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Accumu Vol.5

認知革命

ウィーン工科大学/計量経済学ORシステム理論研究所/サンタフェ研究所 ジョンLキャスティ JOHN L. CASTI

翻訳川田 剛之(金沢工業大学情報科学研究所所長)

相対性理論と量子力学の発展が20世紀の科学を定義したのと同様に急成長する認知科学の分野は来たるべき21世紀の科学の核となる将来を垣間見せる存在としてしばしば吹聴されているこの論文でいわゆる認知科学革命は本当に革命的なものなのかあるいは科学的には単に竜頭蛇尾終わってしまうものなのかどうかについて検証するこの疑問に関して将来を見通す観点からこの論文は人工知能の主張と成果について現在流行の人工生命分野の研究者の一連の研究なども含めて詳しく見ることを行うこの論文で今後の10年から20年を支配すると思われる認知革命がどんな方向性をもつかについて推測し結論づけたい

ダンサーとダンス

哲学の教授が学生達の眠気を覚ますために昔からよく言う冗談としてこんなものがある”What is mind? No matter. What is matter? Never mind”(ここの訳としては「心とは何か それは物質ではない物質とは何か それは絶対に心ではない」とも訳せるが最後のNever Mindは熟語として「気にするな」という意味になるのでここの文は全体として冗談になる)冗談を入れると説得力がなくなるかもしれないが学問的レベルのあまり高くない人達にもこの話は次の大変重要な点をわかりやすく示しているつまり物体(人間の脳)が何らかの方法で心をつくり出していることは疑問の余地はないが心そのものは物質的な構成要素を全くもっていないように見えるということであるむしろ通常の空間と時間を超越した世界において心は情報のパターンだけで構成されているようにも見えるしかしそのような構図を念頭に置いたとしても私達は知識の本質に関する基本的疑問についてどのように取り組んだらいいのかまた知識は人間の心においてどのように表象化されているのかといった問題が存在するこれは近年認知科学と呼ばれるものの底に流れる重要な未解決の問題でもある

その熱狂的な瞬間に認知科学の研究者は彼らの分野が21世紀の先駆者を代表しているのだというささやきを聞いてきている相対性理論や量子力学の発展が20世紀の科学を定義したのと同様に肉体と脳に関する研究が来るべき世紀における科学の焦点になるであろうあるいはそのように彼らは言っているしかしそして知識に関する研究は生理学や哲学のような伝統的学問分野であるでは認知科学がこれらの伝統的分野の学問的手法に付け加える熱狂に値する手法とは何なのか この質問に答えるためには認知科学という用語が実際に意味するものについてもう少しきちんと見ていく必要がある

図1 認知科学と6つの伝統的な学問分野の関係

今日の認知科学の歴史的発展について説明する一番優れた研究はHoward Gardnerによる1985年に出版された”The Mind's New Science”(邦訳題名認知革命 佐伯海保訳 産業図書)であろうこの研究でGardnerは認知科学は6つの伝統的な学問分野である哲学心理学言語学人工知能人類学神経科学をその程度に強弱はあるが図1に示すチャートに従って結び付けこれらを混合したものであると主張しているこの図において実線は分野間の関係が深いことを示し点線はそれが弱いことを表わしている

認知科学から見た境界領域に焦点を当てることに加えてGardnerは認知科学をそれの起源となる学問分野から区別する五つの特徴言い換えると五つの指紋を挙げているこれらの特徴はこの認知科学の核となる前提や認知科学の研究者をその起源となる分野の研究者と区別させている方法論を代表するものであるこの後の議論に対する出発点としてこれらの指紋を並べるのは価値がある

表象人間の認識活動について言う時心の表象について述べることが必要であり生物的ものからも社会的文化的ものからも区別される表象のレベルという分析のレベルを仮定することが必要である

コンピュータ人間の心を理解する核心となるものはデジタルコンピュータである色々な研究を遂行するのにコンピュータは必要であるばかりでなく人間の心がどのように機能するのかを調べるのに最適なモデルとしてコンピュータはもっと決定的に役立つ従って認知科学者は実際にはコンピュータを使用しないとしても情報処理装置としてコンピュータを脳と心の作用を研究するための正しい比喩として使えると信じている

感情文脈文化歴史の軽視感情の影響や歴史や文化の入力による寄与といった要因も認識機能にとって重要であるかもしれないがしかし認識科学者はこれらの要因は心の働きを理解することに対しては二次的な重要性しかないと考えている従ってこれらのものを不必要な混乱の原因と見なしている

学際的研究認知科学者は心の研究には学際的な研究方法が有効であると信じているそれゆえたいていの研究者は先に述べた六つの学問分野のうちのいずれかの出身であるがそのうちにこれらの学問境界は薄らぐかまたは消え去るだろうという希望をもっている

古典的な哲学問題認知科学者の論議の系列や関心事の集合は西洋哲学の認識論者がこれまで長い間関心をもっていた問題に強く根ざしているこうして近代認識科学者達は彼らなりの方法で『メノン』においてプラトンが『コギト』においてデカルトが『純粋理性批判』においてカントが行った心と知識に関する同じ疑問に取り組んでいる

学問分野を構成するものについてのガイドラインを得たので認知科学者はどのように人間の心は情報を処理しそれを知識に変換するのかを理解するプログラムについてどの程度それを前進させることができたのかという質問をしたくなる認知科学はその信奉者が言うように本当に知的革命の先駆者なのかあるいは他の批判者が言うように伝統的学問分野から逃避した二流の学者の避難小屋に過ぎないのか高々10年間程しか存在していない学問分野の成果だけでその主張を評価するのはまだ早過ぎるかもしれないが私はすでに得られた結果から出てきた初期的制約や研究計画においてまだ埋っていないギャップに焦点を合わす観点からも検証を行うのは価値があると考える

明らかに認知科学の旗印のもとでなされた研究の一部分でさえ公平に取り扱うことはとても1人ではできないしそれをするのがこのエッセイの目的でもない認知科学全体の代わりにその中で一番論議を呼び最も一般に知られている人工知能の問題に焦点を合わせて議論をしたいと思うあなたや私のように思考できる機械を作ることが可能なのか不可能なのかという議論を検証することにより来るべき世紀において認知科学が心を科学的に理論づける可能性に関する疑問にこっそり忍び寄ることができるであろう

現実の脳と人工の心

1950年にAlan Turingは”Computing Machinery and Intelligence”という論文を出版したこの論文は今日に至るまで猛威を振るっている「機械は考えることができるか」という論争の発火剤となった知能機械に関する関心を引き付ける根本的役割の外にTuringの論文は機械が本当に人間のように考えることができるのかできないのかを決めるための作業テストの導入として有名であるチューリングテストと現在では呼ばれているこの基準は機械が質問者を騙してそれが本当の人間であると信じさせることに関するこの基準は本質的には行動主義的ものである模倣ゲームとTuringが名づけたこのゲームに対する基準は他の人間が考えているのかどうかを決める唯一の方法は彼の行動を観察すること以外にないということであったそしてもしこの基準が人間が考えているかどうかを判定するのに十分であれば機械にも同じ基準を当てはめるべきであるという公正さを要求するものである

面白いことに1991年11月8日ボストンコンピュータ博物館が世界最初のチューリングテストを開催したそこにおいて八つのプログラムが婦人服恋愛関係ブルゴーニュワインなど制限された話題について人間の質問者と会話を行ったその日の終了時に審判員達はPC Therapist IIIというプログラムに1等賞を与えたこのプログラムは特に何でもない話題について気紛れな会話を質問者とするように設計されたものであった

例えばある時点でそのプログラムは審判員に「多分君は恋愛の相手から十分な愛情を受けていないね」と言ったとする

審判員は次のように尋ねる「人間関係において衝突や問題がおきるのを防ぐために重要なキー要素はなにか」

「私が考えていると思っていないようだね」と端末は反応する

この種のやり取りは審判員達をほとんど騙せなかった審判員の多くは常識のたぐいの誤りを見つけることができこれによってすぐ人間とコンピュータとの見分けができたと言っていたそれにも拘らずこの歴史的な実験からの全体的な結論はチューリングテストは多くの人が最初思う程難しくはないということであるなぜならこの競技において素朴なプログラムでさえも何人かの審判員を騙すことに成功したからである

知能のベンチマークとしてのチューリングテストの妥当性についての有力な反論は哲学者Ned Blockにより前進した5時間以内のあらゆる可能な会話を明示的に対応づけて一つの木構造で表現するとするとこの木構造は明らかに膨大なものになり実在するコンピュータではとても記憶しきれない議論を進めるためにこの困難さを無視してこの木構造をコンピュータに入力できたとしよう

その木構造に従って機械は知的な人間がするのとほとんど同様のやり方で質問者に対応するであろうしかしながら機械は単にこの木構造によって対応をしているだけであり機械は精神的状態を全くもっていないこれと同じ結論は有限時間内のどんな会話に対しても成り立つのである

この議論からBlockはチューリングテストでは思考は完全に把握できないという教訓を引き出した木構造で間違っている点はそれが作り出す行動に問題があるのではなく問題はそれらの行動を作り出すやり方にある知能とは単に知能をもつ人間と区別できないような答えを出す能力ではない知的行動を呼び出すということはその行動がどのように生み出されるのかについて命令をすることである

チューリングテストは明らかに人間の知能に関して第三者の立場を代表しているシステムの外部に立ちテストは機械から動作として出力されてくる行動のみを観察して機械の中に人間の知能を識別するように設計されているチューリングテストは機械の内部構造そのプログラムの構成処理装置の構造装置の物質的成分などについては何も言っていないチューリングの知能に関する見解は行動のカウントのみであるそしてもしあなたが「適当なもの」をもってさえいればあなたは考える機械であることになる

1989年理論物理学者Roger Penroseは”The Emperor's New Mind”という本を出版したその中心的な議論は人間の心は超合理思考をもっているのでそれを機械に移植することはできないというものであった先に進む前にここで使っている合理思考とは論理的推論を合理的に処理することによってある結果に帰着するための規則やアルゴリズムに従う強い意識のことである従って日常生活での自己利益や倹約的行動に関連した合理的な経済観念とは何の関係もないことをここで断っておきたいこのPenroseのメッセージは多くの計算機恐怖症の人々や反AI派にとっての大きな慰めの源泉となったと私は確信しているこのような技術に関する専門書が何ヵ月も続けてベストセラーになったことがこのことを裏づけているそれはともかくペンローズの反AI議論は心というものは合理思考より大きいということである

Penroseの反AI議論における一つの鍵となる材料はゲーデルの有名な定理であるこの定理は人間の心が知ることができる正しい算術体系は存在してもそれは有限の規則の組つまりコンピュータプログラムではその結果を得ることはできないことを示すものである考える機械への反論としてゲーデルの定理を使うときにはよく注意すべきであるということには理由があるがここでの私達の目的のためには彼の結果で重要なことは人間の心の合理的能力には限界があるということを知れば十分であるここで知的機械に関係する人達への大きな質問が出てくるすなわちこれらの限界を取り除くことが可能なのかまたは少なくともこの限界を拡げることが可能なのかということであるこの角を突き合わせた論争を明らかにする序として現在のプロAI派とアンチAI派のそれぞれの基本的姿勢について最初に要約したい

プロAI派

荒っぽく分類するとプロAI派は二つの陣営に分けることができるトップダウン陣営とボトムアップ陣営である最初のグループは脳の基本的ハードウェアをコンピュータに人間の知的能力を移植する問題とは無関係であると考えている従って彼らは脳が使う規則を抽象化しこれらの規則をコード化してコンピュータに合った形式にしようとしている

これに対してボトムアップ派は脳の物理的形成方法が私達の認識能力に決定的役割をしていると考えているもしそうならこの物理的構造を考えることなしに機械に人間と同じような認識能力を移植するのは不可能であると考えているニューコネクショニストと呼ばれるこれらの人々は人間の脳にできるだけ近づいた機能組織を反映するプログラムを作ることにより機械に心を模倣させることに焦点をしぼった研究を試みている前奏曲のつもりでこれら二つの異なる方法についてもう少し時間をもらって詳しく見てみたいと思う

トップダウン派のキーワードは表象と規則である一番最初のトップダウンのプログラムがHerbert SimonとAlan Newell及びCliff Shawの3人によりGeneral Problem Solverの名前で1950年代に作られて以来これらの研究に直面する二つの問題点は知識を記号でどのように表現するかということとこれらの記号列を組み合わせて新しい意味のある文字列を組み立てるにはどのような規則を使用すべきかということであったこの記述はAIのトップダウン派の研究項目に現実の脳についての神経生理学的ハードウェアが入る余地がないことを明確に示しているむしろトップダウン派の研究者は彼らの時間とエネルギーを賢い表象システムと思考規則と呼ばれるものを見つけることに専ら捧げている手短に言うとこれらの研究項目は実際の脳のハードウェアを全く無視して記号表象と脳で使われる思考規則を掬い上げることに焦点を当てているトップダウンの研究はHubertとStuart Dreyfusにより三つの異なるフェーズに分けられている

表象と探索(1955~1965)

この期間の研究は”means - end analysis(手段と目的解析)”と呼ばれる一般的な直観的サーチ法を用いてコンピュータがどのようにしてある種の問題を解くことができるかを示すことが中心だったこれは現在のシステムの状態と望むゴールとの間の距離を減少させるためにはどんな方法でも使用することを意味しているSimonとNewellはこのアイディアを大いに使用し直観的手法を抽象化して彼らのGeneral Problem Solverに活用した

マイクロワールド(1965~1975)

初期においてトップダウンの方法は非常に制限された領域においてすなわち幾何学の定理の証明やチェスゲームとかあるいは大規模な形式論理操作と最小限の現実的背景知識の組み合わせで問題を解くことが可能な領域でいくつかの印象的勝利をあげることができたしかし残念ながら日常生活で人間が解く問題はいつもこのように解きやすい特質をもっているわけではないことが間もなく明らかになった機械による言語翻訳の経験により人間の認識の大部分は暗黙の知識と呼ばれる背景知識に関係していることが明らかになっている例えばあるロシア語-英語の翻訳プログラムは英語の慣用語句である ”The spirit is willing but the flesh is week(心は熟しているが肉体は弱い)”を「ウォッカは良いが肉は腐っている」と翻訳したこの類の問題は研究者が実際的で日常的な問題に取り組むにつれてどんどん増加しているトップダウン派の研究者にとっての問題点はどのようにして必要な背景知識を彼らの規則と表象に取り込めるかである

一つの初期の試みは昔からのむりやりある基準に合わせるというAI版であったつまり機械の中に人工的な世界を作ることであるその世界については機械は完全な知識をもっている勿論これらのマイクロワールドと呼ばれる人工世界は実世界から余分なものをほとんどすべて剥ぎとった世界であるしかし希望は与えられた仕事にとって重要と見なせる実世界の特徴のみを大きく抽出することにより機械がこの抽象世界について十分な背景知識を与えられることになり対象物とこの剥ぎとられた虚構の世界における相互の関係について知的に考えることができることである

AIへのこの人工世界のアプローチの初期的な例はTerry WinogradのSHRDLUであったこのマイクロワールドはブロックピラミッド異なる色の球といった三次元物体のみにより成り立っていた計算機はこれらの物体に関する必要な情報をもっておりオペレータにより与えられた命令を受けると計算機にこれらの物体に作業をするように伝える典型的な命令は例えば「青いブロックを持ち上げ赤い球の上に置きなさい」と言うようなものであるブロックや球の性質を知っているので計算機はブロックを球の上に置くことができないと答えることになる

希望はこれらのマイクロワールドが段々とより現実的になり実世界の理解に近づくことが可能になることであったこれらの人工世界での努力は限定的には成功したけれどすぐにすべては決定的な誤解に基づいていることが明らかになったすなわち一つの宇宙と一つの世界との差であるビジネスの世界や科学の世界を考えてみるとその世界は人間にとって意味のある物体や目的熟練慣行といったものからできている組織体であるこれに対してマイクロワールドの問題点は相互関係からなる事実のセットは一つの世界を構成することなしに一つの宇宙を構成できることであった残念なことはマイクロワールドは世界ではなく孤立した意味のない領域であったそのような領域は結合させても拡大していっても日常生活の世界を包含することは不可能であることが次第に明らかになってきた

常識的知識(1975~現在)

トップダウン派AIのこれまでの二つの時代は知識をほとんど使わずにどれだけのことができるのかを調べることを目的にした研究であると特徴づけることができるしかし常識的知識の問題は絨毯の下に隠れており掃き出すことができなかった次のステップは毎日の自明の知識を計算機プログラムに入れる方法として典型的な状態に対するデータ構造を導入する試みであったしかしMarvin Minskyの「フレーム」やRoger Schankの「スクリプト」のような方法の失敗を受けて最後に根本的に新しい方法が必要であることがはっきりしてきたデカルトハッセールや初期のWittgensteinの信念すなわち知的行動を生む唯一の方法は心の中に世界を形式理論で写すことであるという信念を放棄する時であったこの時点で古典的トップダウンつまり記号ベースのAIはImre Lakatosが退化する研究プログラムと呼んだものの例となったそしてボトムアップの観点に入る

望遠鏡の別の端から脳を見てボトムアップの支持者達は人間の認識の問題では脳の物理的ハードウエアが関係すると主張するもし私達が機械に人間の知能を複写する希望をもつのならプログラムの中に頭脳のハードウェアの構造を明示的に説明する必要があるこの意味は内部から見る必要がありどのように脳は結び付いているのかまたその構造は我々が知的であると見なせる行動を生じさせるのにどのように役立つのかを注意して観察する必要があるということである

ここにどの神経整理学者やコネクショニストも同意する人間の脳について少しばかりの特徴を列挙する

単純処理脳の仕事のほとんどは無数のニューロンにより成されるその一つ一つはそれ自身ごく原始的な計算機で単純なオンオフ機能以上の複雑さはない

多量並列化脳の100億からのニューロンが神経細胞の軸受けと連接部のネットワークで連結しニューロンの並列処理を行っているもしそれぞれのニューロンを電球として動作中の脳を映像で見ると当惑するほどの多様なパターンで何十億個の格子状の電球が灯ったり消えたりするであろうこの映像は何列にも並んだ個々のフラッシュライトで構成されているが全体として一つの認識可能なパターンを作るタイムズスクェアの電光掲示板と同様なものに見えるであろう現在の問題は脳のパターンが何を意味するのか全くわからない点にある

プログラム不能プログラムの命令が非常に融通性がなく脆い近代のデジタルコンピュータとは対照的に脳は相対的にプログラムされていないように見えるむしろニューロンの点火パターンを決めるシナプスの結合力はプログラマーにより直接的に設定するより色々な学習過程によって支配されているように見える

適応性脳内における連結パターンは非常に柔軟であり脳を事実上自分で再プログラム可能にしているこれは記憶や学習創造的思考といったものの基礎を与えるこの記憶と学習の過程はある半永久的な様式で状態を変える脳に関係しているのでこの両者に対する柔軟性が必要なことは明らかであるさらに定義では創造的思考は脳で生成され蓄積される何か新しいものを表しているので何らかの方法で脳がそのニューラルの連結を再構築する結果としておきるに違いない勿論これは創造的思考のための必要条件に過ぎない十分条件は未だに大きな謎として残っている

図2 一般的な神経回路継の構造

チェックリストとして上記の望ましいものを使いながらAIのボトムアップ支持者達は脳のハードウェアをなんとかして模倣することに没頭していたそのようなニューラルネットワークの一般的構造は図2に示されるものである基本的な考えはネットの個々の処理単位と脳内の物理的なニューロンとを関連づけようとするものであるこれらの要素を正または負の数値的重みで関連づけ正の関係は要素を興奮させ負の関係は要素を抑制するというようにその重みの大きさによって一つの要素が他の要素への影響力を管理させる全体として要素の活性化は近隣の要素からそれが受ける興奮と抑制の組み合わせによって決定されるそのようなネットはこれらの重みを調整することによりあるパターンの組に反応するように訓練される一度ネットの訓練が終われば訓練セットと同じような特徴をもつ他のパターンに対しても知的に反応することができる

命令により思考の規則を指図しなくても機械は学習しその環境に順応するように多数の処理単位を結合するパターンの再構築により生じるどんな思考の規則でも機械は埋め込まれることになるとボトムアップの研究者は考えるこの認識の内部的見方においては機械は世界に対してほとんど知識のない状態から出発するしかし機械は同時に非常に柔軟なハードウェア構成をもって出発することになる時間の経過と共に機械は環境に順応してある思考のパターンは他のパターンよりも効果的に日常の問題を解くことができるそしてこれらの成功パターンは機械の処理系をリンクする結合網を最終的に組織するこれらの結合網が規則を決め機械はそれを用いて行動や決定を下すことができることになる

訓練されたニューラルネットは人間の脳に関係づけることのできる多くの特徴を示す例えば目的パターンのほんの一部を示しただけでそれを認識できるさらにネットの性能が次第に低下するとニューロンは不発になったとしてネットから除去されるそしてネットは訓練セットに入っていないものでもターゲットパターンと同じ特徴をもつものを認識できるという意味で新しいものを認識可能であるこのようにボトムアップは理論に規制されない世界の観点を表しておりその世界の理論を使用せずに知的に行動することが可能であることを示唆しているしかし日常生活のどの程度までをニューラルネットが捕え得るのだろうか 良く訓練されたネットのできる限界はどこまでか 結局のところボトムアップのプログラムもAIの欠点である常識の問題を完全に克服できたわけではないことがわかるのであるどうしてそうなのかを以下に示す

ニューラルネットのモデリングをしている人達は皆ネットが知的であるためには一般化する能力をもっていなければならないという共通の認識をもっているこのことはある特別な結果について十分な入力サンプルのセットをニューラルネットに与えればその結果に関連する同種の入力に反応すべきであることを意味する問題は同種の入力を特徴づけるものは何かということである実際上はニューラルネットの設計者は同類の概念を念頭に置いておりネットがこの意味で他の場合に一般化することができた時それを成功と数えるここでは二つの困難が存在する最初の困難はパターンクラスの境界が設計者により予め決められていることであるこうして行動に関する新しい形式がこれは人間の知的能力と呼ぶものの一部であるが大きく制約されてしまう二番目の困難は与えられた入力に対してニューラルネットが思いがけない反応を示した場合に発生するネットはネットの設計者とは異なるアイディアに従っただけでありこの予期しない関連づけはこの違いを単に表しただけかもしれない

これらの困難さに目を向けるとニューラルネットが人間の一般化のセンスを共有するためにはそれは脳の大きさ連想構造形状をも共有しなければならないことになるさらに何が正しい結果なのかについて私達のアイディアをも共有しなくてはならないこのことは私達のニーズ欲望感情も共有することを意味しておりまた同様に行動感覚器官や嗜好のための適当な物理的能力をもった人間のような肉体ももっていなくてはならないことを意味しているもしもこの通りならばボトムアッププログラムはトップダウンと同様に全く同じ岩でつまずくことになるそれは常識の岩であるここでHubert DreyfusとStuart Dreyfusの言葉を載せる

「もし解析の最小単位が文化的世界の全体と連動した全体器官の単位ならば記号的にプログラムされた計算機と同様にニューラルネットもまだ非常に長い道のりをいかなくてはならない」

トップダウンとボトムアップの両派で一致している唯一の点は原理的には人間の認識能力を機械に移植するのに障害はないということである論争点はどのようにそれを実現しようとしているかであるしかしそのようなAI強硬派の考えに反対する印象的な議論も多数述べられてきているそこで今度は機械は私やあなたのように絶対に考えることはできないと考えている人達に場を与えて見よう

アンチAI派

大多数のAI派は計算機屋心理学者数学者とその類の人達であるのにAIに反対する議論の大部分は哲学者により述べられてきた強い立場のAIの考えに対する怒りの声は攻撃の三つのラインすなわち現象学反行動主義あるいはゲーデルの定理のどれかに基づいているこの三つのそれぞれに関して少し述べてみよう

現象学反AI派のスポークスマンとして最も人気がある1人はHubert Dreyfusである彼はカリフォルニア大学バークレイ校の哲学者であるDreyfusは同じバークレイ校の工学の教授である兄弟のStuartと共に現象学の哲学者であるHeideggerやHusserlやMerlau-Pontyの著作に訴えることにより強い立場のAIの可能性について反論を行なったこれらの近代のヨーロッパ哲学の巨人達は人間の認識活動の中には規則のセットに従うものとして簡単に考えることができないような多くの認識活動が存在すると主張したこの認識活動に関連するDreyfus兄弟の好きな例は自動車の運転方法を学習するケースであるDreyfuse達によれば車の運転の技術の習得は5段階の連続した道程を経るとのことである

<初心者>この一番低い技術レベルでは良い運転のための直接的な規則が得られるこうしてどの速度でギアを変えるか与えられた速度で他の車に付いている安全距離感覚などを習得するこの規則は交通混雑度や天気の状態といった背景情況に敏感な特徴を無視している

<初級者>道路上での実際的な経験を通じて初心者は自動車学校の教師が教えることができなかった目的思考的で背景情況に関係しない事柄などについて具体的状況を認識することを学習する例えば初級者はスピードやエンジン音を聞いていつギアを変えたらいいか飲酒運転手の危ない運転と急ぎの運転手の攻撃的運転の区別をすることなどを学習する

<一人前>一人前のドライバーは初心者や初級者の規則に従う運転の方法の他に全体的な運転の作戦を立て始める彼は単に安全で丁寧な規則に従う運転だけでなく目的を考慮した運転をする目的を達成するために一人前の運転者は通常より近づいたり制限を超えるスピードで運転したり以前に学んだ規則から離れた運転をするかもしれない

<熟練者>これより以前のレベルではすべての決定は慎重で意識的であるしかし熟練者はもう一歩上をいっており状況に対するフィーリングに基づいて決定を行う熟考をせず物事は単におきるという具合であるだから熟練者は混雑した高速道路でレーンを変更する時直感的に後ろから車が来ることを理解し進入を遅らす判断をするこの直感的反応は過去の似たような状況から出ており他の運転者から見れば運が良いと見えるかもしれないがそこには瞬間的理解とか計画や戦略の判断がある

<専門家>運転のプロはもはや運転を連続的に解かなくてはいけない問題として見ていないし将来を心配したり計画を工夫したりもしない彼は単に彼の車と一体になっている彼は車を運転するというよりはむしろ運転しながら自分自身を体験しているだけである

この五つの話の意味は知性以上のものがありまた単なる計算された合理性以上の専門技術があることである専門技術は必ずしも推論と関係しない専門家は規則を適用しなくても何をすべきか理解するこれは規則に基礎を置いたプログラムが真の人間の知能を遠い将来的に近似する可能性に関するDreyfusの反論の核心をなすものである

強い立場のAI派に対するDreyfusの立場は規則に基づく行動に対する第三者議論と同じ立場であるその主張は人間の外的行動を単に見ることにより規則に従っていないような認識活動を理解できるということであるそしてDreyfus兄弟は車の運転の専門家がするのと同じように車を運転するプログラムを組むことは不可能であると主張しているなぜならコンピュータはそのような運転をするための規則を必要としているからであるしかし人間の運転手が交通渋滞や高速道路を運転する時に用いるハイレベルな規則は存在していない機械はプログラム中に組み込まれた規則に従うだけなので車を運転するという比較的簡単な人間の行う仕事の全体験はコンピュータプログラムの範疇で把握することは不可能であるそれゆえに機械は考えることができない少なくとも私やあなたのようにはできない

傍白としてHubert Dreyfusが最近私との会話で次のことを認めたことをここで書いておく彼の反AIの主なる攻撃目標はトップダウンのアプローチについてでありボトムアップのアプローチならば運転する人間の能力やその他について模倣することは可能かもしれないと言っているしかしこのボトムアップのアプローチでも先に述べたように常識という障害の上でもつれた糸をほどいていたに過ぎないなぜ機械は考えることができないかという理由の別の考え方へ進もう

反行動主義哲学者のAIに対する最も強い反論の一つはバークレイ校のJohn Searleによって行われた彼の議論は基本的に当事者の主張でありプログラムによりコンピュータが記号表現を動かす時コンピュータの中に存在するものは構文だけであるしかし記号の並べ変えから成る構文だけで意味を生じさせることは不可能である言い換えるとコンピュータは自分が操作する記号の意味を理解することができないということであるそして意味を理解しない知能は存在しない

この当事者の見方を引き立たせるためにSearleは中国語の部屋と呼ばれる色合いのある類似話を作ったこれは中国語を知らない者に漢字の辞書と1枚のカードに一つの漢字を書いた1組のカードをもたせて鍵のかかった部屋に入れたとするそして彼はドアの隙間から漢字のカードを受けるものとする彼はカードの漢字を辞書で見て彼が辞書で見つける漢字のリストをカードに書いてドアの隙間から戻すこの部屋にいる男の見地から見ると彼は漢字を全く理解していないすなわち意味論は存在しない辞書によって支配される規則に従って隙間を行き来するカードの構文的な並べ換えがあるだけであるしかし第三者からは特に部屋の外に漢字を理解する中国人がいたとしてその中国人の行動主義的見地から見ると隙間を行き来するカードは明日の天気株式市場の状態世界の終末などについて中国語で完全に意味ある筆談が行われているように見える部屋にいる男の行動は入力記号列を出力記号列に変換するコンピュータの内部で起きていることを正確に模倣しているのと同じであるというのがSearleの主張である1980年にSearleがAIに対するこの最初の反AI論文を書いた時AIコミュニティーからの怒りの叫び声をスタンフォードからMITに至るまで聞くことができたここでSearleの思考実験に対して行われた短い電報の例を示す

<システムの応答>このAIに対する反論の本質は別なレベルへ問題を移そうとすることにある中国人の部屋にいる者は全体の話を理解していないのは事実であるが彼は単に全体システムの一部に過ぎないしかしシステムはその部屋を行き来する会話を理解する理解は全体システムに関することである部屋にいる者は単に一部分であり理解しなくても問題ない

<頭脳のシミュレータ>この返答は彼が中国語での質問と答を理解する時中国語を話す人間の脳のシナプスでニューロンの連続的点火をシミュレートするプログラムを想像することに関係しているここでは議論はプログラムと中国人の両方とも対話を理解するか両方とも理解しないかのいずれかであるなぜならプログラムはシナプスレベルでの中国人の脳の中で何が起きているかを完全にシミュレートしているからであるではコンピュータのプログラムと中国人の脳のプログラムとの相違は何だろうか

<他人の心>ここでの議論は本質的にはチューリングテストの議論であるどのようにして我々は他の人達が中国語を理解しているということを知るのか答は彼らの行動によってであるしかし中国語の部屋は彼が中国語が彼の母国語であるかのように行動テストを合格してしまうだからもし他の人達に認識力ありとするなら同じ行動テストに合格するコンピュータも認識力があるとしなければならない

この他にもいくつかの攻撃が中国語の部屋に浴びせられたこれらの言い争いや多くのもっと詳しい議論についてのSearleの応答については読者は原著論文に付随した同僚のコメントを見るべきである次に反AI議論の最後のものへと進もうこれらはゲーデルの不完全性定理に根拠を求めている

ゲーデルの定理

AIの可能性に対する最も影響力のある議論の一つはオックスフォードのJohn Lucasにより1961年になされた彼はゲーデルの結果に根拠を求めたゲーデルの定理とは我々人間は正しいということを理解できるがコンピュータでは証明できないような算術上の真理が存在するというものであるすなわち人間の心の能力はどんな機械の能力をも超越しているというものである前に述べたがもう1人のオックスフォードの大物であるRoger Penroseも機械は人間のように考えることができないと結論するために最近同じようなことを主張している彼は少なくとも人間の思考のある部分は計算不能な量と関連していると予想することにより通常の議論にひねりを加えたこれがどのようにしておきるのかを考える一番良い方法は人間の脳のニューロンの点火パターンに影響を与える神秘的な量子を呼び起こすことである

30年間以上も熱く激しい議論が反AIへの根拠づけをするゲーデル一派に対して続けられてきたここで再びこの議論に立ち入って読者を退屈させたくないここではゲーデルの定理はいくつかの仮定を含むことを述べるだけで十分である最も重要なことは形式システム(すなわちコンピュータプログラム)は論理的に矛盾がないことであるしかし人間の心がこの条件を満足しているかどうか疑わしいと私は思っている少なくとも私達は首尾一貫しない行動をした場合をはっきりと思い出すことができると思うもしシステムが論理的に矛盾していればゲーデルの結果へ根拠を置くことに関する限りはすべての賭けは失敗であるこれらすべての議論はAIに関するトップダウンとボトムアップの両方の可能性に疑問を投げかけている私達は本当に脳を設計することが可能なのであろうか結局ゲーデルの結果は何かを合理的に設計する方法で行っても限界があることを私たちに示しているだから記号処理もコネクショニストの実験も両者共に初めから失敗する運命にあり多分脳は完全に理解するにはあまりにも複雑で従ってそれを機械に移植することはできないということであるしかしその通りだとしてもすべてが失われるわけではないなぜそうなのか見てみよう

機械進化

1990年1月3日にデラウェア大学のTom Rayは彼の計算機のスタートボタンを押しティエラと呼ぶプログラムを起動したそのプログラムを一晩中動かして次の朝計算機の中に彼が発見したものは驚くほどの多様性のある電子的な生態系であったそれらはRayが走らせたプログラムの中で彼が植え付けた単一の親となる有機生物の子孫であり多種多様な生物の集合であった彼が述べたように最も単純な命令から驚くほどの複雑さが現われたこれらは進化の力であるティエラシミュレータは機械の中にダーウィンの進化過程を模倣させようとしたものである電子の生態系における生物はIBMのアセンブリコードの自己増殖する文字列であるこれらのプログラムのそれぞれは機械のメモリの場所を求めて競争している従って外部からどれが適合する生物であるかについて事前の指示はない何が適合し何が不適合かは時間と共に変化しそれはスープの中でどのように生物が自分の子孫を残そうとして突然変異し再合成し進化するのかに依存している

ティエラの例は進化の過程が物質的土壌とは独立であることを明確に実証した初めての実験であった地球環境で炭素基をもつ生物が生存を競い合うのと同様に計算機のメモリスペースをめぐって計算機プログラムの集合の中でも進化の生存競争が容易におこり得るだからコンピュータの集合においてこの進化の生存競争がおきるとしても何の不思議もない

興味深いことにこの進化の議論についてはゲーデル自身も好意的立場をとっている彼の定理が真の人工知能の発展に対して乗り越えることのできない障害となっているのではないかと質問された時ゲーデルはこう答えた

定理を証明する機械が(それは人間の心にとっては数学的直感に等しいものであるが)存在する(そして実験的に発見し得る)可能性は残っているしかしそのことを証明できないしそれは有限回の数論の正しい定理を与えると証明することすらできない

この注釈でゲーデルは人間の心に等しい頭脳力をもつコンピュータが進化により作れるかもしれないことを示唆しているしかしもしそのようなコンピュータが存在したとしても我々はそれを理解できない我々にはそれは複雑過ぎるであろう

このようにゲーデルの処方箋は脳をつくることではなくむしろそれを成長させることにあるそしてRayの実験はこの断言に論理的障害がないことを示しているGodelとRayが言っていることは実際上人間に等しい認識能力をもつ機械は我々が人工生命と呼ぶものの特別な例に過ぎないということであるこの人工生命というテーマは最新のトピックとなってきているSteen Rasmussenが提示した人工生命の存在を支える次の六つ仮定を検証することによりAI派とA Life派の研究計画の驚くほどの類似性に触れた後でこのエッセイを結論づけたいと思う

<仮定1>一般的チューリングマシーンはどんな物理過程もシミュレーション可能であるこの仮定の内容は物理過程の情報伝達の規則は適当にプログラムされた計算機により模倣できるということである短く言うとチューリングとチャーチの定理は物理システムに関して正しい

コメント面白いことにこれはRoger PenroseがAIについて疑いを入れた仮定と全く同じであるPenroseの反AI議論の大事な部分は脳は一般的チューリングマシーンによって特徴づけられる計算能力を超越した情報処理の方法をもっているということである一方この仮定を弱めて人間の認識活動のすべては計算可能であるという声明にすればAI研究プログラムの究極的成功においてAI派が信じる仮定と正確に同じものになる

<仮定2>生命は物理過程であるここでの重大な点は生命は一つのシステムの異なる部分の機能的組織体でありこれらの機能は様々なタイプの物理的ハードウェアで作ることが可能である特に生命を生じさせる適切な機能的特徴はコンピュータの中に作り得ることができる

コメントこの仮定で認識を生命に置き換えればAIに関する機能派の立場になる従ってあなたがトップダウン派またはボトムアップ派に拘らず脳内の通常の神経生理過程を超越することに関しては何も考えない人間の思考はどのように脳の物理的成分が組織されているかの結果でありそのハードウェアについての詳細には関係しない勿論コネクショニストは脳のニューロンの結合のパターンが重要であると信じているしかしそのパターンはデジタルコンピュータを含めて多くの異なる種類の実際のハードウェアに複写されることができる

<仮定3>生きているシステムと生きていないシステムを区別する基準がある生命についてすべての現在点での既知条件はまだ曖昧であるこの仮定は原則的に何が生きており何が生きていないかの同意ができていることを主張している特にすべての生命システムは新陳代謝自己修復や模写といった機能活動を含んでいるべきである

コメントAI的意味ではこの仮定はチューリングマシーンや中国人の部屋のような考えを生じさせる誰かが考えていることを私達がどうして知るのか 何かが生きていることを我々がどうして知るのか 両方のケース共私がそれを見る時それを知ると言わせるような非常に直感的考えがあるように思えるすべての場合に適用する基準の組を明示的に与えようとする時問題が生じてくるであろう

<仮定4>人工生命は現実性R*を感知しなくてはいけないそれは我々にとっての本当の現実Rであるのと同様の現実であるこの仮定の重要な結果は<仮定5>である

<仮定5>現実性R*とRは同じ存在資格をもつ言い換えると我々が現実と呼ぶものは機械の中の人工生命によって見られる現実と同様なものである

コメントAIまたはALにおけるこれら二つの仮定を受け入れると機械に対する過剰な権利の問題に行き着くもし本物の思考機械が考える人間と同じ存在資格をもつとすると人間と同じ市民権をそのような機械に与えることに反対するのは難しいあるいはいずれにしても議論になる

<仮定6>異なる現実R*の詳細を研究することにより私達の現実Rの基本的性質について学ぶことができるこのことは機械の中の人工生命がするところのものを見ることによりコンピュータの外部で人間型生命がしていることへの洞察が可能であることを意味している

コメントこの仮定は現在進行している認識科学全体の存在理由であるもし現実世界のRの正しい表現としてニューロン思考言語などの機械バージョンを受け入れれば機械世界のバージョンと現実世界のバージョンとは同形となる言い換えるとこれらは機能的には同等であり一方についての研究から学んだことは何であれ他方に必要な変更を加えて移すことが可能であるこの線の理由づけはダーウィンの進化仮定を研究する方法としてTom Rayのティエラシミュレータの大部分を支持するものである機械の中の知性について研究したいのならば注目を知能から生命それ自身に移すのは賢明かもしれないコンピュータの内部に生命を作ったとすれば知能は後から出てくるだろう

だから何なのか

John Von Neumannが米国国防省とプリンストン大学にジョニアックコンピュータを製作するための予算を掛け合った時彼が用いた議論はそのような計算機は天気予報に有益だろうというものであった他の計算機のパイオニア達もコンピュータは科学上の研究に有益であるという同様な主張をしていたしかし誰もこれらの計算機が数百台以上もの市場が存在することになるとは思っていなかった商業界での洞察力となると計算機の専門家の見通しや想像力もその程度でしかなかった工学的好奇心ではなくこれらの商業的な利益がコンピュータ革命を本当の革命にしたのであったいわゆる認識革命から何を期待できるのだろうかVon Neumannの場合と同様に研究費を得るのに役に立つもったいぶった言葉に過ぎないのかあるいは私達は本当の革命の最前線にいるのかこの質問の答えの前に計算機科学との類似性について議論し認識科学の経済的潜在力について議論しようデジタルコンピュータは人間が苦手としている多量の情報を命令に従い正確に再現する手段を提供するコンピュータのこの能力が商業的魅力を与えそれによりコンピュータ革命が誕生したのである認識科学の経済的潜在力をおしはかるためにもし我々が認識活動をもっと深く把握できたとしたら人間の苦手とするどの部分が克服できるのだろうかと質問したくなる人工生命の本から1ページをもってくればこの研究の潜在的応用は調合薬の分野であることがすぐわかる計算機ウィルスについて考えてみよう現在このような破壊分子と闘う方法は個々のウィルスを解析しこれを中性化しまたは壊すアンチウィルスコードを作ることであるしかし認識志向の人工生命派は異なるやり方をするだろう彼はそこでターゲットウィルスがコンピュータ資源を求めて自己増殖する他のコードと生存競争するような人工の生態系を作るだろうちょうど人間の体の免疫システムが風邪菌やインフルエンザのようなものと闘うためにアンチウィルス抗体を作り出すように進化する環境はターゲットウィルスを粉砕する有機物を好むように設計者により仕立てることができるだろうこのようにやっかいな病気のアンチウィルスを作る代わりに人工生命派はそれを進化させる

同じ様な方法を製薬業界で新しい薬の進化に用いることができる例えば人間の湿地帯における対象病原体は電子生態系に対する情報有機体に置き換えコード化できるこの有機体は生態系に解き放たれその世界の他の生物から自分を防御する環境に置かれる故意にほんの少しの悪意をセットするだけで環境は対象病原体がその世界で生き残る高い確率をもつ他の電子の生物によってすぐ淘汰されてしまうことになるだろうこの方法の有利さは進化は設計者が予期していなかった問題に対しても答を見つけることであるこの場合我々はいくつかの電子世界において病原体の抗体が出現することを期待できそのいくつかは現実世界の伝染病や病気や新しい薬品や薬剤開発に置き換えることができるかもしれない

その他の面では未来学者の予見を信じれば未来の世界は増加する余暇に満たされる(少なくとも先進国では)であろう従って余暇を費やすための新しい娯楽の方法を求めるようになるだろうと考えるのは当然である今度は仮想現実の世界に入ってみよう

カーレースアルペン登山といった類の危険で多額のお金や時間がかかることに従事する代わりに多くの人々は現実と区別できないようなコンピュータシミュレーションを好むだろう仮想現実の研究は認識理解の発展と同期して今日の空想を明日の現実に変えることを約束するものであるそして仮想現実の研究についての経済的可能性は単にレジャー産業だけでなく他の産業にも見ることができる例えば未来の建築はお客を設計中の新しい家の中や外に案内したり建築家がお客の日常生活のパターンに合わすように配置を決めたりできるようになるだろう同じく車のデザイナーも机から離れることなしに新しい車のロードテストができ現実世界のプロトタイプモデルに行うのは不可能であるようなまた可能であっても多額の費用が掛かるような設計変更も仮想世界において行うことができるであろう

最後の想像として論理的な究極の結末において機械が我々をレベルの低い人間と見なして関心を示さなくなるところまで進化してしまうような構図を描くことも難しいことではないこの事態がどうして起きるかに関する可能な一つのシナリオを想像してみよう数千のロボットを月に放置するものとする彼らの主な目的は探鉱し製作しまたもっと多くのロボットを作るために必要な物質を集めることである彼らは月は低温で太陽エネルギーは豊富で腐敗させる水蒸気や酸素気体がなくシリコンが豊富であり彼らにとって快適であることを発見するそして彼らは繁栄し増加するものとするもしこれらのロボットが自己再生に高い優先度を置くようにプログラムされていたら原料を求める競争は避けられないさらに我々は彼らのプログラムに規則的な突然変異をするように仕掛けをセットしておくものとする例えば先祖のプログラムに正確に自分自身をコピーしてはいけないという命令をセットしておくとするプログラムが変換されるたび毎にその中味はかなりの変更例えば新しい子孫の頭部に強力な磁石を埋め込むといったような変更が行われまたその変更はランダムにされるであろう

そのうち間もなくこれらのロボットのプログラムは我々人間にわからなくなり月に大きなロボット文明の自治共和国の出現を予想できることになるであろうこれらのロボットの内の幾人かは数学に興味をもつかもしれないこの時点に至って初めて人間の数学的直感力に等しい能力をもつ定理を証明する機械についてのGodelの言葉が本当に実現したことになる

要約すると今日の水面下で活動している認識科学から出現する可能性のある潜在的な産業発展の分野はこの他にも数多くあるように思えるこれらの可能性のうちの一つでも離陸し空に舞い上がることがきればその答は明らかである認識革命 その通り認識革命である