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Accumu Vol.11

我が都市 New York

ロチェスター工科大学名誉教授 Robert Kayser

筆者と孫のSarah
筆者と孫のSarah

2001年9月11日の米国同時多発テロ事件で崩壊したツインタワーの恐ろしい映像はひとりのニューヨーカーとして,私の脳裡に永久に残るでしょう。そして心がその事件の苦痛をやわらげようと試みるかのように,過ぎ去った日々の長くしまわれていた楽しい思い出が,私の中にひき起こされました。私がニューヨークを去った後,ツインタワーはニューヨークの描く地平線の一角に加えられていたのですが,あたかも私がまだニューヨークに住んでいるかのように,我が街が受けた苦痛と恐怖を我が身に感じました。

ニューヨーク市から離れていった人達には,ある共通性があります。一度ニューヨーカーになるといつまでもニューヨーカーなのです。ニューヨーク市の持つ雰囲気に影響されずに,この都市に生まれ,教育され,仕事をし,住めるはずがないのです。ニューヨークの環境,生活文化等の雰囲気が人間を変えるのです。

ニューヨーカーかそうでないか見分ける特徴を簡単に言うならば,ニューヨーカーは,速く話し,速く歩き,速く考え,そして,速く食べるということです。ニューヨーカー好みの娯楽は,毎日の討論なのです。それは,食事中に始まります。ある人がある話題を言い出し,みんながそれに加わります。言い出した人が保守的な考え方を提供したら,だれか他の人が自由な立場で反論し,またある人が折衷した意見を言います。このような討論は,その翌日も同じように繰り返されます。しかし討論の話題も変れば,参加者がどのような立場で討論するか,その役割も変わるでしょう。

NYC

英国人である私の妻は,結婚1年後に私にこのような質問をしました。「あなた,自由派? それとも,保守派? あなたは家に訪ねて来る人によって,反対の役割を引き受けるようね。」 結婚35年にしてまだ,彼女は,私がどちら側か知らないのです! ニューヨーク市で生まれ育って,教育を受けた私の特徴として,私は,いつもオープンマインドであり,他人をすぐに断定せず,出来るだけ他人の考え方を理解するように努力しています。

ニューヨーカーは,他人に冷たく無関心であるとしばしば言われます。しかし,実は,仲間達が彼ら自身の思い通りに行動しやすいように仲間の権利に敬意を払っているのです。私は以前ニューヨークの新聞でこのような記事を読んだことがあります。ある男性が検査のために,ベルビュー病院に運ばれ,その病院で彼はタオルと紙スリッパを与えられ,シャワーを浴びるよう指示されました。彼は病院に留まることを望まず,腰にタオルを巻き,紙スリッパのままで病院を脱け出しました。最後に彼が目撃されたのは,14丁目を下って歩いていた時だそうです。ニューヨーカー達は彼を見て,「彼は他人に迷惑をかけていない,彼自身のやりたいことをさせたら良い」と考え,従って,だれひとりそれを病院や警察に連絡しませんでした。ニューヨーカーの態度を述べる必要があるとすれば,私はこの話が見事にそれを要約していると思います。

私は前にも言ったように,ニューヨーク市で生まれ育って,成人としての生活の半分をニューヨークで過ごしました。今振り返ってみると,相手を理解し容認することを学ぶ経験を絶えずしてきたように思います。自分達とは異なった,人種的,宗教的背景が混在していない近隣は,この都市の中にほとんどありませんでした。このことは,大部分の高等学校がニューヨーク市を構成する五つの地区から学生を入れているので,高等学校に入ったとき,より一層強化されます。私のまわりには,カトリック,プロテスタント,ユダヤ教の宗教的な混在とともにアイルランド人,イタリア人,ドイツ人,及び,ポーランド人が幅広く混ざり合っていました。あなたの人種的,宗教的背景は何か,といったことは実際だれも気にしませんでした。ただ大事なことは,ホームランが打て,ボールを受けることができ,風のように速く走り,もしくは,バットやボールを持っていることでした。私達の友達があまりにも様々なバックグラウンドを持っていたため,付き合いを通してすぐにその習慣や宗教上の信仰を知りました。私は(ユダヤ教の掟にかなった)清浄食物,食べ物の規制,金曜の安息日,過越の祝いを知っていましたし,また私の友人のユダヤ人は,聖金曜日(註:肉を食べない日),クリスマス,及び,復活祭について知っていました。一例をあげると,私はユダヤ人のコーエン氏と一緒にオフィスを使用していましたが,ユダヤ人の新年フェスティバル(註:9月に10日間続くお祭り)には,日没までに帰宅し,日が沈んだ時にみんなでお祈りをせねばならないので,そのフェスティバルの間に,日没が早くなって来ていることを彼に知らせました。彼は私の方を振り返って笑いながらこう言いました。「君は,僕より僕の宗教について知っているね」。このことを変だと思うかもしれませんが,それは,私がローマンカトリックであり,人種的,宗教的な多様性を尊重しながら生きてきたからなのです。

ニューヨーカーのもうひとつの特徴は「他人が何をしているか知ってはいるが,干渉しない」ということです。近所の人達は,あなたの日課を知っています。あなたが何かの理由でそれを変更したならば,近所の人達はドアをノックしあなたに何も変わったことがなかったかどうかを確認します。母が毎日,日課にしていた買い物を一時間遅らせた時に,3人の隣人が30分以内に,彼女が無事かどうか尋ねてきたことを今でも私は覚えています。干渉はしないけれど,親切なのです。

私が故郷と思っている町には,私が歩道の社交場と呼んでいるものがあります。あらゆる出来事が,歩道での出会いをきっかけに始まりました。仲間みんながマンションに住んでいたため,一軒家のぜいたくな裏庭のフェンスにもたれながら,その日の事柄について話し合うことは出来ませんでした。そのかわり時間を決めて歩道で会いました。私は,放課後,家に帰り服を着替えてから外出して遊ぶようにと,いつも指導されていましたが,それはどの児童も強制されていたことなので,時間を無駄にしないよう,先に時間を決めて,だれかの家の前,通常はマンションの前で仲間と会う予定を立てました。

大人達も同じように歩道で仲間と会うことにしていました。しかし,それは通常買物に行く前であり,赤ん坊を乳母車に乗せて公園に散歩に行く前でした。

我がニューヨークのもうひとつの大きな特徴は,民族的領域と言えるものです。そこでは,移民達が,小さな独自の文化圏を作り,住んでいます。マンハッタン島の102番地の南東からほぼ70番地までは,イタリア人,ドイツ人,チェコスロバキア人,オーストリア人が住んでいて,そこでは,その民族がどんな物を食べ,どんな言葉を話すかを知ることが出来ます。ドイツ人達の地区に行ったとき,そこでは,ドイツ語でも英語でもない,ミックスされた言葉が使われていたのを今でも覚えています。スペイン人が住んでいたハーレムでも,言葉はスペイン語と英語のミックスであったと思います。しかし,顔や民族や文化が違っていても,みんながニューヨーカーであることには変わりありません。

宗教や出身地,また人種のバックグラウンドに関係なく全ての人をアメリカ人にする,魔法の都市がニューヨーク市です。ニューヨーク市は,まさにアメリカの文化の首都です。9月11日の米国同時多発テロ事件が全てのアメリカ人のハートを突き刺したのはこのためなのです。この犯罪を行った人達が,ニューヨーク市が世界中に自由に提供してきた「真の贈物」に対して目を開いていなかったことはあまりにも残念です。個人に存在そのものの自由を容認することが,どんなに尊いことか! それを世界中に広めて来たのが,ニューヨークなのです。

(写真・訳 長谷川 晶)


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Robert Kayser
  • ロチェスター工科大学名誉教授

上記の肩書・経歴等はアキューム11号発刊当時のものです。