Accumu Vol.16

済州島

京都コンピュータ学院・京都情報大学院大学 A-netセンター 豊嶋 文香

済州島

日本の冬には色が無い。

雪に覆われる北国はいざ知らず,ここ京都の冬も灰色にくすんでいるように思える。

それに比べ,昨年の夏に訪れた済州島は原色とりどりだった。

オルムが連なる緑と,幹線道路と,青い海と,国際空港と,街と,工事のために掘り返されている赤土が混在する島,Jeju


オルム
オルム

2007年8月,本学A-netセンターは韓国済州特別自治道と共に日本IT企業説明会を開催した。これは,地元の企業が少ないため就職難の状況にある済州島の大学生を対象に,日本のIT関連企業が採用説明会を行うという初めての試みである。関西の企業を中心に十数社が出展し,参加学生数は200名を超える大イベントとなった。本学と学術交流協定を結んでいる済州大学校からも多くの学生が参加し,熱心に質問を投げかけていた。その後,選考を経て,実際に採用に至ったケースもあり,よい成果を得ることができたと考えている。


ハンラサン
ハンラサン

さて,企業説明会の後日,済州大学校が交流会の場を設けてくださり,済州島の名所を巡ることができた。海,山,遺跡,韓流ドラマのロケ現場とさまざま連れて行っていただいたが,ここでは済州島の「オルム」を紹介しておこうと思う。済州島の中央部にある山が韓国最高峰の漢拏山(ハンラサン)で,その姿は島内ではほとんど死角なくどこからでも見えるという。標高は1950m。日本の大雪山とほぼ同じである。日本には2000m級,3000m級の山がごろごろあるから,標高を聞いただけではそう高いとは感じないが,島の中心に聳え立っている存在感はなかなかのものだ。余談だが,私は山裾の平野で育ったので,高校を出るまで夕日が沈む場所には山があるものだと思い込んでいた。京都に越してきて,山に沈まない夕日を見たときに非常な違和感を覚えたものだ。山や,海や,大きな自然は代えがたい存在感を持っている。済州島の人々にとって,漢拏山は身体の一部のような存在なのだろうと考え,そういえば済州島の新聞の名前は「漢拏日報」だなと思い出した。

済州島

話が少しそれたが,この漢拏山の寄生火山が「オルム」と呼ばれる小山で,済州島独特の地形らしい。漢拏山の周りには実に360ものオルムがあるそうで,済州の人たちにとっては手頃なハイキング先のようだ。われわれ一行は,「オルム登りが趣味」という済州大学校の姜課長に先導されて,2つのオルムに登った。最初に「小山」と聞いていたので油断していたが,2つとなるとどうして,なかなかの運動である。ぽっこりとした緑の山を,目と鼻の先(に見えている)の頂上めざして登り始めたが,傾斜がなかなか急で案外と歩きにくい。周りを見るとぽこ,ぽこ,ぽこと同じようなオルムがいくつか並んでいて,緑の尾根を伝っているような状態だ。中腹に墓所を抱えているオルムもある。よい方角を求めてオルムの中腹に墓を建てる家が昔はあったそうだ。緑に覆われたオルムを下って,昼食を摂り,車で2つめのオルムに移動した。2つめのオルムは先ほどの草のオルムとは一転,木々の間の泥道を登っていく日本にもありそうな小山だった。同じ漢拏山の寄生火山でも違うものである。山中の池で一休みし,麓に下りてきたときには,そこに車があることを不思議に思ってしまったほど田舎にいた気分になっていた。


済州島

済州道は2006年に高度な自治権を持つ特別自治道に指定されたばかりで,「国際自由都市」を旗印に,観光産業の活性化や教育・医療の充実,先端産業の育成などを掲げ,急速な発展を遂げている。済州国際自由都市開発センターや建設途上の済州先端科学技術団地など,いろいろな場所で済州島の取り組みを見学させていただいたが,壮大なビジョンに基づいてどんどん変わっていこうとする済州道の生々しいエネルギーを感じた。今後も本学は,済州大学校はじめ済州道と密な関係を築いていく。2年後,5年後,10年後とこの島がどう変貌するのか,再訪が楽しみだ。


この著者の他の記事を読む
豊嶋 文香
Fumika Toyoshima
  • 京都コンピュータ学院・京都情報大学院大学 A-netセンター

上記の肩書・経歴等はアキューム16号発刊当時のものです。