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Accumu Vol.11

ハーバード・メモリアル・チャーチ 聖書の言葉と説教 2001年10月23日

ヒレル・レビン Hillel Levine

WTC
旧約聖書 詩篇 85篇 11~14節
恵みとまこととは,互いに出会い,
義と平和とは,互いに口づけしています。
まことは地から生えいで,義は天から見おろしています。
まことに,神は,良いものを下さるので,
私たちの国は,その産物を生じます。
義は,神の御前に先立って行き,主の足跡を道とします。

9月11日は,よりいっそう大きな破壊や苦しみの先触れなのでしょうか? それともそれらを抑止するものなのでしょうか? 絶望の淵からゆっくりと立ち上がろうとしている今,私たちの生徒や,子供たち,孫たちには決して見せたくはなかったこの世界の輪郭を評価しようとしている今,このひとつの質問が頭を離れません。この質問に対峙して,私たち一人一人が今こそ,私たちの生活を,私たちの行いを振り返ってみなければなりません。

恵みとまこと,義と平和。9月12日,私は打ちひしがれ,あてどなく歩き回っていました。その時,私は愛するトルコ人の教え子にばったり出会いました。彼,オマールは,才能に満ち,思いやりあふれるコスモポリタンであり,レフトバンクカフェに座っている時も,安息日や過越しの祝いのテーブルについている時も,モスクにいる時と同様にいつも穏やかで気持ちの良い敬虔な人物です。それなのになぜ,彼のまなざしは恐怖に満ちていたのでしょうか。まるで,国を挙げての避けることのできないユダヤ人虐殺の始まりに恐れおののいているユダヤ人のようなまなざしでした。イスタンブールにいる彼の両親は,危険を避け,帰国するようにと夜通し電話で彼に懇願したそうです。彼の両親は自分たちの歴史から学んでいたのです。宗教紛争や人種紛争の時にはどのようなことが起こるのかを。

9月11日以後,アメリカでは,市民や一時滞在者に対する流血騒動は起こっていません。幾つかのショッキングな出来事はあったものの,国全体がイスラム教徒の同胞に同情と共感を示してくれました。我々が最も脅威を感じていた時に,我々の信念や寛容や社会的多元性(一国内に人種,宗教などを異にする集団が共存する状態)を確認し,表明しようとするこの先例の無い努力。犠牲者やその家族に慈悲を惜しみなく注ぐこと。これらは野蛮な行為に対する最大の抑止となります。

しかし,恵みには,他者についての真実,そうです,痛ましい真実と我々についての真実が伴わなければなりません。真実に眼を閉ざしていては,和解はありえません。宗教はその宗教自身の言葉で報いと懲罰を表しています。また,この世の楽園や来世の楽園には「恵みの雨」,「静穏」,「ブドウ畑とイチジクの木の下」という語で表される考え方があります。しかし宗教は,威嚇と懲罰を示し,地獄絵図によって,我々が決して望まない世界を正確に描いて見せることも怠ってはいません。イスラム教はその親となる宗教であるユダヤ教やキリスト教同様,真に平和の宗教です。しかし,多くの宗教同様に,イスラム教にもその名を名乗りながら「聖戦」を信奉する人々もいれば,破壊によって得られる救いの実行を想像し,その実行を求める黙示録的暴力革命主義者もいます。ユダヤ教徒とキリスト教徒は過去において,彼らの中の過激派グループがこのような運動を繰り広げようとした時,この暴力革命主義を断固として拒否してきました。はたしてイスラム教徒は,憎悪と暴力を奨励する教義を拒否する運動に参加するでしょうか?

バージニア州のアイマン・アンワー・アル‐アワラキ(Imam Anwar Al-Awalaki)は,「煽動的で単なる空論としか思えないような声明が幾つか発表されているが,今は,そのような空論がまじめに捉えられ,暴力的で過激な方法で行動に移されることがありうる」と述べています。そして彼は,「自分の発する言葉に気をつけなさい」と警告しているタルムードのラビに賛意を示しています。

恵みとまことは義によって支えられています。我々は無実の人々の死を悼み,喪失を嘆き,我々に危害を加えようとする他の人々の能力と意志を減じることによって安全を回復しなければなりません。しかし,「根源に存在する問題の検討」を要求する人々は,今,合理性,因果関係が,この身の毛もよだつ狂気にはあるのだとして,合法性を唱えようとしています。しかし,決して,「もう一方の手で」大量殺戮者たちに同意することはできません。

恵みとまことと義を包括するものが,我々の平和への熱望を喚起し,世界中の苦しんでいる人々や,決して是認することのできない防ぎうる貧困,疾病,文盲,差別,弾圧,堕落,屈従,環境破壊に対する思いを新たにすることができるのです。人生を肯定する信に満ちたイスラム教は,トーラー(ユダヤ教の教え)の言葉「vehai bahem(それによって生きなければならない)」を伝えるものであって,それを殺害したり,それによって殺害されてはならないことを伝えるものです。その教えの中で,我々は我々の魂を捜し求め,世界に対する責任に再度身を捧げるつもりです。

9月11日は先触れなのでしょうか,それとも抑止するものなのでしょうか?

ヒレル・レビン Hillel Levine

現代のアメリカを代表する歴史学者の一人。社会学者。著作家。1946年生まれ。ハーバード大学,エール大学を経て,現在ボストン大学教授。ハーバード大学ユダヤ研究所所長。ハーバード大学ロシアセンター理事。東京大学,北京大学をはじめ,主要大学の客員教授を兼務。親日家として知られる。主な著書に「千畝」,「反ユダヤ主義の経済起源」,「アメリカのユダヤ共同体の死」などがある。

関連URL:http://www.iimhc.com/


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ヒレル・レビン
Hillel Levine
  • 1946年生まれ
  • 現代のアメリカを代表する歴史学者の一人
  • 著作家
  • ハーバード大学,エール大学を経て,現在ボストン大学教授
  • ハーバード大学ユダヤ研究所所長
  • ハーバード大学ロシアセンター理事
  • 東京大学,北京大学など,主要大学の客員教授を兼務
  • 主な著書は「千畝」,「反ユダヤ主義の経済起源」,「アメリカのユダヤ共同体の死」など

上記の肩書・経歴等はアキューム11号発刊当時のものです。