近年,訪日中国人観光客の急増に伴って,日本の医療サービスを活用する中国人メディカルツーリストも増加し続けている。中国人患者が海外の医療サービスを受ける背景には,中国国内の医療事情がある。「看病難」(診療を受けるのが難しい),「看病貴」(診療を受けられても医療費が高い)と言われるように,質の良い病院が大都市に偏在するがゆえに生じた都市部と農村部の医療格差,大病院に患者が集中するため,待ち時間が長いことに対する不満,医師の治療に対する不安から生じた医師や医療機関への不信感といった社会問題が存在する。本稿は,中国国内医療事情への考察を通して,中国人メディカルツーリストによる海外医療サービス利用の現状と背景を明らかにする。そして,中国の問題を突破口として,日本における医療インバウンド推進の可能性,及び医療国際化のヒントを探る。
メディカルツーリストとは,一般に患者が治療や手術,検診などの医療サービスを受ける目的で他国や他地域を訪問する人々を意味する。日本では,メディカルツーリストを受け入れることは「国際医療交流」と位置づけ,2009年の「新成長戦略」を機に,メディカルツーリズムがスタートした。日本経済新聞社2019年10月19日の報道によると,2020年のメディカルツーリズムは,年間43万人程度の潜在需要,市場規模は約5,500億円,経済波及効果は約2,800億円と試算されている。
医療ビザで来日した患者へのビザ発給数を見ると,2011年の70件から2019年の1,653件まで拡大し,特に2020年に新型コロナウイルスの世界規模の流行にもかかわらず,622件が発給されており,メディカルツーリストにとって日本で治療を受けることに根強い支持があることが分かる。一方,医療ビザ発給対象者を見ると,中国人患者が全体の8割以上を占めていたことは特徴的である。その背景には,近年の訪日中国人観光客の急増に伴い,観光のついでに日本の医療サービスも受けてみたいと思っている中国人メディカルツーリストの増加があった。
また,中国人患者が海外の医療サービスを受けるに当たって,中国国内の医療事情にも関係している。「看病難」(診療を受けるのが難しい),「看病貴」(診療を受けられても医療費が高い)と言われるように,質の良い病院が大都市に偏在するがゆえに生じた都市部と農村部の医療の格差,大病院に患者が集中するため,待ち時間が長いことに対する不満,医師の治療に対する不安から生じた医師や医療機関への不信感などの社会問題が存在する。これらは,都市部の富裕層を中心に海外旅行のついでに,まず健康診断や病気予防などを受けてみたいという需要を引き起こし,中でも医療サービスが充実し,医療技術に対する安心感のある近隣の日本がメディカルツーリズムの主要地域として中国人メディカルツーリストに選ばれるようになったのである。このような背景の下,本稿は,中国国内医療事情の考察を通して,中国人メディカルツーリストによる海外医療サービス利用の現状と背景を明らかにする。そして,中国の問題を突破口として,日本における医療インバウンドの推進,及び医療国際化のヒントを探る。
新型コロナウイルス世界規模流行前の10年間,中国における海外旅行者数は年々増加し,2009年の4,765万人から2019年の1億5,000万人と,3倍以上の拡大を実現した1 。同年の全世界旅行者は14.6億人2であったことから,海外旅行者10人のうち,1人が中国人観光客という計算になる。このような中国人観光客の急増は,海外で医療サービスを利用する中国人メディカルツーリストの増加をもたらしている。
図1に示すように,2012年2万人程度の中国人メディカルツーリストは,2018年には27万人まで拡大していた。治療目的別から見ると,形成外科と美容に関連した医療サービスを受けた人は80%以上であったが,重病・難病の治療を目的とした人は約2割を占めていた3。このようなメディカルツーリストの増加は,中国のメディカルツーリズム市場規模の拡大をもたらし,海外医療仲介サービス市場規模は2012年の4.3億元から2018年の63.22億元に成長し,6年の間に市場規模は15倍まで拡大していた。また,海外で医療サービスを受けるに当たって支払った医療費は,1人当たりでは2万元(約36万円)で推移していた(図2)。これは2018年日本人1人当たり年間医療費34万3,200円4を上回り,メディカルツーリズムの拡大は日本の医療収入の拡大にも有効であることが分かる。
図1 2012年から2018年までの海外受診患者数(万人)
図2 海外医療仲介サービス市場規模中国人メディカルツーリストが急増した背景には,富裕層の増加や,健康や医療に対する国民意識の向上に伴った医療需要の増加のほかに,中国医療現場で見られる特殊な要因がある。中国の医療環境といえば,「看病難」,「看病貴」というキーワードに集約されている。これまで都市部や農村部において様々レベルの医療改革を模索し,様々な対策を打ち出してきたが,「看病難」,「看病貴」に対する有効な対策にはならなかった。むしろ時間がたつとともに,問題の深刻度合いを増していく。
これらは,特に海外旅行に慣れている都市部の富裕層の間に,海外旅行のついでに美容整形や健康診断を受けたり,やがて海外の病院で手術を受けたくなるニーズが生まれてくる。また,これらのニーズを吸収する形で生まれた海外医療仲介会社により提供されたフルセット型の海外医療サービスによって,海外で治療を受ける患者の心理的なハードルが下がり,医療サービスが充実し,医療技術に定評のある国や病院にメディカルツーリストを集中させる結果となった。また,医療サービスの目的も当初の美容整形,健康診断,病気予防などから,重病・難病の治療,外科手術まで広がり,中国における本格的なメディカルツーリズム市場の誕生につながった。
海外で医療サービスを受ける人が増加し続ける実態を把握するために,まず中国の医療事情への理解が不可欠である。以下は,中国の病院,病床,医師,医療費と医療保険制度,「健康中国2030」などの視点から,増加し続ける中国人メディカルツーリストの背景を考察する。
中国における医療機関の分類は,①病院(公立病院,民営病院),②基層医療衛生機関,③専門公共衛生機関という三種類に大別される。病院は,病院の病床数や医療環境基準により三等級に分類される。一級医院は居住区レベルの病院で,病床数が100床以下である。二級医院は市や区レベルの病院で,病床数が100~499床である。三級医院は中国衛生部・省衛生庁・市衛生局の管轄で,大学付属病院など病床数が500床以上の病院である。標準的に使われるのは「三級六等」であり,厳密に言えば,それぞれの等級は医療技術や設備によって三級甲・三級乙・三級丙のように3つに分けられ,これに三級特級を加えて,10等級とする場合もある。
また,基層医療衛生機関は,コミュニティー衛生サービスセンター,郷鎮衛生院,村衛生室,クリニックなどに分けられる。そして,専門公共衛生機関には,疾病予防管理センター,専門疾病予防治療機構,婦人児童保健機構,衛生監督センター,計画産児技術サービス機構などが含まれる(表1)。
出所:「2020年我国衛生健康事業発展統計公報」より
80年代の改革開放を機に,中国経済の成長とともに,医療機関数や医師・看護師の数,および病床数も増え続け,医療の質の向上に貢献してきた。表1で示すように,国家衛生健康委員会が公表した「2020年我国衛生健康事業発展統計公報」では,2020年末現在,中国には35,394の病院,970,036の基層医療衛生機関,および14,492の専門公共衛生機関を含む,計10,222,922の医療機関がある。
図3 中国衛生施設数と病院が占める比率の推移ただし,図3で示すように,中国医療施設の総数は1985年以降の変化が小さかった。また,医療環境の充実度合いを示す病院の数は,その割合が少しずつ増えてはいたが,それでもごくわずかである。つまり,医療施設の総数,および医療技術水準が比較的に高いとされる病院の割合は,経済成長に伴った国民健康需要増に見合った成長が実現できていないと言える。
特に医療施設の中で最も割合が高いのは,基層医療衛生機関に所属する村衛生室である。その数は2020年に608,828施設である。これは,中国医療機関の約6割が農村部の村レベルのクリニックにとどまっていることを意味し,高い医療水準の維持には程遠いと推察される。実際,中国の医療水準の評価に値するのは3.5万施設の病院である。これらの病院は,大抵人口密度の高い都市部に集中しているため,「看病難」の状況は容易に想像される。もちろん,人口の多い省に対して,国は医療施設を多く設置する施策があり,その合理性が認められるが,その内訳を見ると,ほとんどが高度な医療水準を持たない郷鎮衛生院レベル的のもので,人口の多い地域での医療圧力の軽減につながっていない現状が分かる。結果的に,重病の患者は少ない総合病院に集中する状況を作り出し,「看病難」をさらに激化させていく。
上述のように,中国現有の医療施設の約95%は基層医療衛生機関に属しており,医療技術や設備などが充実している病院はわずか3.5%(2020年)しかない。このような状況の下,重病,難病患者へ十分に医療サービスを提供できてないと想像される。また,医療水準を評価する場合,医師の技術,病床数も重要な指標となる。
図4 中国医療機構病床数の推移図4で示すように,全国医療機関病床数は2015年の701.5万床から2020年の910.1万床に増えたが,同期間の伸び率は逆に6.3%から3.3%に低下していた。国民健康需要が増え続けていく中,病床数は相応の伸び率になっていない実態が分かる。特に入院治療を必要とする患者は基層医療機関で受診後,より大きな病院に転院治療が勧められても,病床不足のため,多くの患者が適切な治療が受けられなくなる可能性が考えられる。
図5 中国医療従事者数の推移医療産業の発展は,必然的に医療人材に対する需要増につながる。2015年から2020年の期間中,医師の数は303.9万人から408.6万人の1.3倍増,看護師は324.1万人から470.9万人の1.5倍増,その他の医療従事者は172.7万人から188.3万人の1.1倍増で,それぞれ増え続けてきた。特に人口1,000人当たりの医師の数では,2020年末の時点,中国は2.9人に達した。ちなみに2019年に発表されたOECD人口1,000人当たり医師数は,OECD平均は3.5人で,日本では2.4人である5。医師の数に限って見れば,中国はOECD諸国に劣るものの,日本に比べ決して遜色がある数字ではない。
ただし,医師資格を取得するための専門教育年数を見た場合,日本とは大きな違いが存在する。中国の医師資格試験受験者は,医学部卒業生と専科生に大別される。医学部卒業生は,さらに本科生(4年),臨床本科生(5年),修士(7年),博士(8年)のように分類される。4年本科生の場合,卒業後,医療機関で1年以上のインターンを経験した後,受験資格が得られ,最短5年で医師になれる。一方の専科生は3年制で,卒業後,医療機関で5年以上の実務経験を積んだ人は受験資格が得られ,最短8年で医師になれる。
中国産業信息網の発表によると,2009年から2018年までの10年間,大学医学部本科卒業生は5,909,023人,専科医学卒業生は4,582,763人であった6。つまり,若い医師の半数近くが専門学校レベルの教育にとどまっていることが分かる。もちろん,教育の年数で簡単に医療技術のレベルを判断できないが,医学部本科生出身の医師は大抵病院勤務を選び,中でも三級医院に集中している事実は注目される。通常,患者は病院を選ぶとき,医師の医療水準は重要な選択基準になる。結果として,患者はより良い治療を受けるために都市部の大病院,特に三級医院を優先的に選ぶ傾向がある。これらは結果的に優秀な医師の都市部の大病院集中を加速させている。
以上を背景に,多くの患者は治療のために3.5万施設しかない病院に集中し,限られた病院と医師が無限の患者に対応する状況を作り出している。もちろん,患者の受け付け難や待ち時間が長い,医師やスタッフの疲労困憊の常態化になるのは言うまでもない。これらは結果的に治療効率の低下を招き,「看病難」を深刻化させていく。
病院や医師など医療サービスの資源が不足する現状に対して,中国では医療改革が進められようとしている。その一つが民営病院の促進政策である。80年代の改革開放に伴って,民営病院の設立を認めるようになった。そして,民営病院への投資促進を目的に,2010年末それまで禁止されてきた外国民間資本による民営病院への投資が許可制となった。これらの施策が功を奏し,2015年には初めて民営病院の数が公立病院を上回るようになった。2020年末現在,公立病院総数は11,876施設に対して,民営病院数が23,524施設に拡大し,数的には民営病院は公立病院のほぼ2倍になっていた(図6)。
図6 中国における病院総数の推移ただし,長い間中国の医療の中心は公立病院で,民営病院は陰の存在であった。その理由は,民営病院の8割以上は小さな診療所であり,病床数は全体の1割に過ぎないからである。民営病院がこれまで成長してこなかったのは,以下の要因があげられる。
まずは,レベルの高い医師の確保が困難である。公立病院を離れると医師としてのキャリアパスが中断されるため,医師はなかなか民営病院への移籍に応じようとしない。また,他の病院とのかけもちには所属する病院の許可が必要になるが,所属する病院でも人手不足に苦しんでいることが多いため,許可を出さない傾向が強い。そのため,かけもちで応じてくれる医師でさえ確保が難しい。
次に,患者が集まりにくい。民営病院にはレベルの高い医師が少ないため信頼度が低く,患者が集まりにくい。そのため,仮に優秀な医師を確保できても,その人件費に見合うだけの患者の確保は容易ではない。表2で示すように,2020年各種病院医師一日当たり診察患者数では,公立医院が6.3人に対して,民営病院は4.3人にとどまっている。
出所:「2020年我国衛生健康事業発展統計公報」より
そして,厳しい経営条件である。民営病院には医療保険がほとんど適用されず,患者負担が重いことも競争上不利に働いている。また,2012年まで民営病院は「営利病院」としてしか設立申請ができなかった。営利病院は一般的なサービス企業と見なされ,公立病院よりも税負担が重い。そのほか,許認可手続きの煩雑さや用地取得の難しさなど,公立病院に比べ多くの面で不利な扱いを受けている。
本来は,民営病院と公立病院は互いに補完し合い,公立病院が満たせない医療需要を民営病院がそれを補う責任を負わなければならない。しかし,民営病院の設備,規模,医療水準のどれを見ても,これらの機能を果たせるような力を発揮できていないのが現状である。特に民営病院は利益を確保するために,所得が高い都市部に集中する必要がある。これは,都市部の患者にとっては一定の利便性をもたらすかもしれないが,医療保険が適用されないため,患者の多くは,依然として医療保険適用の公立病院を優先的に選ぶことになり,公立病院での受け付け難,治療難,入院難の解消には程遠いと言わざるを得ない。
国民健康意識の向上に従って,医療費支出額も継続的な上昇傾向を示している。図7は過去20年間の医療費支出額の実績を示したものである。2005年まで1桁台の支出額は,2006年に初めて10.9億ドルの大台に乗せ,それ以降,2009年22.2億ドル,2011年32.8億ドル,2013年45.1億ドルと,2年毎に10億ドルのペースで増えるようになり,さらに2017年からは1年毎に10億ドルずつ増え,2019年には76.4億ドルに達した。
図7 過去20年間中国の医療費支出医療費支出が急速に増加する背景には,中国社会における高齢化が急速に進み,がんや心血管疾病などが増え,疾病構造が欧米型に変化してきたと指摘される。また,医療現場に市場原理が持ち込まれ,診療報酬や薬剤単価などが病院サイドで一定の裁量権を持たせるようになったため,医療費の上昇につながったとされる。現状では,基礎的な診療報酬や薬剤については依然として政府が価格をコントロールしているが,重病や難病,または高度な治療を要する病気に対しては,病院が患者に対して高額な請求を求めることが多く,「看病貴」という言葉が生まれた背景にもなる。特に三級医院などの等級の高い病院の場合,患者の集中を避けるために,等級が高くなるに従って患者の自己負担の割合が高くなるように設定されて,医療費を通じて,患者の来院に制限をかけようとする意図を否定できない。
また,保険制度に関しては,中華人民共和国誕生後,国民皆保険を目指して公的医療保険制度の改革・整備を進めてきた。ただし,同じ国民皆保険を目指してきた日本と比べると,表3のような違いが存在する。
出所:日本厚生労働省,中国国家衛生部資料より筆者まとめ
日本も中国も「国民皆保険制度」を採用している点では同じであるが,制度の内容は様々な点で異なっている。日本の制度の大きな特徴は,国民全員を公的医療保険で保障すること,全国どこの医療機関でも自由に受診できるフリーアクセスであること,全国どこでも医療費はほとんど変わらず,同じレベルの医療サービスが受けられることなどがあげられる。それに対して,中国の医療制度は戸籍や就業の有無によって加入できる制度が2つに分かれており,公的医療保険制度でありながら,強制加入と任意加入が並存している。
また,日本のように患者の希望で全国どこでも受診できるフリーアクセスではないが,自分が保険料を払っている地域以外で受診する場合は,全額自己負担が原則であること,病院のレベルなどによって自己負担額が異なる点なども特徴としてあげられる。つまり,中国では,公的医療制度によって基本的な医療サービスは保障されるものの,よりいい病院,医師や薬,よりレベルの高い医療サービスを求める場合は,医療費の負担は高額になると言える。
中国国民皆保険制度の発展をたどってみると,1951年に都市部の国営企業を対象とした医療保険が導入されてから,2020年までおよそ70年間をかけて制度を整えることとなる。その間,2009年からは農村戸籍の非就業者に対して新型農村養老保険を,2011年からは都市戸籍の非就業者に対して都市住民養老保険の試行的な実施を開始し,そして,都市住民養老保険及び新型農村社会養老保険について,2012年末までに全国民へのカバーを実現し,2020年に国民皆保険目標の実現にたどりついた。
中国政府の発表によると,2020年末現在,基礎医療保険の対象者数は13億6,100万人に達し,人口の95%以上をカバーしている。また,同年の基礎医療保険基金(出産保険を含む)の総収入と総支出はそれぞれ2兆4,638億元と2兆949億元であり,収支バランスがとれている現状と言える7。
中国国務院が2019年7月15日に発表した「健康中国実施行動意見」(以下「意見」)によると,中国では工業化や都市化,高齢化の進展に伴って,心臓・脳・血管疾患,がん,慢性呼吸器疾患,糖尿病などが増加しており,これら生活習慣病による死亡者が総死亡者の約9割,コスト負担が総疾病負担の7割以上になっている8。
こうした現状の改善に向け,「意見」では,生活習慣改善や健康に関する知識の普及などに取り組みの重点が置かれた。具体的には,健康に関する知識の普及や禁煙(分煙,減煙を含む)の推進など,健康全般を改善する総合的施策,小中学生や妊婦,高齢者などの重点集団への対策,4大生活習慣病と感染症の予防などの特別対策を実施する。そして,2030年には主要な実行目標全ての到達時期とし,高所得国のレベルに達するとされる。
上記の実行目標の中,特に「健康保障の改善」に含まれる「医療保険制度の整備」「医薬品供給保障制度の整備」が注目される(表3)。なぜなら,「国家薬物政策の改善」に関して,薬価高騰を抑制する具体的な実施方法について言及があったからである。「臨床総合評価システムを構築し,政府の規制と市場マネージメントの連携を進め,医薬品価格形成メカニズムを完成する。そのために,価格,医療保険,調達等の政策連携を十分に行い,分類管理を堅持し,市場競争が不十分な医薬品や高価値の医療用品の価格監督の強化,医薬品価格情報の監視と情報公開システムの確立,医療保険の医薬品支払基準の策定を行い,改善する」としている。
出所:中国国務院2019年7月15日「健康中国実施行動意見」よりまとめ
また,「医薬品・医療機器流通制度の改革」では,医薬品・医療機器流通企業をサプライチェーンの上流・下流に拡大して流通システムを形成することに関しては,下記の詳述がある。
そして,2020年9月に国家医療保険局から,医薬品・医療用品の入札・調達プラットフォームに係るネットワーク,入札,調達,取引,決済,支払い,評価,その他のプロセス全体のサービス機能(科学的管理,データ監視,情報リンク,政府サービス,統計分析,意思決定支援等)の予備テストフェーズが完了し,試運転段階に入ったとの公式通知が出された。
このような「健康中国2030」に基づく改革の経緯の中で,医薬品・消耗品供給のための国家調達プラットフォームが確立して国家レベルの集中購買がより徹底するとなれば, 全国規模の調達量であることから「ボリューム交換価格」として扱われ,激しい価格競争で単価が急落することでメーカーが直接販売するしかなく,ディーラーそのものが存在価値を無くし,マーケティングに激変をもたらすことが予想される。これによって,長年の課題である「看病貴」の問題は,薬価の引き下げを機に,一部の解決が期待される。
上記で考察したように,中国政府にとり,今後より厳しくなる人口構成の中でどのように国民に適切な医療サービスを提供するかが喫緊の課題である。「健康中国 2030」において,キーワードの一つは「予防」であり,国民の健康診断に対する意識が高まり,健康診断を受ける人は年々増加しているが,課題として,健診項目・報告書が簡素すぎる,個人の状況に応じた健診アドバイザーサービスが少ない,健診の情報は自己管理でありフォローサービスが少ない,健診機関と病院の連携が少ない等があげられる
これらの予防的目標は,中国国民の健康的な生活を送るには有効であるが,「看病難」「看病貴」の現状に対して,短期的にその有効性が必ずしも期待できるとは限らない。つまり,これらを背景に,中国人患者の日々高まる医療需要に対して,特に一部の富裕層が海外の医療サービスを利用することは重要な選択肢の一つと考えられる。中でも,文化的,飲食習慣的に親しみがあり,医療サービスの充実さ,医療技術に安心感のある隣国の日本が優先的に選ばれる可能性が高い。
一方,日本国内では海外の患者を受け入れるに当たって,医療現場を中心に様々な議論があり,多くの課題を抱える中で見切り発車した感がある。2011年1月から医療ビザの発給が始まったが,発給件数は図8で示されるように,同年の70件から2019年の1,653件まで拡大していた。特に2020年に新型コロナウイルスの世界規模の流行で発給件数が減少したものの,それでも622件が発給された。これはメディカルツーリストにとって,日本で治療を受けることに根強い支持の表れと言える。
図8 日本医療ビザ発給数の推移そして,この限られた医療ビザ発給件数の中,中国人メディカルツーリストはそのうちの8割以上を占めている事実が注目される。複雑な申請手続きと厳しい要件にもかかわらず,それでも中国人メディカルツーリストは高額な医療費を払ってまで来日していた。高度情報化の時代において,中国の人々は様々なチャンネルを通じて海外の医療情報を収集し,自分や家族,友人の難病,重病の治療に最適な国,病院,医師に関する情報をまとめ,海外での治療の実現を目指している。
その背景には,①中国都市部を中心に富裕層の増加,②中国人観光客が海外旅行のついでに診療を受けられる,③安心して利用できる海外の医療サービス,医療技術があるという事情がある。特に日本の医療ビザ発給対象者に占める中国人患者の割合が全体の8割以上に達していたことには日本の医療サービスに定評があるからである。OECDの日本の医療の質に関する紹介では,「プライマリケアの質は良い」,「病院医療の質も良い」,「がん生存率も高い」9などがあげられており ,これらは中国人メディカルツーリストが日本に集中する状況を作り出したと考えられる。観光庁発表の訪日中国人観光客数を見ると,2019年には史上最多の959万人に達した。同年訪日外国人総数3,188万人に対して,訪日外国人の3人のうち1人が中国人観光客という計算になる。この事実からも中国人メディカルツーリストが日本に集中する理由の一つと考えられる。
一方,他のアジア諸国に比べると,メディカルツーリズムの発展が出遅れている日本は,産業としての成熟度がまだ低い点を否めない。ただし,近年の訪日中国人観光客の急増に伴った日本の医療サービス利用の拡大は,経験の蓄積や,問題点の整理,外国人向け医療サービスの充実などに良い機会であり,Withコロナ時代の観光立国政策がより一層の推進,メディカルツーリズムがより一層の発展に寄与する可能性が大きいと考えられる。
本稿は,中国国内医療事情の考察を通して,中国人メディカルツーリストによる海外医療サービス利用の背景を明らかにしてきた。現段階,「看病難」「看病貴」という中国国内の医療事情に対して,短期的に有効な解決策が見いだせないのが現状と認めざるを得ない。そのため,一部の富裕層を中心に海外の医療サービスを利用する根強い需要がこれからも続くとみられる。
一方,新型コロナウイルスの影響で,メディカルツーリズムを推進するアジア諸国は,各レベルの国際間の人的移動に規制を余儀なくされた。その結果,世界のメディカルツーリズムの先行きがほぼ予測不能な状態に陥っている。その中,日本は良質な医療サービスと高い医療技術をもとに,今後もその優位性の発揮が期待される。特にメディカルツーリストの受け入れに前向きな医療機関が中心に,率先して受け入れの拡大を通じて,市場を育てていくことが不可欠であろう。自由診療を前提とするメディカルツーリズムは,国のサポートと医療機関の受け入れ体制のもと,健全な市場として成長していくと期待される。
特に心臓・脳・血管疾患,がん,慢性呼吸器疾患,糖尿病などの治療に高度な技術を蓄積している日本の病院は,中国への進出も有望な選択肢の一つとして考えられる。その際,中国の民営病院との連携が重要であろう。既述のように,中国政府は民営病院の発展に力を入れ始めており,新病院の建設は公立病院より民営病院(外資系含む)を優先し,医師の多拠点就業制限の撤廃,非公立病院の診療報酬の自由化などの政策を次々と打ち出してきた。これは,中国の民営病院の存在価値を見直す良い機会と捉えられる。
「レベルの高い医師の確保が困難」,「患者が集まりにくい」,「厳しい経営条件」などは,これまで民営病院が抱える課題であるが,今後,外資の進出を受け,外資との共同経営によるこれらの課題の克服,そして,自由診療が認められる民営病院の優位性を有効に活用することができれば,民営病院と外資による技術と市場の交換を通じて,両者のWin-Win関係から,新しい時代に合った医療の国際化の姿を作り出すことは決して夢ではない。
中国経済の台頭は,80年代以降の改革開放が契機であった。特に外資主導による資金と技術の導入はその後の中国経済発展の基礎を作った。世界第2位の経済大国に躍進した中国では,今後急速な高齢化に対応した国民の健康生活を維持することに国の重点を移す必要がある。これらは,医療分野における新たな開放策と考えて差し支えない。そのための経営の自由度がある民営病院との関係構築は日本の医療改革,そしてWithコロナ時代の新たな発展を良い機会と考えられよう。一方,日本厚生労働省や,観光庁などが海外からのメディカルツーリストの受け入れを目指して,日本の優れた医療資源と地域に根差した観光資源とを組み合わせた支援事業を推進し続けており,Withコロナ時代のニューツーリズムとして,メディカルツーリズムを医療の国際化に資する新たな観光コンテンツの創出に期待をかけている。
そのため,Withコロナ時代における医療インバウンドの推進策,医療の国際化及び医療イノベーションのあるべき姿を考えるとともに,日本のメディカルツーリズムの発展における政府の政策,医療現場の対応など,政策と実践の双方から円滑なメディカルツーリズムの実現の可能性を検討し続けていくことも不可欠であろう。