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Accumu Vol.4

バイオの主役 DNAとは

京都大学名誉教授

小関 治男

昨今はバイオの時代などと言われバイオサイエンスやバイオテクノロジーに関連した記事が毎日のように新聞やテレビを賑わしているそしてそれにつれてDNAという語もかなり日常的なものとなってきたDNAはデオキシリボ核酸(deoxyribo nucleic acid)の略号であり遺伝子の実体として今世紀半ば頃から急速にクローズアップされてきた生体高分子の一種である核酸の発見は古く1860年代にさかのぼりメンデルの遺伝法則(1865年)とほぼ同時であるが実際にこの二つが結びついたのはそれから約1世紀を経た1950年頃のことであったしかしながらその後の発展は科学史上でも稀にみる急速なものがありDNAを基調とする分子生物学の進展によって10年あまりの間に生命の基本機構が分子的実体を踏まえて理解されるに至ったそして第四四半世紀に入った頃には実際に各種生物から個々の遺伝子を単離して増幅する遺伝子クローン化法あるいはその構造を逐一解析するための塩基配列決定法などDNAに関する画期的な研究技術が次々と開発され遺伝子を手がかりとして基礎から応用にわたる多彩な分野で新しい局面が開けてきたバイオ時代の幕開けである

生物はDNAに情報化されている

生物は生物からしか生まれてこない生まれてくるのは常に親と同種の生物である普段は気にも留めない自然の摂理であるが実はこのあたりまえのことを支えてきたのがDNAであるDNAなしに生物はありえない全ての生物にはそれぞれに固有のDNA分子のセット(ゲノムという)が具わっており細胞から細胞へそして親から子へとそのコピーが遺伝情報として連綿と受け継がれていくゲノムにはその生物の発生から個体の維持や行動パターンに至るまで生物の全てが記されているただし実際に生物を形成し諸種の生命活動を営んでいる主役はタンパク質でありDNAには直接的な意昧での生物的活性はないDNAにあるのはそれらの機能的タンパク質を作るための「情報」である生体には実に多種多様なタンパク質が存在しそれぞれの役割を演じているがどのタンパク質もDNAの情報なしには作られない各タンパク質ごとにそれぞれ異なるDNAすなわち遺伝子が対応するがそれらは個々別々の分子として存在するのではなく長大なDNA分子上の特定の領域が遺伝子に相当する

生物といえどもやはり物質の世界には違いない自然界の中で物質を秩序だてて集積しつつ生物という自己保存的な有機体を形成していくのは一見熱力学的なエントロピー増大の法則に反するようにも思われるしかし結局この問題は生物には物質を並べるための情報つまり負のエントロピーとでもいうべきものがあるということで決着し特に物理的法則に矛盾するわけではないということになった今世紀半ば頃から進展してきた分子生物学の最大の成果は生物におけるこの「情報」という概念をDNAという分子的実体に立脚して確立したことであるといっても過言ではないではそのDNA情報とはどんなものかまずDNAの基本構造から簡単にふれていこう

DNAの構造

図1 DNAの基本構造

DNAは図1(a)に示すようなヌクレオチドと呼ばれるエレメントが一列に重合した糸のように細長い分子である各ヌクレオチドにはアデュン(A)グアニン(G)チミン(T)シトシン(C)と呼ばれる四種の塩基のいずれかが結合しておりどのヌクレオチドにも共通なリン酸と糖の部分で図1(b)のように連鎖しつつ四種の塩基AGTCの配列順序によってそれぞれの遺伝子に特異的な情報を表すというのがその基本であるしたがって情報という見地からDNAを記述するにはAGTCという四種の文字の一次元的な文字列で充分である現在では世界の各地から毎日のようにDNA塩基配列に関するデータが報告されており膨大な量の情報がDNAデータバンクに収集されて広く利用されているバイオサイエンスの進展はコンピュータや通信技術の発達にもまた大きく依存してきた


図2 DNAの2重らせん

DNAは実際には図2に示すように二本のヌクレオチド鎖が絡みあって二重らせん構造をとり安定化しているDNA鎖には図1(b)に示すように5’末端と3’末端がありちょうど磁石のNS極にあたるような極性(方向性)がある二重らせんでは二本のDNA鎖は互いに逆方向にあり向き合った塩基は一方がAなら相手はTTならAGならCCならGというようにAとTGとCがそれぞれ水素結合で結ばれて塩基対(base pair)を形成している(図3)対合した塩基は同一平板上にありATGC対はいずれも約11Å(オングストローム)でちょうどらせん階段の踏み板のような形で巻き上がっている塩基対を形成する個々の水素結合は弱いものであるが多数の結合によって部分的にほどけることがあっても全体としての二重鎮構造は安定に保たれるようになっているどんなに長いDNA分子でも全長にわたってこの塩基対合則が成立しており二本の鎖の塩基配列は互いに相補的な関係にあるというこれはDNAが複製する際に二本の鎖がほどけつつそれぞれの鎖が鋳型となってそれと相補的な塩基を並べていくからである複製が完了すると元と同じ二本鎖DNAのコピーが二本できることになるがその過程ではコピー機のように原稿と同じものを複写するのではなく写真のようにネガからはポジポジからはネガを写し取っているこの相補性という概念は複製に限らずDNAからタンパク質への情報伝達においても常に成立し核酸の関与する分子機構の重要な根幹をなすものである

図3 塩基の対合

ゆとりの暗号

表1 遺伝子暗号(コード)表

DNAは二本鎖であるが実際に情報を担っているのはそのうちのどちらか一方であるどちらの鎖に情報があるかは領域ごとにまちまちであるがそれらはまず一本鎖のRNAに「転写」されそのRNAの塩基配列がタンパク質に「翻訳」されるRNA(ribo nucleic acid)はDNAと同じ核酸の一種でありヌクレオチドの糖の部分がリボース(図1(a)の2’の位置がOH)で塩基はチミンがウラシル(U)になっている先に述べたようにDNA情報は主としてタンパク質に対するものであるタンパク質は多種多様であるがその構成要素は20種のアミノ酸であるタンパク質の基本構造はアミノ酸が一列に重合したペプチドでありアミノ酸配列に応じてペプチドは自然に折れ曲がり特異的な立体構造をとって機能を発揮するしたがってDNAそのアミノ酸配列さえ決めればよいことになるAGTC4文字の並び方で20種のアミノ酸の配列を決めるのはモールス符号で文章を書くようなものでDNAの場合は3個の塩基で1個のアミノ酸に対応している3個の塩基の順列組合せは64通りありこのうちの61種がいずれかのアミノ酸に対応している表1の遺伝暗号表はこの関係をまとめたものであり一種のアミノ酸に複数個の暗号が対応している場合も多く全体としてかなりゆとりのある暗号系になっているそのため突然変異などによる塩基の変化が必ずしもアミノ酸の変化をもたらすとは限らないことになるこの暗号表は生物全般に普遍的なものとされ一般にDNAから転写されたRNA(メッセンジャーRNAmRNA)の塩基配列として表記されている図4はこの表に準拠したDNARNAタンパク質問の対応関係を示したものである

図4 DNA情報の伝達経路と対応関係

ファジーな識別

DNAの塩基配列をmRNAに転写するのはRNAポリメラーゼとよばれる酵素であるモデル生物として詳しく研究されてきた大腸菌ではこの酵素は一種類しかなく全ての遺伝子が同一の酵素で転写される酵素はまずDNA上の特定の領域(プロモーター)に結合し3’→5’方向のDNA鎖に沿ってDNAと相補的な塩基配列のRNAを5’→3’方向に合成していく図5はプロモーター配列の例を示したものでRNA合成の開始点(+1)から逆方向に約10塩基遡った-10領域と約35塩基遡った-35領域とにそれぞれTATAATTTGACを基調とする配列がありプロモーターの主要部分を構成している図からわかるように両者の配列や両者間の塩基数などにはかなりのバリェーションがみられるがRNAポリメラーゼはそれらを適確に識別し他の領域からRNA合成を開始することはない各人各様の手書き文字を同一と判読するようなもので脳のような高次のコンピュータに限らず分子のレベルでもこのようなファジーなシステムになっているのは如何にも生物らしくて興味深い

図5 大腸菌のプロモーター

正確な送り機構

mRNAの塩基配列をタンパク質のアミノ酸配列に翻訳するのはリボソームと呼ばれる小顆粒の上で行われる紙面の関係で詳細は省略するが遺伝暗号(コドン)をアミノ酸対応づけるのはtRNAと呼ばれる小さなRNA分子であるtRNAはそれぞれの分子に特異的なアミノ酸を一端に結合し分子中央の3塩基(アンチコドン)でリボソーム上に現れたコドンと相補的に結合する翻訳はmRNA上の特定のAUGコドンから始まりリボソーム上を3塩基ずつつまり1コドン分ずつ送られながらtRNAの仲介によって対応するアミノ酸を次々と連結していくそして表1にナンセンスと記されたUAAUAGUGAのいずれかが出てくるとそれらには対応するtRNAがないためその時点でタンパク質の合成が終止し翻訳が完了する一つのタンパク質に対する遺伝子領域とはAUGで始まりナンセンスコドンに至る3の倍数個の塩基配列ということになるDNAやRNAに各コドンごとの区切りがあるわけではなく1塩基でもずれればそれ以降の読み枠は全く別のものとなり似ても似つかぬタンパク質ができることになるしたがって開始コドンの設定とそれにつづく3塩基ずつの送り機構は非常に正確なものでなければならない高等生物の遺伝子にはしばしばイントロンと呼ばれる余分な塩基配列が介在し最終的に一本のタンパク質分子となるべき情報が分断されていることが多いしかしこれらのイントロン配列は転写されたRNAの段階で1塩基のずれもなく正確に除去されできあがったmRNAでは結局はAUGからナンセンスに至る3の倍数個塩基という形になるこのように生物にはファジーな局面とともに1塩基もゆるがせにできないようなゆとりのない厳密な機構もまた共存していることになる

鋳型とシグナル

DNAの情報は大きく分けて鋳型情報と位置指定のためのシグナル情報とに分類される前者はRNAやタンパク質に写し取られ機能を発揮するための塩基配列すなわち遺伝子本体にあたる情報であるこれに対し後者は転写や翻訳の開始点や終止点などDNA上の特定の位置を指定するもので最終的な遺伝子産物には現れない塩基配列であるシグナルは一般に特定のタンパク質などが特異的に結合するための塩基配列であり各種遺伝子の上流域にはその発現を調節制御するための諸種のシグナルが配置されている場合が多い膨大なDNA塩基配列の中から発生の段階分化した器官や組織あるいは環境の変化などに応じて適確な遺伝子情報を引き出していくためにはこれらの諸種のシグナルが不可欠でありゲノム上ではシグナルと鋳型が合目的的に実に巧妙に配置されているしかしながらこの両者は本質的には互いに独立したものであり例えばあるシグナルから転写が開始するとそれに連なる塩基配列が情報的に意味のあるものかどうかは転写マシーンの関知するところではないタンパク質合成やDNAの複製についても同様であるそしてそのために30億年ともいわれる長い進化の過程で情報的に変化した多数の突然変異が蓄積し現在のような生物の多様性が生まれてきた最近の遺伝子工学もまたこの点を利用したものであり大腸菌のシグナルにヒトDNAを繋げば大腸菌でヒトの遺伝子を殖やしたりヒトのタンパク質を生産させたりすることも可能となる

ゲノムからのアプローチ

ゲノムDNAにはその生物の全てが情報化されて記されているでは一体どのくらいの長さのDNAなのだろうか大腸菌のゲノムは約470万塩基対(bp)の一本のDNAであり両端が閉じてエンドレステープのようになっている塩基対間の距離は3.4Åであり(図2)全長約1.5mmと推定される(300万文字/1mm)遺伝学でよく用いられてきたショウジョウバエのゲノムは大腸菌の約40倍(180×lO6bp)で4本の染色体に分かれているヒトのゲノムは総計約32億bp(1m)で23本の染色体を構成している単純な文字数の比較ではエンサイクロペディア全巻あるいは新聞の朝夕刊を併せた11年分に匹敵するが実際に有効な情報を担っているのはその約5%程度と考えられている膨大な文字数ではあるがこのヒトという複雑な生物がたったこれだけの字数で書けるのかという感じがしないでもないいずれにせよ生物がそれぞれのゲノムDNAに一次元化されて記述されているとすればその全塩基配列を解析しそこから情報を読み取ればその生物の全容がわかることになる生物に対する一つの新しいアプローチがDNA研究から開けてきたわけでヒトゲノムを対象とする壮大なプロジェクトも国際的協力のもとで既に始まっている

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上記の肩書経歴等はアキューム4号発刊当時のものです