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Accumu Vol.3

マルチメディア通信について

京都大学工学部数理工学教室教授・大型計算機センター長

長谷川 利治

情報・通信とは

「通信」を工学的な側面から眺める前に,通信とは何か,を考えてみましょう。これには色々な考え方,見方のレベルがあり,当然のことながらすべてを尽くすことはできないと思われます。一つの考えとして,「情報の伝達」を行うことが「通信」をする事であるということがあります。このように考えますと,なにも人類だけが通信を行っているのではないことに気がつきます。すべての生物が,動物であろうと植物であろうと,遺伝情報の伝達を行っています。遺伝情報伝達のような無意識下の行動でなく,危険を知らせる行動は,植物ですら取ることがある,という研究結果の報告もあります。

このような考え方を述べてきた理由は,通信というものが生物にとって生存と繁栄に関わる根元的に重要なものの一つであることを申し上げたいからであります。情報化時代の到来が数年来叫ばれていますが,実は生物の発生から,もしかするともっと前から,情報及びその伝達が必要不可欠であるという意味で情報化時代であり続けてきたと言えます。情報化時代については,本誌で少し述べさせていただきましたが(1),人間にとって根元的とも言える情報の,人工的な伝達を主たる目的とする通信についてのある側面をお話します。

通信工学を考える

以上に述べたように,情報・通信は生物にとって根元的なものですが,工学というものが,なんらかの意味で人類の役に立つ行動に関するものであると考えますと,その技術的側面が重要となります。限られた時間内に通信について概説するために,近ごろ脚光を浴びているマルチメディア通信技術を通してお話することにいたします。これにより,通信工学がただ単に物理的な信号伝送のみを扱うと考えられた時代はすでに遠くに過ぎ去っており,通信を情報の伝達と考えなければならない理由が理解されるものと期待します。

マルチメディアとは

通信メディアは,信号を伝送する線路から情報を伝達する手段までを含むもの,すなわち媒体です。マルチメディアとは,複数のメディア(媒体)を意味するのみで,本来ある特定のメディアの組合せを示すわけではありません。また,メディアの種類も通信及び情報処理に限っても極めて多岐にわたります。分類方法も多種多様ですが,情報表現と情報伝送に限ると,次の例が考えられます。

 情報表現

  視覚に訴えるもの

   印刷物

    活字によるもの

     新聞*

     雑誌*

    写真によるもの

     ・・・

     ・・・

   非印刷物

    映像

     動画像

      音声を伴うもの

       テレビ*

       映画*

      音声を伴わないもの

     医療診断用実時間画像

     静止画像

       ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 情報伝送

  電気的な通信

   無線通信

    一方向通信

     ラジオ放送*

     ・・・

    双方向通信

     無線電話*

     衛星通信網*

     無線LAN*

     ・・・

   有線通信

    電話網*

    データ網*

    LAN*

    ・・・

  注:*印をもつものがメディア例

上の例はごく一部を示したものであり,その他の例,分類は極めて多数考えられます。

情報表現について考えてみますと,主なものとして文字(符号),音声,画像があります。これらの複数のものを同時に,実時間で扱う情報システムがマルチメディア情報システムです。しかし,テレビや映画などは,画像と音声を同時に提供するので,あきらかにマルチメディアですが,最近一般に言われているマルチメディアシステムには含まれていません。技術が実用化されていく過程に於てときどき現われる広い意味でのコマーシャリズムの影響かも知れません。

マルチメディア情報システム

マルチメディア情報システムを考えるとき中心になるのは情報表現及び情報処理であって,情報伝送は従であります。しかし,各情報表現及び処理に対して,それぞれ適した情報伝送があり,それらの関連を常に考えておかなければなりません。

従来,各情報表現メディアに対して,別々に情報処理システムが構築され,機能してきました。ところが,前述のように,種々の情報表現が同時に実時間で単一のシステムで取り扱うことができれば,人間の,機械をも含めた,情報処理,理解能力が飛躍的に向上することから,マルチメディア情報システムの発展が望まれているわけです。

従来のアナログデータでは,各メディアのための信号を比較的狭周波数帯域で取り扱うことができましたが,統合的に取り扱うことは極めて困難であるという問題がありました。この統合的取り扱いを可能にしているのがディジタル信号処理技術の発展です。半導体技術などの発展によって,極めて大量のディジタルデータを超高速で,しかも安価に処理し,蓄積できるようになりました。さらに,同軸ケーブルから光ファイバーによる情報伝送が,超高速通信を安価にすることを可能にしています。

さらに重要なことは,これらの情報表現メディア間の情報変換の問題です。情報処理システムのハードウェア及びソフトウェアの発展により,例えば,ある言語で書かれた文字を読み取り,意味を理解し,他の言語へ翻訳し,それを音声信号に変換すること,などの可能性が見えてきていることであります。

マルチメディア通信は,ディジタル信号伝送・処理技術に依存しています。マルチメディア情報伝送システムについての提案や実用化研究は,1960年の初め頃から始まったと言えます。例えば,R.J.Filipowskyらは,将来ディジタル信号伝送技術の発展により,マルチメディア通信が可能になると述べています(2)。また実現化研究としては,T.Hasegawaの提案などがごく初期のものとして発表されています(3)。Hasegawaらの研究は,非同期時分割多重通信によりマルチメディア通信を行う方式を提案したものであり,既に実用化されているパケット通信や,最近になって重要視されているATM(Asynchronous Transfer Mode)の走りです。

マルチメディア通信は,優れた,通信処理方式を含めた,通信方式の提案のみならず,同軸ケーブルや光ファイバーのような超高速通信線路の発展,通信機器用の超高速論理回路,大容量超高速記憶装置などの発展によっていることは言うまでもありません。

マルチメディア情報処理システムと情報通信システムが有機的に結合されて,マルチメディア情報処理ネットワークが構成されることになります。

マルチメディアサービス

マルチメディアサービスについて詳述するのは避けることとして,ここではごく一般的な説明にとどめます。

現在利用されているDTP(Desk Top Publishing )システム及び期待されるその将来を一例として考えるとき,それなくしては過ごされない状況が予見されます。このようなものは,DTP以外にもいくつも考えられ,マルチメディアサービスは将来の生活において不可欠となることは確実でありましょう。

一方,マルチメディア通信も同様です。しかし,初期の段階においては,マルチメディア通信をめざした日本電電公社が提案したINS(Information Network System)は(Ittai Nanio Suruno)と言われたり,ISDN(Integrated Services Digital Network)は(Innovations Subscribers Don't Need)と言われました。これは,通信システムの利用者にとっては,物理的な通信メディアや信号形式は全く関係なく,高速,大量通信が安価にかつ確実になされればよいのであることによるものでしょう。今では,INSないしはISDNは,このような利用者のニーズに応え得る方式であることが理解されてきています。

おわりに

以上,マルチメディア通信技術を簡単に述べることによって通信の一面を概説しようとしましたが,通信システムが具備しなければならない重要な性質に言及しましょう。電信・電話から計算機通信網にいたる通信システムにおいては,そのシステムの利用者に通信系の存在を知覚されないで,利用者が自由に,必要に応じて通信が行えるように,システムを設計,構築,運用することが要求されるという性質についてです。計算機工学者や科学者のように,利用者の犠牲,労苦をあてにしてシステムを構築してはならないのです。もちろん,このような計算機関係者の傾向は,その歴史の浅さからくるものであり,時間とともに改善されつつあります。

通信工学は,社会の情報化の進展とともにさらに発展を続けていきますが,社会のインフラストラクチャとしての重要性は増加の一途をたどっていますが,一般の人々にはあたかも空気のような,その存在を殆ど知覚せずに生活していっているようなものとならなければならないのです。一方このことは,「悪い」システムが,あたかも,長い間知覚されなかった大気汚染のように,はびこってしまう危険性もあることに注意しなければならないでしょう。


参考文献

(1)長谷川利治「情報処理教育に求められること」,アキューム第1巻,74~75頁,京都コンピュータ学院,1989

(2)R. J. Filipowsky & E. H. Sherer, "Digital Data Transmission of the Future", IRE Trans. on Communication Systems, Vol. CS-9,pp.88-96, March, 1961.

(3)T. Hasegawa, Y. Tezuka & Y. Kasahara, "Digital Data Dynamic Transmission Systems", IEEE Trans. on Communication Technology, Vol. COM-12, No.3,pp.58-65, September, 1964.

この著者の他の記事を読む
長谷川 利治
Toshiharu Hasegawa
  • 1934年生まれ
  • 大阪大学大学院修了(工学博士)
  • 京都大学工学部教授,同大学院教授,同大学情報処理教育センター長,同大学大型計算機センター長などを経て,1998年から南山大学教授,2000年4月から同大学数理情報学部学部長を歴任
  • 2007年4月から京都情報大学院大学副学長
  • 現在,情報システム学会日本支部(NAIS)支部長,米国電気電子学会会員,日本オペレーションズ・リサーチ学会会員なども務める
  • 元日本オペレーションズ・リサーチ学会会長,元国際オペレーショナルリサーチ学会連盟(IFORS)副会長

上記の肩書・経歴等はアキューム17号発刊当時のものです。