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Accumu Vol.4

卒業生紹介 青年海外協力隊-ジャマイカ派遣を終えて

国際情報教育振興事業をワールド,ワイドな視野で推進している母校の影響であろうか本学院校友には海外で活躍している者が多い

例えば財団法人国際協力事業団(JICA)が派遣している青年海外協力隊の本部(東京広尾)に問い合わせてみるとニカラグアモモロッコパプアニューギニアジャマイカと実に様々な国で多くの校友か活躍しているというそれとともに校友の一人がちょうど任務を終えて帰国するという情報をキャッチしたアキューム編集部では急遽その校友にインタビューを敢行することになった

CASTの教員たちと池田さん

池田裕行さん1982年京都コンピュータ学院情報工学専門学校(現鴨川校)情報工学科に入学静岡県出身の彼は学生生活を学生寮で送り当時の思い出を次のように語ってくれた

「西野寮にいる頃二人部屋だったんですがルームメイトが勉強熱心でねわからないことを彼に質問したりして僕もよく勉強しました」

1985年に卒業し企業に就職5年間の社会経験を積んだ後青年海外協力隊への参加を決意するなぜ参加を決意したのですかと尋ねると「月並みな言い方かもしれませんがやはり自分の可能性を試したかったんです」と恥ずかしそうに答える池田さんであった

池田さんの勤務した芸術科学技術大学(College of Arts, Science, and Techology = CAST)

彼の派遣先はジャマイカカリブ海に浮かぶ島国世界的なミュージシャンボブマーリィーを生んだレゲエの国公用語は英語であるがイギリスの植民地時代に奴隷達の使った言葉パトアが日常では使われている例えば英語のcoming soon(すぐ来る)がパトアではスンカムになる

最近では日本人の観光客も多く観光用ガイドブックも出回っているしかし池田さん曰く「あるガイドブックに首都キングストンのダウンタウンは自分の足でつぶさに歩いてみるのがよいと書いてあるんですがその言葉に従ってつぶさに歩いたりしたら命を落としますよ」

池田さんは首都キングストンにある芸術科学技術大学で技術者として主にハードウェアのメンテナンスやコンピュータウィルスからデータを守る任務に就くことになった着任当初文化の違いなどで相当苦労したらしい「英語が喋れないと相手にされないんですそれでもちろん英語も勉強しましたがそれ以上に自分の持っている技術を実際に見せて納得してもらうように努力しました」そうすることの中から次第にジャマイカの人々が歩み寄ってくれるようになったという

国際協力という言葉は美しいが実際にそれに携わる際にはたくさんの障害や困難が待ちかまえている決して安易な気持ちでは遂行できないということが池田さんの話からよく伝わってくるそしてその困難を乗り越えつつ誰かがその事業を成し遂げなければならないということも

池田さんの開発したコンピュータワクチンでフロッピーディスクをチェックするCASTの学生

任務を無事終えて帰国した池田さんにジャマイカで何を一番学ぶことができましたかと尋ねたら力強い口調でこんな答が返ってきた「そうですねまずジャマイカという国をつぶさに見ることができたことしかしそれ以上に海外から見た日本海外から見て日本がどのように見えるかということを学んだ2年半であったと思います」

池田さんにとってジャマイカから見た日本とはどのようなものであったのだろう。 その点について尋ねると彼はあまり多くを語ろうとしなかった

おそらくそれは決して良いとは言えない現状を語るよりも国際化社会の中で今後日本人の果たすべき役割について自らの実践を通じて回答を見いだそうという池田さんの国際人としての意志の現れであったのではなかろうか