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Accumu Vol.16

火星のクレーター Miyamoto

作花 一志

京都コンピュータ学院名誉学院長 宮本正太郎先生の名前が火星に登録

2007年12月19日,火星が地球に最接近する日に,以前からの天文仲間である元広島こども科学館の佐藤健さんから「さきほどIAU(国際天文連合)の火星命名委員長である Bradford A. Smith博士から,火星のクレーターにMiyamotoの名がつけられたというメールが届きましたよ」との知らせがありました。Miyamotoの由来は,京都大学教授・花山天文台長・日本天文学会理事長・国際月面学会会長そして京都コンピュータ学院名誉学院長を務められた宮本正太郎(1912-1992)先生にちなむものです。

火星は2年2月ごとに地球に近づきます。昨年秋から今年春にかけて2003年8月末の大接近の時に比べるとやや地味ですが,それでも冬の夜空をにぎわしく飾っていました。赤い不気味な光を放つことから人々は太古からこの星に注目していました。中国では赤々と燃え上がることから火星と,またギリシアでは赤は血を連想することから軍神の名をとってマルスと名づけられました。約100年前にはいわゆる火星人の存在をめぐって天文研究者も天文愛好家もホットな議論が交わされていました。しかし1976年実際に火星に探査機バイキングが到着して調査した結果では,火星人はおろか原始生物の存在も確認できませんでした。1997年からは火星周回衛星マーズグローバルサーベイヤやマーズオッデセウスが近接写真を撮り続け,現在では火星の詳しい地図が作られています。その結果,火星の表面は赤い砂漠でいたるところにクレーター(凹地)があります。海も森もなく,大気は希薄な二酸化炭素が主成分で,とても地球のような活動的な惑星ではありません。ところが標高2.5万km(エベレスト山の3倍)にも達する死火山があるところを見るとかつて激しく火山が活動していたのでしょう。また峡谷や流水の跡が発見され,さらに地下には今も水があるのではないかといわれています。今は廃墟となった火星もかつては盛んに活動していたことと想像できます。

火星のクレーター Miyamoto

今回命名されたMiyamotoは火星の赤道付近(南緯2.9度,西経7.0度)にあり,直径は160kmもあります。火星には,Schiaparelli(471km,スキアパレリ19世紀イタリアの天文学者にちなむ),Huygens(470km,ホイヘンス17世紀オランダの天文学者にちなむ)など超大型クレーターもありますが,Miyamotoもずいぶん大きなクレーターです。北半分が消えかけており,クレーターとして不鮮明なのが残念ですが,それがかえってこのクレーターを地質学的に興味深いものにしているとも言えます。その底には赤鉄鉱と硫酸塩鉱物が存在しているそうで,かつては大きな湖だったのかもしれません。図1は USGS( United States Geological Survey)の地図から切り抜いたもので,横線は南緯5度,縦線は西経5度です。この地は2004年1月4日にNASAの探査機オポチュニティー(マーズ・ローバー2号機)が着地した近くです。さらに近く打ち上げ,着陸が予定されているMars Science Laboratoryの着陸地の候補になっているそうで,今後の調査が期待されています。

なお日本人の名前がつけられたクレーターはSaheki(85km,故佐伯恒夫氏にちなむ)に続いて2個目です。

宮本正太郎先生
写真1

宮本正太郎先生(写真1)の一生をふり返ってみると
1912年 広島県尾道市のお生まれ。
1936年 京都大学理学部宇宙物理学教室を卒業,研究生活に入られました。
1948年 京都大学理学部教授に就任。
1958年 花山天文台長に就任。日本天文学会理事長,国際月面学会会長,東亜天文学会副会長などの要職を歴任されました。
1976年 京都大学を定年退職して,京都コンピュータ学院名誉学院長に就任され,1992年に79歳で亡くなられるまで本学院の発展にご尽力されました。


「宮本正太郎論文集」
写真2

先生はわが国の天体物理学のパイオニアとして様々な分野で先駆的な研究があります。お若い頃には主として惑星状星雲・中性子星の研究,理学部教授になられてからは主として早期型特異星の大気・太陽コロナの研究,また花山天文台長になられてからは主として月の地形・火星の気象の研究でそれぞれ世界のトップレベルの業績を上げられました。特に,太陽コロナの温度が150万度であることを,世界で初めて正しく計算された研究は60年経っても高く評価されています。また中性子星の研究は,当時まだ世界中のほとんどの研究者が注目していなかった新分野で,これを手がけている研究者がわが国にいたこと自体が驚異でした。これらの論文は第二次大戦中に,しかも日本語で書かれたため誰にも知られることなく埋もれてしまったのが残念です。先生の研究分野はほとんど邦人未到の領域であり,しかも独力でチャレンジされたのです。本学院では宮本先生の一周忌に「宮本正太郎論文集」(写真2)を刊行しました。そこには100編の論文が収められていて,1000頁を超える大著です。今回の命名は佐藤健さんがこの論文集を重要な参考文献としてIAUに命名申請したことによるものです。なお,宮本先生の名前は小惑星にも付けられていて(7594)Shotaroと登録されています。今年の夏至の日没後,火星とShotaroが西の空のしし座で並ぶのが望遠鏡で眺められるでしょう。


【参考文献】
http://www.kcg.ac.jp/kcg/sakka/kwasan/craterMiyamoto.htm
http://planetarynames.wr.usgs.gov/jsp/FeatureNameDetail.jsp?feature=74425


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作花 一志
Kazuyuki Sakka
  • 京都情報大学院大学教授
  • 京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻博士課程修了(宇宙物理学専攻)
  • 京都大学理学博士
    専門分野は古典文学,統計解析学。
  • 元京都大学理学部・総合人間学部講師,元京都コンピュータ学院鴨川校校長,元天文教育普及研究会編集委員長。

上記の肩書・経歴等はアキューム25号発刊当時のものです。