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Accumu Vol.14

F1の革新とコンピュータ

小倉 茂徳

自動車レースのなかで,世界最高峰といわれるF1。F1は,正式には「フォーミュラ1ワールドチャンピオンシップ」といい,国際自動車連盟(FIA)が統括する自動車レースのなかの最高位にある。毎年17戦前後(2005年は19戦)のレースが開催され,ヨーロッパ,日本を含むアジア太平洋圏,南北アメリカ大陸を転戦して,年間のチャンピオンを決定するシステムである。

このF1では,各チームが車体を自作してくることがレギュレーション(ルール)で義務付けられている。他の自動車競技では,一部の例外を除いて,大部分が既製の車体,エンジン,ギヤボックスなどをレーシングチームが購入して参戦しているため,F1は最もクリエイティブな自動車レースであり,その開発競争はとどまるところを知らない。開発競争といえば ジェット戦闘機などの軍需産業がその最先端に思えるが,開発速度とサイクルでみると,毎年新型マシンを開発して,ほぼ2週間のサイクルで開催されるレースごとに改良を重ねていくF1のほうが軍需産業をもしのいでいるといえよう。そして,きわめて短い時間のなかで,きわめて高い性能が要求されるF1マシンの技術は,市販車の技術開発に導入されることも多く ホンダの創始者である本田宗一郎氏(故人)は,「レーシングカーは走る実験室」と呼んだほどだ。また,私たちは,F1の技術革新による競争の様相をとらえて「知恵と技術によるアタマのオリンピック」とも呼んでいる。F1は技術開発とそれにかかわる人材育成の格好の場となるため,当然のように自動車メーカーが積極的に参戦している。現在では,ルノー,ホンダ,トヨタ,BMW,メルセデス・ベンツ(ダイムラークライスラー),フェラーリ(フィアットグループ)が参戦し,優勝を目指しながら,競争の中で互いに技術力も高めている。

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F1とコンピュータのかかわり

F1

激しい競争のなかで常に最速を求めるF1では,最新の技術やノウハウが常に求められる。また,一方では,技術革新によって高性能化したレーシングカーが安全な範囲を超えないように,レギュレーションによる規制も行われている。この規制が行われることでスピードや性能が失われるが,それを回復しようとまた新たな技術を生み出すという刺激にもなるのだ。こうした技術競争の熾烈なF1では,コンピュータとのかかわりも長く深いものがある。

F1にコンピュータが使われ始めたのは1960年代で,イギリスのBRMチームはテスト走行の際に,車体各部のデータを記録するためにアナログ式の計算機とデータ記憶装置を搭載した。また,ホンダは,この走行データをピットに無線で飛ばす「テレメトリー」の導入をすでに行っていたのである。

さらに1978年には,イギリスのティレルチームが,レース開催期間中も操縦席に小型のアナログコンピュータを搭載。これで車体やサスペンションにつけられたセンサーからのデータを記録し,コースに合った最適なレーシングカーにセッティングする資料を提供していた。だが当時の人たちの目にはこれがとても奇異に映り,「ブラックボックス」とか「カール・ケンプ(この装置の開発担当者)のおもちゃ」などと呼ばれ,重量軽減の目的から1年で姿を消した。

コンピュータが重要な役割を果たすようになるのは,1980年代に入ってからとなる。当時,F1はターボエンジンの時代を迎えており,このターボエンジンは,強大なパワーを生み出す反面,操縦性,耐久性,燃料消費などすべてにおいて優れた性能を発揮するには,燃焼や温度の制御と管理が以前のエンジンよりも難しい。そこで,電子制御燃料噴射装置の利用が必須条件となる。さらに,1987年,1988年とターボエンジンにより厳しい過給制限と燃費制限が課せられると,より精密なエンジンの制御が必要となった。こうしたなか,ホンダは多大な成功を収めた。この理由はいくつかあるが,その主なものが「PGM-FI」と呼ばれる電子制御燃料噴射の技術とテレメトリー技術だ。ちなみに,現在のホンダのF1プロジェクトリーダーを務める木内健雄氏は,当時市販車からF1までのPGM-FIの開発を担当したコンピュータシステムを専門とする技術分野の出身である。

1980年代は,エンジンの高性能化とともに,車体も高性能化した。車体の設計開発には,CADやCAEが利用されはじめた。そして,安全性能を高めるために,クラッシュ(衝突安全)テストが義務付けられるようになると,有限要素法による解析なども導入されるようになった。このほか,車体側の性能を高めるために,ロータスが電子制御サスペンションの「アクティブサスペンション」を実用化してF1に導入。このシステムも広まることになった。またフェラーリは,コンピュータによる電子油圧制御システムを利用することでクラッチ操作を不要としたセミオートマチックギヤボックスを1989年に実戦投入。これは瞬く間に各マシンに搭載され,さらに高性能高効率化を実現した駆動システムが次々に開発された。

1990年代に入ると,F1にコンピュータ技術は欠かせないものになってくる。それは,コンピュータを応用した技術があれば,理論上ドライバーがいなくても自動的にレーシングカーを走行させられるレベルにまで達するほどだ。このあまりの性能向上に,本来世界一の操縦技量を持ったドライバーがチャンピオンになるべきF1の競技が成り立たなくなることが危惧された。さらに,高騰する開発費用を抑えるためにも,FIAはレギュレーションで技術規制と部分的な規制緩和を幾度も行ってきている。

近年では,FIAもまたレギュレーション決定のために,コンピュータ技術を応用している。F1とコンピュータ技術は,切っても切れない関係にまで発展してきているのである。

現代のF1チームとコンピュータ

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現代のF1では,毎年新型マシンが設計開発されて実戦に投入されている。そのため,マシンの開発サイクルは開発着手から実戦を迎えるまで半年以下しかない。その内訳は次のようになる。

・設計と製作(3ヶ月)

・風洞などの実験やテスト(1ヶ月)

・完成したマシンによる走行テスト(1ヶ月)

こうして開発された新型マシンを,1チームあたり年間6台から8台製造する。1台あたりに要する部品設計は,30万点にも及ぶ。そして,1台のマシンに装着されるコンポーネントは12,000ユニットにもなる。しかも,この作業の半分以上を,日々の実戦と並行して行っていかなければならない。そのためF1で上位を争うチームは技術部門を24時間フル稼働体制にしている。その年間総予算は6000万ポンド(約100億円)にものぼる,大規模プロジェクトなのだ。

だが,1日の時間は24時間しかないのは変えられない。レースで勝ち,ライバルに対して優位性を維持するには,限られた時間のなかで,最大限の性能を引き出せるレーシングカーを効率良く開発しなければならない。それには優秀な人材が必要なのはもちろんだが,設計・開発におけるコンピュータによる支援も欠かせないものとなっている。それゆえ,コンピュータの役割と重要度が毎年飛躍的に増大し,現在のF1の上位チームでは,設計,試作,製造,製品検査のすべての分野にコンピュータを利用している。

データ獲得と応用

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現代のF1では,情報収集とその蓄積がきわめて重要になっている。たとえば,テストでも実戦でもサーキットを走行すれば,そのときの車体各部の状態を記録することで,車体やエンジンだけでなく,コースのデータまでわかってくる。このデータをもとに,自分のマシンをより速くしたり,ライバルの長所と弱点を探って,より有利な作戦を立てたりもしている。また,収集されたデータによってエンジンやシャシ-のシミュレーションを行い,ファクトリー(チームの基地)でも実際の走行状態を再現してより実践的な研究開発を進めているのだ。

F1のレース開催は金曜日から始まり,金曜日の2回の走行と土曜日午前の2回の走行は,フリー走行として開発に当てられている。上位チームの大部分は,この時間に1台あたり250ものセンサーを搭載し,走行中の各種のデータを採取している。その内訳はエンジンの回転数・温度から,ギヤボックスの操作状況,前後左右のサスペンションの動き,ブレーキ操作と温度と磨耗量,ステアリングの操作量,タイヤの温度など,多種多様だ。これらをもとに,予選と決勝での最適なセットアップや戦略を決定している。

予選と決勝では,センサーの量を必要最低限に減らすが,それでもセンサーが検知したデータによって,ピットではマシンの状況を把握し,戦略をリアルタイムで練り直している。

一方,テスト走行のときは,より多くのデータがほしいことから,センサーの搭載数がフリー走行のときの2倍から3倍にもなる。したがってより膨大なデータが獲得されることにもなる。ちなみに,F1の1チームが1年間に蓄積するデータは,数テラバイトになるという。

走行中のレーシングカーからピットへデータを送信するテレメトリーでは,リアルタイムの無線データ通信のほか,1周ごとにバッファしたデータを,ピット前を通過するときにマイクロ波通信で送る方法も使われる。サーキットによっては,無線通信の状態が良くないところがあることに対応するのと,一度に送信できるデータ量が多いことから,後者のマイクロ波による方法でバックアップしている。また,レーシングカーがピットに戻れば,エンジニアがラップトップコンピュータを直接接続し,車載コンピュータとデータのやりとりをする方法でもデータを採取している。こうして獲得されたデータは,ピット奥やサーキット内に特設されたチームオフィス内(ヨーロッパではF1チームの移動用トレーラー内)にあるサーバを通じて,チーム内のすべてのコンピュータからアクセスすることができるようになっている。

コンピュータ機材は,通常空調のきいた部屋に固定して使用されるものが多いなか,F1ではトラックや飛行機で世界中を転戦して振動が加わるうえ,暑いガレージの中といった苛酷な環境で酷使される。そのため,システムには必ずバックアップがとれる状況がいくつも用意されている。また上位チームは,コンピュータメーカーやソリューションシステム企業をスポンサーやサプライヤーとして,より高度で万全な機能が得られるようにしている。ハードウェアメーカーやソフトウェア企業にとっても,F1の過酷な環境で高度な要求に応えるようにすることで,自社製品の実験や研究にも役立てているのだ。

コンピュータ技術の応用はさらに続く

このほかにも,F1では車体の周囲を流れる空気を利用するエアロダイナミクスや衝突安全など,さまざまな部分でコンピュータ技術を応用し,つねに技術的な進歩を遂げている。とくに,エアロダイナミクスでは,CFD(数値流体力学)がごく最近飛躍的に進歩し,そのおかげで,2005年のシーズンでは,上位チームの多くがボディ部品をごく短時間で開発し,テスト走行をしていないままでも,実戦で好結果を出していた。このCFDの飛躍的向上は,ソフトウェアとハードウェアの両方の性能向上によってもたらされた。また,こうしたエアロダイナミクスや衝突安全に関する技術は,直接的に市販車の技術向上に結びついており,F1が今でも「走る実験室」となる最たる部分でもある。

コンピュータとそれに関連した技術には,まだまだ研究開発し,発展する余地が残されている。F1はコンピュータ技術の開発を促進し,またその発展の恩恵をうけて,さらにレーシングカーの開発を推進している。競技の公平性と安全を確保するために性能規制も行っているFIAも,先ごろ大手CPUメーカーの支援契約をとりつけ,コンピュータを駆使してよりすばやく高度な対応をした。1968年にアポロ11号が月に行ったときのテレメトリー技術を,F1は1980年代に追い抜いた。F1はコンピュータとともに,より高度な技術を追求しつつ,よりエキサイティングなレースをファンに提供し続けているのだ。

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エンジン

現代のF1は,自然吸気式の4ストロークのレシプロエンジンで,燃料もEU諸国のガソリンスタンドで販売される,無鉛ハイオクガソリンの成分とされている。エンジンの排気量と形式は,2005年までは3000ccのV型(バンク角度は自由)10気筒で,2006年からは90度V型8気筒の2400ccとされている。2005年は1基のエンジンで2回のレース開催を走りきらなければならない規定となり,エンジンは耐久性が重視された設計となったが,それでも最高回転数は毎分19000回転以上,出力は700キロワット(約950馬力)を超えるといわれている。

だがエンジンに求められるのはピークの性能だけではない。ドライバーの求めるときに,求めただけの出力を瞬時に出すこと,つまりエンジンの操縦性の良さが要求され,曲がりくねったサーキットをすばやく駆け抜けるF1ではこれがきわめて重要となる。そこで,エンジンには細かな制御技術が必要となる。

現在のF1のエンジン制御は,全て電子制御で行われる。ドライバーのスロットル操作も,スロットルペダルについたセンサーで電気信号にされる。そして,ECU(エンジン制御ユニット)へもたらされ,そこで各種の情報と照合されて,最適な操縦結果が得られるように演算処理される。この演算プログラムは,点火タイミングや,燃料噴射時期と噴射量などを複雑に組み合わせたもので,そのグラフが立体的な地図のようになることから「マップ」と呼ばれる。このマップは,走行状態,路面状態などに合わせて5,6通りがある。たとえば,セーフティーカーによる先導走行では,低速走行で燃料消費を抑えたマップ,レース中走行の標準的なマップ,ライバルを追うときのハイペース/ハイパワー優先のマップ,雨で滑りやすい路面に対して,パワーの出方をやや緩やかにして,滑りにくくするマップなどがある。ドライバーは走行中に最適なマップを選ぶが,その選択には,ピットにいるエンジニアから無線で飛ばされる助言も役立つ。2002年には,「双方向テレメトリー」として,ピットから無線でマップを含む各種の車載プログラムの変更が可能だったが,2003年からはこれが禁止され,ドライバーの選択操作に委ねられている。

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電子油圧制御ギヤボックス

セミオートマチックギヤボックスは,ギヤシフト操作にクラッチの操作を必要とせず,ステアリングホイールについたレバー操作でギヤシフトを行うもの。これだけでも,クラッチ操作がなくなり,シフト操作時間,つまり,エンジンの力がタイヤに伝わらなくなる時間を少なくしてタイム向上につながった。また,ドライバーは常にステアリングホイールを操作することができるため,より正確な操縦が可能となり,タイム向上が可能となった。

このシフト操作は,ステアリングホイールで電気信号に変換され,車載コンピュータに伝達される。そこで,ECUにはシフト操作にともなったエンジン操作を行うように指示が送られる。シフトダウン時には,自動的にエンジンの回転数を合わせ,そして,各種の油圧アクチュエーターも作動して,クラッチの断続操作や,シフトチェンジの操作が機械的に行われるのである。この電子油圧制御システムのなかで,「ムーグバルブ」という油圧制御バルブがF1では多用されている。ムーグバルブは,用途別に多様な種類が販売されているが,F1で使われているものは航空宇宙用もしのぐ,もっとも高性能で もっとも過酷な条件にも耐えるもので,1個あたり100万円以上といわれている。F1のギヤボックス1個あたり,このムーグバルブが数個使われている。

現代のF1のセミオートマチックギヤボックスは,ギヤを1段変えるのにわずか20ミリ秒(1000分の20秒)しかかからない。そのため,シフトチェンジ時の出力損失が極めて少ない。2005年にBARホンダは,これよりもさらに速くシフトチェンジするシステムを実現していた。これはほぼCVTと同じ出力伝達できる高効率なものだったが,他チームとの話し合いで,実戦投入は見送られている。

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小倉 茂徳
Shigenori Ogura
  • ジャーナリスト
  • 勤め先の業務で,87,88年ホンダF1チームの広報スタッフとして転戦
  • 96年よりフリーとなる
  • 98年よりアメリカに本部を置く自動車技術学会SAEのスタッフも兼任
  • 書籍などの製品開発と教育活動部門を担当
  • 大学生を対象とした技術教育競技フォーミュラSAEのエキスパート
  • 現在フジテレビCSの721チャンネル,F1番組の解説者も務める

上記の肩書・経歴等はアキューム14号発刊当時のものです。