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Accumu 最新号・Vol.26-27

私と吹奏楽

京都情報大学院大学 教授
倉谷 昌伺

響いておくれやす!ユーフォニアム

1. 音楽との出会い

私と吹奏楽のもととなる音楽との出会いは, 1967(昭和42)年,小学校5年生の自宅にステレオがやってきたときにはじまりました。当時は本体と左右両スピーカーの3つに分かれた家具調のソリッドステートのセパレートタイプのものでした。購入のきっかけは,各家を回るセールスマンの口車に乗せられ,『世界原色百科事典』という当時は各家庭に一揃い(全8巻)といった謳い文句の分厚い百科事典の購入でした。その中の一巻に10枚ほどのEPレコードの付録がついておりましたが,我が家には蓄音機しか再生する機械がありませんでした。時は高度成長の真っただ中,父親もその波に乗ったのでしょう,清水の舞台から飛び降りるつもりで前述のステレオを買ったのでした。同じ時期に小学校の担任(音楽担当)の男性教諭から「今日,放課後音楽室に来い!」(一人っ子で生意気で協調性がなかったのでしょう)と言われ,いきなりスタンディングシンバルの「ばち」をもたされ,「大太鼓を真似して叩け!」と言われ,何が何だかわからないまま叩いておりました。曲名は確かドイツの行進曲「双頭の鷲の旗の下に」でした。思い起こせば,約1カ月前に隣町から転任してきたその先生に「音楽部を作るので興味のある者は音楽室に集合しなさい」と言われたような気がします。私は音楽については好きでも嫌いでもなく,関心がありませんでした。思ったより部員が少なかったのか,打楽器の部員が足りなかったのかわかりませんが,私の音楽へのデビューはこのようにしてなされました。そうこうしているうちに地方放送局の大会で優勝(当時は録音で審査していました)し,ローカルテレビにも出演しました。私の所属する音楽部というのは,今の小学校の派手な英国式金管のブラスバンドとは違い,主力がアコーディオン,ハーモニカ,脇役がオルガン,ピアニカ(今は「鍵盤ハーモニカ」といいます),打楽器といったいわゆる「器楽部」と呼ばれるものでした。

2. 吹奏楽との出会い

中学生になるとその入学式の日,早速噂を聞きつけた中学校の吹奏楽部員が勧誘にきました。私は打楽器ではなく,どういうわけかフルートをやりたかったのですが,フルートはすでに定員いっぱいで空きがないということでしたので入部を断って,バスケット部に入部しました。ところが父が家を新築したことにより転校することになりました。次の中学校では,仲良くなった友達が偶然にも吹奏楽部に入っていて,トランペット,テナーサックスなどを吹いていました。教える人も誰もいない十数人の崩壊寸前のバンドでしたが,「トロンボーンが空いているよ」と言われ,あの独特の真鍮の匂いのする汚い楽器を手にしたのでした。いわゆるド・レ・ミは,教則本を見て覚えましたが,♯や♭が多くなると何がなんだかわからず,常に変ロ長調のド・レ・ミのみで演奏しておりました。楽譜に♯や♭の半音上がったり,下がったりする記号がついていても常に正調?のド・レ・ミ等を吹いていて,さすがに「この曲,何か音がおかしいなあ」と感じておりました。

高校に進学し,先輩のクラブ紹介で当時の応援団吹奏楽部の部長が「今年のコンクールは地区で優勝すると,沖縄に行けます」と言っていました。私は沖縄に行けるかも知れないという浅はかな考えから入部を決めました。楽器はもちろんトロンボーン(バス・トロンボーン)でした。時は,1972年の沖縄返還の年でした。運よく優勝し,代表に選出され九州(沖縄復帰記念)大会に出場し,第5位という成績でした。翌日,ツアーで守礼の門(当時は,まだ首里城は復元されていませんでした),ひめゆりの塔などを観光しましたが,車両は依然として右側通行でしたし,ドルと円がごちゃごちゃで商店の売り場の人は換算表を見て対応していました。

コンクールの秋が過ぎ,3年生が引退し,新体制になりましたが,1年生は吹奏楽部のコンクール一辺倒の方針に嫌気がさしていました。「俺たちがやりたかったのはこれじゃない!」10名以上の1年生が集団で退部しました。「独立したバンドを作ろう!」,みんな手持ちの楽器や楽器屋から借りた楽器を持ち寄って細々と合奏し,学校行事などに出演したりしていました。

3. 吹奏楽団とブラスバンド

ここで吹奏楽団とブラスバンドの違いについて述べてみます。ブラス(brass)は吹奏楽団と異なり,金管楽器の主材料である真鍮(黄銅)のことをいい,銅と亜鉛の合金の総称であります。ブラスバンド(brass band)は,狭義において金管楽器を主体として編成された楽団で一般的に金管楽器と打楽器で構成され,木管楽器や弦楽器は含みません。日本においては,学校,職場,市民団体などのアマチュア吹奏楽団を指して「ブラスバンド」と言われてきましたが,最近は若い人たちを中心に「ウインドオーケストラ」や「ウインドアンサンブル」と言われることが多くなってきています。このため純粋にブラスバンド編成の団体には金管バンドと呼称するケースがみられるようになってきました。イギリスでは吹奏楽はウインド・バンド,金管バンドはブラス・バンドというふうに明確に区分されています。少し年を召された60歳以上の方々は,〝ブラバン〟という言葉を使用されることも少なからずあると思いますが,この言葉はすでに死語で,少し軽蔑された〝ぶーかぶーか鳴らすチンドン屋〟的なニュアンスが入っておりますのでお使いにならない方がいいと思います。

4. ユーフォニアムとの出会い

私が入校した大学,防衛大学校では,総員運動部〝系〟のクラブに入らなければならないとの規則の中,吹奏楽部は,〝系〟の中に含まれるという解釈でした。へそ曲がりの私は異色?の体育系クラブ吹奏楽部に入部しました。ほとんどの先輩に,「吹奏楽部なんか入ると体力的についていけなくなるぞ!」と脅されましたが,通常の運動をしっかり行えば,あえて運動部に入らなくても十分についていけると自負していました。ただし,トロンボーンは,すでにいっぱいで,「マウスピースの大きさが同じユーフォニアムが空いているので,どうだ」と言われました。高校時代から遊びで先輩のユーフォニアムを吹かせてもらい,なかなかいいなあと思っていたこともあり,二つ返事で入部いたしました。

5. ユーフォニアムとは?

ここでちょっとユーフォニアムという楽器について説明いたしましょう。トロンボーンとユーフォニアムの吹き込み口のサイズは先ほど述べたように同じなのですが,音色的な違いはトロンボーンの管の形状がストレートなのに対し,ユーフォニアムのそれは,曲がりくねった管が約2メートルありますので音が出るまで少し抵抗があり,それが柔らかい丸みを帯びた音になって出てきます。ユーフォニアムは,ギリシャ語の「ユーフォノス」(気持ちのいい音)から名付けられたと言われていて,チューバよりひと回り小さく,幅のある深い音色が出せ,朗々と雄大な音がします。通常四つのバルブを持ち,円錐形の太い管と大きなベルを持った金管楽器で,主に中低音域を担当します。吹奏楽では,特に行進曲などのオブリガート(対旋律,助奏)を担当することが多く,ここがユーフォニアムの聞かせどころでもあります。英語の綴りは,〝Euphonium〟,あるいは〝Euphonion〟,または〝Tenor Tuba〟とも呼ばれ,フランス語では〝Saxhorn Basse〟,ドイツ語で〝Baryton〟と言われています。

サクソルン・バス 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/サクソルンサクソルン・バス
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/サクソルン
ユーフォニアム(ユーフォニウム) 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ユーフォニアムユーフォニアム(ユーフォニウム)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ユーフォニアム

6. 起源と歴史

次にユーフォニアムの起源とその歴史についてみてみましょう。

ユーフォニアムの前身であるオフィクレイドは,木管楽器のようにキイシステムによって孔を開閉していました。1820年代後半にテナーバスホルンと呼ばれる金管楽器が,ドイツで生まれました。1835年にはチューバの原点ともいえるバスチューバがドイツ人によって発明され,その3年後,管を太くしたテナーチューバが作られ,1851年には,テナーチューバの管を太くし,「ユーフォニアム」と名付けた楽器が発表され,大好評となります。

一方,同じ頃フランスでは,サクソフォンの生みの親であるベルギー人のアドルフ・サックス(Antoine Joseph Adolphe Sax:1814~1894)が,新しい金管楽器のシリーズとしてサクソルン属を次々に誕生させます。音域の高い方から,ソプラニーノサクソルン,ソプラノ,アルト,テナー,バリトン,バスサクソルンまで作成したところで,前出の「ユーフォニアム」とちょうど同じ音域だったため,このバスサクソルンを「ユーフォニアム」という名で発売し,大好評となります。以降,ユーフォニアムは19世紀中頃から欧州や米国の各地で,多くの金管楽器メーカーや楽器製作者によってさまざまな発明や改良が行われますが,統一された楽器名がなかったために,ユーフォニアムの楽器としての歴史は今でも非常にわかりにくいものとなっています。

7. 吹奏楽とメディア

吹奏楽が中心に描かれた小説,映画,テレビ番組などが私の知る限りここ20年で大きくクローズアップされてきました。そのいくつかを紹介します。

➀ イギリス映画「ブラス!」

イングランド北部,ヨークシャー地方の炭坑町を舞台に,そこに100年の伝統をもつ金管バンドがありましたが,1992年のイギリスはもはや石炭の需要はなく,閉山の波が押し寄せていました。実在の金管バンドをモデルとしたこの映画は,バンドの解散を決めた彼らが最後の演奏をし,地方大会を勝ちすすみ,全国大会に出場し,見事優勝するというストーリーです。〝映画だから〟と結末はわかっていても息をのむ内容です。

② スウィングガールズ

2004年の作品で,東北地方(山形)を舞台にした落ちこぼれの13人の女子高校生が偶然にも吹奏楽部員に弁当を届ける羽目になり,これまた偶然にもその弁当により食中毒が発症し,その責任を負わされることになり,強引に入部させられてしまうという内容です。ところが,彼女たちは次第に演奏の楽しさに目覚め,ジャズに没頭していきます。その後,「スウィングガールズ」というジャズバンドを結成し,失敗と成功を繰り返しながらビッグバンドジャズにのめり込んでいくというストーリーです。

この映画により,山形県内のサックスの音楽教室は「オジサン生徒」が急増し,各教室は教室の増加の対応に追われたそうです。また,全国的に管楽器を演奏したい老若男女が音楽教室に殺到,さらにアルトサックスが吹けるようになりたいと,にわかファンが増え,音楽教室が不足するという事態となり,空き待ちの状態が続いたようです。

③ 海上自衛隊東京音楽隊「歌姫」の活躍

三宅由佳莉3等海曹は,海上自衛隊東京音楽隊にソプラノ歌手として声楽採用枠で採用された初めての自衛官(現在海上自衛隊横須賀音楽隊所属)です。2009年に入隊後,その美貌と歌声で多くの人を魅了し,SMAPの番組,「行列のできる法律相談所」等に数多く出演,プロ野球やラグビーの国際親善試合の開会式で国歌斉唱を行ったほか,2013年にCDデビューし,当時クラシック部門で2週連続1位を獲得し,第55回日本レコード大賞企画賞等を受賞しました。2016年には初のベストアルバム,2017年には5枚目のアルバムが発売されました。また,米国,ノルウェー,韓国等海外における活躍も目覚ましく,真に海上自衛隊音楽隊の広告塔です。

三宅由佳莉3等海曹 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/三宅由佳莉三宅由佳莉3等海曹
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/三宅由佳莉
司会・曲解説担当者として三宅3曹と(護衛艦「いずも」艦内演奏会にて)司会・曲解説担当者として三宅3曹と
(護衛艦「いずも」艦内演奏会にて)

④ 響け!ユーフォニアム

もとは,2013年12月から宝島社文庫より刊行されていた武田綾乃さん原作の小説『響け!ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部へようこそ』をアニメ化した作品であり,『響け!ユーフォニアム』は,京都アニメーション制作のテレビアニメーション作品です。原作の小説では登場人物の多くが関西弁を話していましたが,アニメではすべて標準語に変更されています。テレビは,2015年4月から6月までTOKYO MX,サンテレビ,テレビ愛知などで放送されておりました。物語は,中学時代吹奏楽部でユーフォニアムを吹いていた主人公黄前久美子(おうまえ・くみこ)が,北宇治高校の吹奏楽部の見学に向かうところから始まります。

ところでマイナー楽器の代名詞であったユーフォニアムでありましたが,この作品により知名度が向上し,特に京都の宇治周辺の中学校・高等学校では希望する生徒が増加したとのことです。知名度の低いユーフォニアムは,ソロや主旋律を演奏することもなく,いつも控えめで目立たない存在でしたが,アニメの影響で一躍有名になり,かつては他の楽器を希望していたにもかかわらず,希望する生徒が増えたそうです。このブームはいつまでつづくのでしょうか?

8. ユーフォニアムとクラシック音楽

オーケストラのスコアに極めてまれですが,ユーフォニアム等のパートが設けられていることがあります。各作曲者がどの楽器を念頭に置いてこのパートを設けたかは,作曲者の国籍,作曲年代,曲想などによって判断されますが,ドイツ式のバリトンや英国のユーフォニアムで演奏されるリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』,『ドン・キホーテ』(雑貨量販店ではありません),ホルストの『惑星』などがあります。特に有名なのはムソルグスキー作曲・ラベル編曲の組曲『展覧会の絵』の第4曲「ビドロ」のソロです。これにはチューバのパートが設けられておりますが,当時のチューバは,やや小さめのフランス式のフレンチ・チューバであったとして,しばしば現在のユーフォニアムが使用されています。このほか,マーラーの交響曲第7番には「テノールチューバ」の指定があり,ショスタコーヴィチの曲には「バリトン」,レスピーギの『ローマの松』には「フリコルノ・バッソ」との指定があります。

9. 吹奏楽のオリジナル曲作曲者とコンクール

ここで近年の有名な吹奏楽オリジナル曲の作曲者について述べてみましょう。まず,我々の時代には,A・リード,ネリベリ,チャンス,W・F・マクベス,ジェイガーなどが,最近ではバーンズ,スパーク,ヴァン・デル・ローストなどが挙げられます。この2人の作品を演奏したいと思っている吹奏楽団員が,後をたちません。ですから,あちらこちらの演奏会で重複しています。日本人では,古くは先の東京オリンピックマーチの古関裕而(〝六甲おろし〟もそうです),ゴジラのテーマ曲で有名な伊福部昭,『祝典行進曲』の團伊玖磨,大栗裕,兼田敏,保科洋,小長谷宗一,真島俊夫などがいます。

さて次に吹奏楽コンクールについて述べてみます。現在,高校野球,高校サッカー,高校ラグビーなどはテレビで全国放送されています。小中高の合唱の祭典・全国学校音楽コンクールは,例年約2200団体の参加があり,テレビ中継(NHK主催)されています。全日本吹奏楽コンクールはそれよりはるかに多い団体が対象にもかかわらず,テレビ放送されません。それでも2004年から日本テレビで放映された「笑ってコラえて!吹奏楽の旅」はこれまでのタブー?を破る画期的なものでありました。前述の世界的な作曲家とアマチュアが一体となって一つのジャンルを作り上げている世界は他にはありません。

ヴァン・デル・ロースト氏と筆者ヴァン・デル・ロースト氏と筆者

「全日本吹奏楽コンクール」は一般社団法人全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が共催するイベントで,1940(昭和15)年に第1回が開催され,その後戦争により中断されたのち,1956年の第4回から再開,以来毎年開催され,2019年第67回を数えています。毎年,7月頃から予選が始まり,10月下旬~11月初旬に全国大会が行われています。加盟団体数は,小学校約1050,中学校約7000,高校約3800,大学約300,職場約100,一般約1800の6部門合計約14000の団体です。一団体50~65人の演奏者が所属していると仮定すると,約70万~90万人がいることになります。高校野球の場合は,加盟校は約4000,部員数は計17万人くらいなのでその数ははるかに多い大所帯であるわけです。ましてや過去の経験者を含めるとその数は膨大となります。要するに吹奏楽に関わっている者は約100万人となり,日本は世界最大の〝吹奏楽王国〟といえるでしょう。さらに,楽器販売,楽器修理,音楽教室,レンタルスタジオ,演奏会場(練習場を含む),楽譜出版,演奏の指導者・指揮者,楽器レンタル,楽器運搬業者等その市場は一大企業並みで膨大であり,はかり知れません。

10. おわりに

京都市右京区にあるNEO吹奏楽団に所属し,毎週木曜日の夜練習に参加しております。本吹奏楽団は,「文化芸術活性化パートナーシップ事業」の一環として,毎年度パートナー団体の公募により,選考を行いその団体に選出されました。本年度も地域文化会館とパートナー団体が協同で,市民の方々に魅力ある音楽等を披露する無料公演や子供たちを対象にした教育プログラムに取り組んでおります。お暇なおりにはちょっと覗きにいらしてください。

参考文献
この著者の他の記事を読む
倉谷 昌伺
Masashi Kuratani
  • 京都情報大学院大学教授
  • 防衛大学校理工学士,同大学校研究科修了(オペレーションズ・リサーチ)(理工学修士相当),佛教大学大学院文学研究科修士課程修了(東洋史専攻)
  • 元海上自衛隊護衛艦乗組(「はつゆき」航海長,「うみぎり」船務長,「ゆうだち」副長),元海上自衛隊第1術科学校統率科教官(「戦争史」担当),元海上自衛隊第1術科学校船務科教官(「戦術」担当),元海上自衛隊幹部学校防衛戦略教育研究部戦史統率研究室教官(「戦略・軍事史」担当)

上記の肩書・経歴等はアキューム26-27号発刊当時のものです。