トップ » バックナンバー » Vol.4 » 聖徳太子は南十字星を見た? 地球の首振り運動

Accumu Vol.4

聖徳太子は南十字星を見た? 地球の首振り運動

京都コンピュータ学院鴨川校校長/京都大学理学博士

作花 一志

初夏の夜空は天の川が地平線下に隠れているせいか,豪華な冬の星空に比べるとやはり寂しい。今夜の一番星はしし座にいる木星でそこを中心として春の大曲線が描かれている。東北の低い空に現われる織女星(ベガ)の輝きは夏の到来を感じさせる。天球にはり付いた無数の星々は北極星を中心に23時間56分4秒で規則正しく運行しているが,北極星だけは常に定位置で光っている。その地平線からの高度は観測地の緯度に等しく,京都の四条通りはちょうど北緯35度00分であるから,京の人々は古より北極星を北の方向,35度の高度に見てきた。北半球に住む私達にとって北極星は太古より海をわたるとき,砂漠を旅するときに方角を教えてくれる親切な案内人であった。また,中国では文武百官を従えている皇帝にもなぞらえられた。

ところが,長い年月のうちには星も位置を変え「恒星」ではなくなり,北極星も「北極星」ではなくなる。その原因は恒星自身の個々の運動(固有運動)によるものと,観測点すなわち地球の運動によるものがある。前者は数万年のタイムスケールでは重要だが,数千年間では圧倒的に後者の責任の方が重い。地球の自転軸は北極と南極を結ぶ線であるが,その軸は空間に常に固定されているのではない。物体の自転運動をもっと身近な例で見てみよう。このごろ正月の遊びとしてあまり見かけなくなったが,こまを回してみよう。いつまで勢い良く回っているだろうか。いや,こまは回転方向と同じ方向に首振り運動を始めるだろう。初めはゆっくりだが,こまの心棒の傾きが大きくなるにつれ次第に激しくなっていく。こまの重心に働く重力は回転軸を倒そうとするが,回転軸はそれと直角に傾き首振りが起こる。この運動は「歳差運動」と呼ばれる。地球の自転においても同じような首振り運動が起こる。こまの心棒が時々刻々向きを変えるように,地球の自転軸も年々歳々その方向を変える。地球の歳差運動を起こす外力は他の天体(主として太陽)による万有引力である。地球は実は球ではなく赤道方向に膨らみを持つ回転楕円体で(赤道半径は極半径より約20㎞大きい),また自転輪は公転軸に対し約23度4分の傾斜角をもっている。そのため地球の太陽に近い半球と他の半球では太陽からの引力差が出てきて,この傾斜角を小さくしようとする作用を起こす。その結果,地球は自転方向と逆方向に首振り運動を起こすというわけだ。

地球の自転軸が向きを変えるため天球の座標原点,すなわち春分点は1年間に約50秒(視力1.2の眼で分解できる限界角度)の速さで西へ西へと移動していき,約26000年で黄道を一周して元に戻る。ギリシア時代におひつじ座にあった春分点は今うお座にある。2000年間で黄道一二宮の一星座分移動したというわけだ。春分点移動そのものはすでにBC150年頃ギリシアのヒッパルコスが発見している。時計も望遠鏡もない時代にどうしてこの事実が発見できたのだろう? 歳差運動を起こす外力は太陽からだけでなく月からも,さらに僅かではあるが惑星からももたらされる。地球は太陽の周りに楕円軌道を描いているので太陽・地球の距離は一定ではなく,同じ理由で地球・月の距離もやはり一定ではない。そのため万有引力は絶えず変化し,地球の首振りも僅かながら常に変動している。したがって全ての天体はたとえ自分自身は不動であっても時々刻々天球上の座標値を変える。その変化を表す公式は数十年程度の短期間であれば時間の一次式で与えられるが,一般には非常に複雑な三角関数となる。

天の北極が移動するに伴って北極星はどうなっていくのだろう。私達が「北極星」と呼んでいる星の正式名称はこぐま座α星(2.0等星)であり,今たまたま地球の自転輪の延長上近くに見えるに過ぎない。現在天の北極はこの星に接近中で2100年頃最も近づく。北極星の候補はたくさんありその席には様々な星が座る。事実BC1000年頃中国で「帝星」という名で呼ばれていた当時の北極星はこぐま座β星(2.1等星)であったし,BC3000年頃エジプトで北極星とされていた星はりゅう座α星(3.6等星)であったという。こぐま座α星の次に「北極星」と呼べる明るい星はケフェウス座α星(2.4等星)だがそれはまだ6000年も後のことだ。天の北極は今から約8000年後に,はくちょう座のデネブ(1.3等星)の近くに,12000年後には,こと座のベガ(0.0等星)の近くにやって来る。しかしその離角は数度もあるので私達の子孫は(もし生き長らえていたとして)これら明るい星を「北極星」とは呼ばないだろう。

図1
図2
表

天の北極が移動するのだから当然全ての星の見え方も変わる。現在私達が日本から眺められる星座も将来見えなくなることもあるし,またその逆もある。南十字星は,現在わが国では沖縄(那覇で北緯26度2分)でしか見ることができないが,1400年前には近畿地方でも見えたはずだ。その様子を筆者の天文シミュレーションソフト「ASTRON」で再現してみよう。図1は今年の5月15日20時の飛鳥(北緯34度5分)の夜空で4等星までが表示されている。中心は天頂を,大きい円は地平線を表す。南十字星は「春の大曲線」の延長上,南の地平線の東南(左下円の外)に描かれている4個の星であり,その一番北の星,みなみじゅうじ座γ星でさえ南中高度はマイナスである。一方,図2は600年の同日同時刻の同地点における夜空で,南の地平線ぎりぎりに一番南の星,みなみじゅうじ座α星が見え,南十字星全体が確かに認められる。1992年と600年の両星の赤経・赤緯および飛鳥における南中高度を計算して表にまとめた。南十字星はこの1400年間に約8度南に移動したこととなる。飛鳥は南に吉野の山々を控えているので南の低空は見えにくいが,小高い山に登れば十分見えたであろう。頃は聖徳太子が隋より優れた文化を輸入し始めた飛鳥時代である。仏教美術・四書五経等のほかに暦学・天文学の知識も導入されたであろう。聖徳太子のブレーンの中には天文の専門家もいただろうし,太子自身,生駒山頂からあるいは難波の浦から南十字星を観たかも知れない。ひょっとして法隆寺のどこかに,あるいは御陵の中のどこかに,十字の星の画が秘蔵されているのではないだろうか。

■参考文献

「天体位置表」 海上保安庁 1990

「古天文学」 斉藤國治 恒星社厚生閣 1989

「ASTRON」 作花一志 東海大学出版会 1991

この著者の他の記事を読む
作花 一志
Kazuyuki Sakka
  • 京都情報大学院大学教授
  • 京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻博士課程修了(宇宙物理学専攻)
  • 京都大学理学博士
    専門分野は古典文学,統計解析学。
  • 元京都大学理学部・総合人間学部講師,元京都コンピュータ学院鴨川校校長,元天文教育普及研究会編集委員長。

上記の肩書・経歴等はアキューム25号発刊当時のものです。