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Accumu Vol.7-8

巻頭言 社会・文化の大変容期を迎えて ―文化としてのコンピュータ―

長谷川 靖子

長谷川 靖子

東西冷戦構造の終焉を大きな契機とし,世界は旧体制,旧秩序の崩壊に見舞われており,改革の方途の模索で各国とも混迷状態に陥っている。勿論,日本とて例外でない。終戦後10年間に築き上げてきた55年体制は1990年頃より急激に崩壊し始め,官僚システム,企業システム,金融システム,その他,工業化社会向きにつくられたあらゆるシステムの抜本的なリストラを求めて,まさに「乱」の時代である。

各国各地域における多様な崩壊と混乱を渦現象とした世界的な社会構造大変容へと向かう一大潮流の存在を誰しも感じており,その潮流の行く手に横たわる大海として,成熟したマルチメディア高度情報化社会を,人類共通して予感しているのである。

振り返れば,過去30数年間,コンピュータによる技術革新は圧巻で,社会のあらゆる分野,あらゆる部門でコンピュータは大きなインパクトを与え,革新・発展を促し,急激な情報化社会の実現を見た。

それに伴い,日本は,“電子立国”として経済大国に成長し,また1980年代後半,ダウンサイジング化したエレクトロニクスの拡散が東アジアの急成長をもたらした。さらに1990年代に入って,ASEAN諸国におけるめざましい工業化による経済成長があり,かくて世界の情報技術文明の中では,1970年代まで話題にもならなかったアジア世界が,情報化社会の担い手として,“アジアの時代”“太平洋の時代”が叫ばれるに至った。

ASEANにおける経済成長は,安い労働力を前提とした外資導入による高級品の輸出産業の成功に負うのであるが,この成功は,コンピュータが「人間の知識・技術・経験」を代用したからに他ならない。

ところで,東西冷戦構造を終焉させたのはエレクトロニクス化による西側の経済繁栄が一大誘因となったのであり,また,工業化社会を根底からくつがえし始めたのも,アジア圏が世界の経済構図を変えさせたのもエレクトロニクス化が大きな要因として働いたからである。こう考えていくと,コンピュータの発明と進歩は単純に技術文明的事象であったのではなく,歴史的事象,文化的事象であったという認識に到達する。

ソフトウェアの開発やマルチメディア領域におけるアメリカに対する日本のギャップを嘆いて,“アメリカの成功はコンピュータを文化として捉えたことにある”という世論が,一昨年やっと日本のマスコミに登場した。しかし,我々の京都コンピュータ学院は,33年前創立時より,コンピュータを単純に学術研究やビジネス・オートメーションの機械として捉えず,コンピュータを文化事象として把握してきた。“京都コンピュータ学院はコンピュータ文化の創造にかかわっている”という慧眼の一部良識家達による在野評価が,早期の頃よりあったのである。そして我々は,日本及びヨーロッパ社会に根づく『コンピュータをスペシャルな領域の機械』として捉える固定観が,コンピュータ・リテラシー,マルチメディア・リテラシーの社会全域への浸透を著しく滞らせ,多様なソフトの開発を決定的に遅らせる原因となっている点を指摘し続けてきた。我々の先見は正しかったのである。そして,昨年,今年と,マスコミの爆発的なメディア・ブームを通して,今や”文化としてのコンピュータ”を容認することに,誰しも異論はない。

さて,現在進行しつつあるメディアと通信の大革命は,かつての情報処理革命,メカトロニクス革命の比ではなく,社会全体の構造を世界的規模で変えていくだろうと言われている。

インターネットの広域性,各地域で入手し得る情報の平等性,受信者の自由な情報選択性,双方向性,これらインターネットの構造的特性が,人々の生活・文化を変え,社会・経済・文明の構造を,さらには,人類そのものを変えていくベクトルとして働くのである。

バーチュアル・カンパニー,バーチュアル・カレッジ,バーチュアル・モール,バーチュアル・コミュニティ,電子図書館が生まれ,人々のライフ・スタイルは激変するだろう。「都市」は意味をなさなくなり,都市中心の社会構造は崩れ,地域に拡散することが予想される。規格品の大量生産を目標とした生産者から消費者への一方的図式は,消費者の自由な選択システムを前にして,価値基準の個性化,感性の多様性時代の相関図式に変化するに違いない。長い間続いた工業化社会における文明のヒエラルキー構造は,分散型,平均型へ移行し,次世代高度情報化社会の新しい文化が生まれていくだろう。パラダイムの変換は必至である。

このように,広域化したネットワーク型マルチメディアがもたらすものは,世界的規模の文化大変容なのである。

以上,エレクトロニクス化をフォーカスに,時代,社会を概観した。情報処理技術者は情報関係の理論,最新の技術に励むのみならず,情報化社会を取り巻く社会的環境,文化的視点におけるコンピュータ・ビジョン,さらに高度情報化がもたらす歴史の必然的な流れを認識することが肝要であろう。社会が求めているのは決してコンピュータ・オタク族ではなく,“時代を創る”時代の旗手としての,また文化の創造者としてのコンピュータ技術者なのである。

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長谷川 靖子
Yasuko Hasegawa
  • 京都大学理学部宇宙物理学科卒業(女性第1号)
  • 京都大学大学院理学研究科博士課程所定単位修得
  • 宇宙物理学研究におけるコンピュータ利用の第一人者
  • 東京大学大型計算機センター設立時に,テストランに参加
  • 東京大学大型計算機センタープログラム指導員
  • 京都大学工学部計算機センタープログラム指導員
  • 京都ソフトウェア研究会会長
  • 京都学園大学助教授
  • 米国ペンシルバニア州立大学客員科学者
  • タイ・ガーナ・スリランカ・ペルー各国教育省より表彰
  • 2006年,財団法人日本ITU協会より国際協力特別賞受賞
  • 2011年 一般社団法人情報処理学会より感謝状受領。
  • 京都コンピュータ学院学院長

上記の肩書・経歴等はアキューム22-23号発刊当時のものです。