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Accumu Vol.18

卒業生登場 「日本の標準」づくりへ邁進

(株)日本電算機標準〈京都市下京区〉 社長 吉本 光希さん

1985年 KCG情報工学科卒

広島県立尾道東高校出身

(株)日本電算機標準の社長に就任した吉本光希さん
(株)日本電算機標準の社長に就任した吉本光希さん

JR京都駅にほど近いビル内にある本社は,間仕切りによっていくつもの小スペースを作り出している。各ブースではプロジェクトごとにメンバーが集まり膝を交えて仕事をこなす。「株式会社日本電算機標準」の社員は40数人で,その半数はKCG卒業生だ。卒業生のうち,最もキャリアが長い吉本光希さん(45)が2009年5月,社長に就任した。「会社の名前は正直,硬いと思いますが,変える気はさらさらありません。社名のように『日本の標準』をつくっていこうと強く思います」と吉本さん。KCGパワーを結集し,事業拡大へ着々と努力を続けていく。

自動車などメーカー関連の組込みシステム開発,ウェブシステム開発,サーバ関連など業務は多岐にわたる。地元の大手メーカーを主要取引先とするが,2008年からは東京の知的財産・特許関係の仕事も手掛け,陣頭指揮を執る吉本さん自身も東京と京都の往復が続く忙しい毎日を送る。

◆価値があった学生寮での生活

プロジェクトごとのブースで仕事をこなす
プロジェクトごとのブースで仕事をこなす

高校の頃「将来はコンピュータ関連の仕事に就きたい」と志を抱いていた吉本さんは,卒業を控え進路を考えた。学校の内容,環境などくまなく調べているうちに,「KCG以外にない」と強く感じ,迷うことなく入学を決めた。「コンピュータを自由に触れる学校というのを主眼に調べていたのですが,国立大学などは一部の学科にあるだけで頻繁に扱えるという感じではなかった。専門学校の中ではKCGだけだった」と振り返る。

吉本さんは入学後,当時の西野寮へ。出身は北海道から沖縄まで,コンピュータ関連の道を目指す約100人と生活,学業を共にすることになった。たまたま広島の中学校時代の友人がいたので同部屋に。寮生活に慣れるうちに交友関係は徐々に広がり,他の友人の部屋に朝まで「居候」することも増えてきたと笑う。寮にもコンピュータが常設されていて「勉強する環境としては最高だった」と懐かしがる。

入学してまず驚いたのは「充実した教材」だったという。「教科書に充てられた本をすべて読めば,コンピュータのことはひと通り学べた。これだけの本は,尾道ではそろわなかった」と吉本さん。授業に加え,寮に帰っても自習に励み,1年時に情報処理技術者(当時)2種,2年時には1種を取得。「寮の仲間たちとも励まし合いながら勉強したことが思い出されます。みんな資格取得には必死でした」。2年次からは西野寮を離れて一人暮らしを始めたが,「私の人生において,非常に価値のある1年でした」と強調する。

◆「憧れの人」 のもとで社会人に

社員の半数をKCG卒業生が占める
社員の半数をKCG卒業生が占める

KCGで,吉本さんの将来を決めたとも言うべき出会いがあった。日本電算機標準の創業者で社長(当時)の関根泰治さんがKCGの講師として教壇に立っていたのだ。「IBMでの勤務経験があり,知識は豊富。話も面白く,非常に魅力的だった」と吉本さんは関根さんを評する。アルバイトを紹介してもらうなど触れ合う機会も多かったという。卒業を前に,この「憧れの人」に申し出た。「そばに置いてもらえませんか」。京都の地で働きたいという強い思いもあった。そして日本電算機標準への入社が決まった。技術系では第一号社員。会社が事業拡大に乗り出す矢先だった。

組込み系から始まり,数年ごとにデータベース,生産管理などを担当し会社の主業務を一巡。その間に社員は徐々に増え,プロジェクトを組む時には必ずと言っていいほど「リーダー」を任された。「現社員の大半とチームを共にしたことがある。だから個々の力,性格などは知り尽くしているんですよ」と笑う。

中国人社員とチームを組んだときのエピソードもある。「もちろん中国語は分からないし,中国人社員も日本語は覚束ない。英語もともに単語程度。言葉のコミュニケーションは無いに等しい中,技術だけのやり取りだけだったのですが,何とかなるものですね。やはり技術は世界共通なのだと痛感しました」と明かす。

◆決断,就任,そしてアジアへの拡大展望

「中国やベトナムなどアジア諸国への進出を視野に入れる」と語る吉本さん
「中国やベトナムなどアジア諸国への進出を視野に
入れる」と語る吉本さん

事業が広がりをみせる中,65歳を迎えた関根社長は「年齢的にも退きたい。だれか引き継いでくれないか」と社員に語りかけた。特に指名があったわけではなかったが,当然,第一号社員である吉本さんに,全社員の視線が集まった。決断した吉本さんに,異を唱える社員はいなかった。

関根前社長からは「経営が分かる技術者でないと,これからの時代,勝ち抜いていけない」と常日頃から繰り返し言われていた。企業などにシステム構築を提案するときには当然,コストパフォーマンスなどの説明も必要になる。そのため経営の勉強は欠かさなかった。それが「社長」になったときに生きた。吉本さんは「確かにトップとなるといろいろな課題解決に向かわないといけないので,眠れない日も多い。でも財務などは全く苦になりません」と語る。

事業面では今後,中国やベトナムといったアジア諸国への進出を視野に入れる。「現地から採用した社員もいますので,お国柄の違いによって発生するような問題にも対処できる。現地スタッフなどの採用も必要ありませんしね。やはりこれからどんどん成長していく地域に目を向けていかないと」と目を輝かせる。社長に就任して間もないが,製造・販売・調達・経理などすべてをカバーする中小企業向け自社開発製品の中国市場拡大を手始めに,アジアでさまざまな事業を手掛けていきたいと意気込む。

◆簿記,英語,歴史。それに法律の知識も社会では必要

校友の社員とともに母校KCGを訪問。長谷川亘統括理事と懇談も
校友の社員とともに母校KCGを訪問。長谷川亘統括理事と懇談も

吉本さんは社長就任後の2009年8月,校友の社員とともに母校KCGを訪れた。「先生方と学生さんたちのやり取りなどを見たのですが,良い雰囲気は昔と変わらないですね。なんせ設備は,他には真似ができないほど充実しているのですから,学生さんたちは幸せだと思います」と吉本さんは感想を語る。そのうえで学生たちに向けて「その恵まれた環境を活かさない手はない。『待つ人間』ではなく『動く人間』を社会は求めています。最近強く思うのは,『作業をするのが好きな人』は多いのですが,『仕事をするのが好きな人』 が少ないような気がする。学生さんたちは広い視野を持って前向きな姿勢を持ち,勉学に励んでほしいですね」と呼び掛ける。

そして「私自身,アルバイトに明け暮れて,真面目な学生だったとは言えませんが」と苦笑しながら「KCGでしっかり勉強すれば,コンピュータの技術や知識はしっかり身につくはず。でもSEを目指そうとするなら,コミュニケーション能力はもちろん,簿記,英語,世界の歴史などは学んでおくべきでしょう」と語る。▽「簿記」はプレゼンテーションをする際に欠かせない▽「英語」は海外製品のドキュメントなどを読むときに必須▽「世界史」はグローバル化して海外の顧客と話をする機会が増える中で相手側の考えの根底に何があるかを知るときに大事―と解説。「さらにソフトウェア業界で最近,避けて通れないのは法律ですね。ライセンス,特許などの問題に直面したときに,知識があれば即座に対応できる」と付け加える。

現在は大津市に居を構え,妻,長女,長男との4人暮らし。「自慢なんですがね。長女(大学2年)は,エッセイ本を自費出版したことがあるんです。長男(高校3年)は,中学2年のときに『ロボカップ・ジュニアの部』で世界チャンピオンになったんですよ」と目を細める。社長となり繁忙極める毎日が続くが,温かい家族がしっかり支えてくれる。

株式会社日本電産機標準

京都市下京区東塩小路町734

TEL:075-353-6820

設立日:1983年5月14日

資本金:128,700,000円 (2009年4月)

URL:http://www.gyro081.com/