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Accumu Vol.12

初代学院長の思い出

京都コンピュータ学院総務部次長 岸本 詳司

初代学院長

私は高等学校卒業後1976年に京都コンピュータ学院(現洛北校)の情報工学科(全日制3年)に入学しました当時描いていたコンピュータのイメージは大型冷蔵庫のような大きな筐体に沢山の小さなランプが取り付けられそれが規則正しく点滅しどんな計算でも瞬時に答えを出してくれるSF世界そのままの万能機械でまさに憧れでしたそのコンピュータが学べるということで学院への進学を決めました学院ではその当時より大型コンピュータをはじめ全ての実習機器が学生に開放され自由に利用できる環境でした校舎は夜遅くまで学生たちが自由実習を行うなど活気に溢れていて課題提出締切り前になるとカードパンチ機の順番待ちをしたことなど懐かしい思い出となっています

学院卒業を前にした時期に学院の教職員の方から学校に残らないかと誘いを受け学院長先生と直接お話ができる機会を作っていただきました今でも覚えていますが夜の8時頃に洛北校舎に赴くと先生は将来学院をどのように発展させたいかというビジョンを一学生の私に対して約1時間にわたって熱心に語られました私はすっかりあがっていたと思います唯一話の終わりに「学院でどんなことでもやりたいと思います」と言ったこととそれに対して先生が「がんばりなさい」と言ってくださったことは鮮明に覚えています私は就職活動においてソフト会社から内定をいただいていましたが学院に残りたい旨をご理解いただき結局学院でお世話になることになりました

入校と同時に私は浄土寺校舎に配属となりました当時は学校法人の認可を受ける直前の時期で私の最初の仕事は学校法人の認可申請書類の作成をお手伝いするというものでしたその頃はまだワープロもなく申請書類は手書きでも構わないとされていましたしかし先生は全ての申請書類作成を活字印刷で行うようにと指示されましたその時はなぜそのようなことにこだわるのか私はわかりませんでした最近業務の関係で私が作成に加わった当時の書類を見る機会がありきれいに印刷されたその書類を見て初めてその意味がわかったような気がしました20年30年と後世に伝えていくべき文書だったからこそ先生は印刷にこだわられたのだと思います

また先生は細部をとても大切にされる方でした印刷原稿を先生に確認していただく際には修正箇所が1mmずれていても鋭く指摘されました当時は私も若くなぜこんな細かいことにこだわるのかとその過酷なまでの厳しい姿勢に疑問さえ抱きましたしかし今となって思うのはそうした姿勢は理想の学校を創るという先生の強い意志の現れであったということです先生はよく教職員を前に壮大なビジョンを話されることがありましたそれが単なる大言壮語に終わらず現実の学校創造につながったのはそのビジョンを細部に至るまで現実化されたからだろうと思います全くの無から新しい学校を創造するという大事業を先生が成し遂げられたのは徹底して細部にこだわる姿勢にもその秘密の一端があったのではないかと私は思っています

1980年代に入り学院は急激な成長期に入りましたそれにつれて私たち教職員の業務も多忙となっていき週に2~3日は深夜に及ぶこともありましたそうしたなかで陣頭指揮をとられ常に学院の発展を考え理想の学校創造に全人生を捧げておられた先生の姿は学院教職員の手本でありましたまた仕事のうえで注意を受けることは度々ありましたが注意をする方法も論理だてて説得するという姿勢を常に持たれていましたそのため注意も一言で終わらずそこから延々と話が始まるということも度々ありました当時の教職員は若い方が多く私と同様に学院や大学を卒業と同時に教職員となった方がほとんどでしたそのため悪く言えば学生気分のままで社会人としての常識不足な点があったようにも思います今から思えば先生は仕事を通じて私たち教職員に対して社会人としてまた学院人としての教育をされていたのでしょう

また当時先生が仕事場としておられた高木町教室に書類などを届けに行くと玄関先まで出迎え「ご苦労さんご苦労さん」と声をかけてくださることも度々ありました普段から飾り気はなくいつでもストレートな方でした私生活ではTシャツにGパンというラフなスタイルを好まれていたようです仕事は今から考えてもかなりハードなものでしたが私が曲がりなりにも頑張ることができたのは先生のお人柄に惹かれていたからだろうと思いますそのため先生との離別は私にとって辛いものでした

1986年これまで超人的な仕事ぶりで私たちを引っ張ってくださっていた先生が突如入院されました7月1日上司から他の教職員とともに先生の容態も知らされないままお見舞いにいくよう指示を受けました入院先である浜松の病院に着くとその日は車のなかで一晩を過ごしました翌日の午後「学院長が危篤なのですぐに病室に来るように」と呼ばれました私はわが耳を疑いましたまさか先生がそのように深刻な病状であるとは思いもしなかったのですあまりの突然の言葉に動転した私たちは病室でその事実と向き合わされました言葉のない別れでした

私にとって学院長先生は人生の師でした高校卒業以来今日に至るまでの私の人生を導いてくださった唯一の師でありました先生がご逝去された後も時々先生の言葉を思い出しふとその深い意味に思い当たる瞬間がありますずいぶん私も学院長には鍛えていただいたと今ではその当時を懐かしく思います

私は日々齢を重ねていきますが私の中で先生は情熱と超人的な仕事ぶりで理想の学校創りに邁進されていた頃のお姿のままで今でも私を叱咤激励してくださっています

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Shouji Kishimoto
  • 京都コンピュータ学院総務部次長

上記の肩書経歴等はアキューム12号発刊当時のものです