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Accumu Vol.9

五星聚井

京都コンピュータ学院鴨川校校長・京都大学総合人間学部非常勤講師 作花 一志

長安の空

古書の記事では…

「漢元年冬十月 五星聚於東井 沛公至覇上」

これは中国の歴史書「漢書高帝紀」の記述である。その意味は

――漢元年の冬10月に五惑星が井宿の東に集合し,このとき沛公が覇上に到着した――

今を去ること二千余年,秦が滅び漢が興るころの話である。沛公とは後に漢の初代皇帝高祖となった劉邦のことで,彼が秦の首都咸陽近くの覇上に到着した時に水星・金星・火星・木星・土星が一堂に会すると言う天文現象があったという。

「漢書天文志」にはこのことは劉邦が天命を受けたしるしであると書かれ,またさらに古い史書である「史記」には年代は記されていないが,漢が興る時に五星聚井が起こったという記事があり,昔から重視されていた有名な天文現象らしい。中国では星座を○○宿といい,井宿とはふたご座の北部に当たる。他に参宿(オリオン座の三つ星)昴宿(すばる)などが有名である。

紀元前210年始皇帝が死んで,その翌年にはまず陳勝と呉広が乱を起こし,項羽や劉邦も兵を挙げ秦は急速に衰えていく。そして紀元前206年に劉邦は秦の首都咸陽近くの覇上に到着し,秦王子嬰(三世皇帝)は降伏してここに秦は滅ぶ。この後劉邦は圧倒的な兵力を持つ項羽の前に連戦連敗を繰り返すが,紀元前202年にやっと項羽を下し,ついに皇帝の座に就く。しかし漢書では元年とは紀元前206年を指すらしい。この時の水星・金星・火星・木星・土星(中国風に言えば木火土金水)の五惑星会合については,魏のころから色々調べられていて,紀元前206年にはそんな天体現象は起こらなかったことが確められている。実際,火星を除く四惑星はふたご座周辺にいるが,火星はみずがめ座・うお座辺りにあり他の四惑星とは随分離れている。そこで数字の写し間違いではないかとか,五星とは一般に惑星のことで必ずしも五つの惑星の集合を意味しないとか,そもそもこの記述は後世の捏造であるとか様々な議論がなされているが,果して秦末漢初に五惑星会合は起っていないものだろうか。

天文計算を実行して…

一般に惑星の位置は六つの軌道要素が解れば時刻の関数として求められる。軌道要素とは太陽から惑星までの平均距離・軌道の偏平度・傾き・ねじれなど各惑星固有の定数である。惑星が太陽からの万有引力だけで公転運動しているのならこれらは一定のはずだ。ところが実際には,惑星は他の惑星からも力を受けていて,特に影響の大きいのは木星からの引力である。問題にしているのは約2000年前のことだから現在の軌道要素の値をそのまま流用することはできない。軌道要素が時の関数として変化することを考慮せねばならない。この計算では軌道要素として海上保安庁発行の「天体位置表」に載っている時の二次式を使った。そして日時を与え,ケプラーの方程式を数値的に解き,惑星の天球上の位置を求める。各惑星の座標がある角度以内に収まる日をピックアップしていくことで惑星会合を探すことができる。基本式はサイン・コサインがいっぱい出てくるややこしい数式で,ケプラーの方程式とは,数値計算の教科書には必ず載っている昔から有名な非線型方程式だ。Visual Basic 5.0で作成したプログラムの各モジュールは簡単なステートメントの集まりだが,デバッグにはかなりの根気を要する。

その結果…


月日 時刻 星座 範囲( ゜)
BC245 1/20 みずがめ 20
BC205 5/26 ふたご・かに 21
BC185 3/23 うお 7
BC145 7/25 しし 10
BC47 11/27 へびつかい 10
2000 5/18 おうし 19
2040 9/09 おとめ 9
2100 11/11 おとめ 16

紀元前300年から紀元後1年までの300年間,五惑星が25度以内に収まる会合は上表のように5回見つかった。そのうち2回は太陽と同じ方向なのでその姿は見られない。件の五惑星会合は紀元前205年の5月末に実際に起こっていた。しかも秦から漢の前半の間,これに匹敵するような五星の近接会合は他には起こっていない。図は紀元前205年5月26日の日没直後の長安の空である。この図は南に向いて寝転んで見た時の全天で,中心は天頂を,大きな円は地平線を表す。薄明の西空に,ふたご座からその東のかに座にかけて,下から水・木・土・火・金の順に並んでいるのが眺められる。まさに彼らは井宿の東に聚(あつま)っていたのだ…。しかしなぜ1年ずれているのだろうか? これから先は中国古代史の専門家に聞かなければ解らないが,以下筆者の偏見に満ちた解釈を試みる。紀元前205年の5月といえば劉邦は項羽から追われ逃げ回っていたころだ。「せっかく天の星々が初代皇帝を祝ってくれたのだから,もっとそれにふさわしい時期でなければ」ということで「漢書」の著者は,劉邦が英雄としてデビューした前年に繰り上げてしまったという憶測は成り立たないものだろうか?

さらに同様な計算で今後の惑星会合を調べてみた。今世紀の最後の年2000年5月18日に五惑星がすばるの辺りに集合する。世紀末の異常な天文現象を強いて探せばこれに当たるのかも知れないが,あいにくと地球から見て彼らはすべて太陽の背後に並ぶので,白昼のイベントとなりその惑星直列の姿は見られない。その次の機会は2040年で,重陽の節句の日没後に,西の空おとめ座のスピカの近くに五惑星の集いが見られるのでせいぜい長生きしよう。また2100年11月13日,日の出直前に朝焼けの東の空に,上から金星・土星・木星・火星・水星が一直線状に連なって昇って来るところをぜひ眺めるように孫かひ孫に伝えておこう。

筆者の計算で五惑星会合は紀元前300年から2200年までの2500年間に26回見つかったが,そのうち11回は太陽と同じ方向であるため,見られない。五星が一堂に集うのを眺めるチャンスは平均して2世紀に一度しかない。「漢書」の1行はそれを記述したきわめて貴重なデータだった。

参考文献

司馬遼太郎「項羽と劉邦」,1984,新潮文庫

斉藤國治「古天文学」,1989,恒星社

作花一志「星空ウォッチングのすすめ」,1996,オーム社

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作花 一志
Kazuyuki Sakka
  • 京都情報大学院大学教授
  • 京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻博士課程修了(宇宙物理学専攻)
  • 京都大学理学博士
    専門分野は古典文学,統計解析学。
  • 元京都大学理学部・総合人間学部講師,元京都コンピュータ学院鴨川校校長,元天文教育普及研究会編集委員長。

上記の肩書・経歴等はアキューム25号発刊当時のものです。