,各レベルの国際間の人的移動に規制をかけた。その結果,近年のメディカルツーリズムの市場規模は予測不能な状態に陥っている。日本市場は良質な医療サービスと高い医療技術をもとに,今後もその優位性の発揮が期待される。特にメディカルツーリストの受け入れに前向きな医療機関を中心に,率先して受け入れの拡大を通じて,市場を育てていくことが不可欠であろう。自由診療を前提とするメディカルツーリズムは,国のサポートと医療機関の受け入れ体制のもと,きっと健全な市場として成長していくと期待される。コロナを機に日本の医療技術の一層の向上と様々な医療イノベーションを通じて,Withコロナ時代のメディカルツーリズム先進国を目指すチャンスと捉えよう。特にメディカルツーリズムの推進を下支えするデータヘルス基盤づくりは,医療業界の新たな経営モデルとノウハウの創出及び体制強化に極めて重要であり,Withコロナ時代のメディカルツーリズムを推進する原動力の一つと言えよう。
本稿は,メディカルツーリズムの発展をめぐる様々な課題を考察してきたように,受け入れ体制の整備,保険制度の仕組みや医療渡航支援企業との連携など,多岐にわたって解決・改善すべきところがあることを明らかにした。課題提起とともに,医療業界において最先端技術の進歩によって新たな価値を持続的に創造できれば,今後において,メディカルツーリズムのさらなる発展にも寄与することも考察した。
「知識集約型社会」は,資源やモノではなく知識を共有し集約することで,様々な社会的課題を解決し,新たな価値が生み出される社会を構築していくことである。中でも,新たな価値を持続的に創造し,Society5.0社会の推進,持続可能な開発目標(SDGs)を実現することは,「知識集約型社会」の拠点である大学が担うべき役割である。そのため,産業界と教育界のシームレスな連携が必要不可欠であり,産業界のノウハウやニーズと教育界のアカデミック・シーズを有効にマッチングしていくことは,大学・企業・学生の三位一体によるイノベーションの創出にもつながる。
今後,メディカルツーリズムを推進する主要国の大学・企業との学術交流協定や共同研究,国際シンポジウムなどを通じて,世界的な「縦横連携」ネットワークの構築により,医療のIT化,そして,産学共創による医療の国際化に貢献しうるグローバルな人材の育成は,大学にとって重要な責任と言えよう。