Accumu Vol.10

Y2K, on Z2

京都コンピュータ学院教員 渡 京一

Z2

齢40の直前,今しかできないことは何かと考えて,20年近く昔に乗っていたバイクに,もう一度乗ることを決めた。それまでの2年間,大学院に留学して学生に舞戻り,頭を鍛え直した。ただひたすら学業に励んで,最短期間で学位を2つ取得することができたから,今度は頭ではなくボディで鍛え直そうと思うに至った。

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齢40を前にすると,否応なく体力や反射神経の衰えを自覚し始める。ミドルエイジクライシスである。それを克服するために自転車に乗り始めたのがそもそものきっかけであった。自転車に乗って街を走っていると,息切れがするのである。かつて10代の頃に走れたようなスピードは出るべくもない。失いかけている若い頃の肉体が,急速に遠のいていくことを自覚して,焦りを感じ始めた。考えてみるとこの十数年間,仕事をメインに,最後の2年間は学業をメインに,ひたすら忙殺され,バスフィッシングやアウトドアのバーベキューなど,昨今流行したことにはさっぱり無縁であった。さらには,6年前に内臓を患い,その後長い間,散歩ひとつ出かけたこともなかった。尻は書斎の椅子に張りつくのが当然のように,いつもパソコンの前に鎮座して,身体を動かすことなどしていなかったのだ。書を読み,文章を入力することだけが休日を含めた日常と化し,ひたすら観念ばかりを増幅して,本の虫,ワープロの餓鬼と成り果てて,外を忘れ,空を忘れ,風を忘れていた。長い間。

自身は高校時代,90ccの小さなバイクに乗ってタクシーと正面衝突し,片方の膝を潰した。一生ものの後遺症が残ったが,その一年後,なぜ自分が事故を起こしたのかが自分なりに理解できなくて,再度,中古の中型バイクを駆っていた。カワサキのKH250という形式である。2年程そのバイクに乗って,バイクは大きいほうが安全であることを証明した。しかしその後,四輪の免許を取ってからは,二輪と四輪の両方を維持できないという経済的な理由で,バイクを降りてしまった。そして,四輪に乗り始めてから,交通社会の中で二輪がどれほど不安定で危険な乗り物であるかが,客観的に,よく解るようになった。それ以降,二輪に乗ることなど正気の沙汰ではないと思いながら,長い年月を経たのであった。

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昨年,KCGの若者達の趣味の対象のひとつであるバイクの写真を授業中の余興にスライドで見せて,学生達を少しは楽しませてやろうと考えた。そのためにバイクの写真をあちこちから収集し始めた。ビジュアル情報のインパクトは絶大で,他ならぬ自身が,集めた写真に感化されてしまい,かつてのあの乗り物に,再度跨ってみたいという衝動に駆られるようになった。1999年の暮れ12月のことである。

昔の写真を見ていると,かつて跨っていた鉄馬の感触を思い出す。もういちどあれを操縦するなら,今しかチャンスはない筈だと考える。書店に行ってバイク関連の雑誌や書籍を買いこんで,家で一気読みしたら,10代の頃のバイクが今もプレミア付きで取引されていることを知る。かつて乗っていたKH250は,あのとき4万5千円で手放したのに,今は一種の名車としてとんでもない値がついている。そして中学時代に憧れたナナハン,カワサキのZ2(ゼッツー)が,それなりの値段でマーケットに残存していることも知る。

かつての夢を,今なら,実現できるように思ったのである。否,実現できるのだ。15年も働けば,バイク1台くらいはいつでもなんとかなる。社会人となり結婚して子供も生まれて,命の尊さを,自身の存在の責任を知った。少しは分別ある大人になれたように思う。車で高速道路を走っていても,かつてのように必要以上に熱くなったり,見境なしに飛ばしたりすることなどない。やっと,エンジンの操縦の仕方が解ったような気がしていた。そうだ,今こそ,自身はバイクに乗れそうな,分別を得たと思うのであった。同時にまた,再度青春の風をこの手中に取り戻し,Y2Kの新しいことへのチャレンジとして,中年時代最初の肉体に鞭打とうと思うに至ったのである。久方ぶりに乗るのなら,しかるべき場所できちんと教習を受けて,それから乗るべきだという分別なども既に,ある。そして,どうせなら,すでに取得している中型免許で乗れるものではなく,ステップアップして大型にしよう。あの少年時代に憧れたナナハンにしようじゃないか。娘よ,父は,もういちどバイクに乗ろうと思って,限定解除を目指して教習所に通うのだ。馬鹿なこととは重々承知だが,少しは素敵な話ではないか。やっと言葉を覚え始めた幼い娘にそう語りかけながら,気付いたら教習所に入学していた。不注意一瞬でコケる,下手をするとその車重の下敷きになる,そんな不安定な危ないものに乗るのが正気の沙汰でないことは明白である。阿呆の極地であることに疑いはない。でも,だからこそ,父は,それにトライしてみたい。哀れな中年の愚かな足掻きに過ぎないのだが,それでも,娘よ,ちょっと素敵だろ。父は素敵なオッサンになりたいと願う。真冬にバイクに恋するところが,ミーハーではない証拠なのさ。

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師走,教習所初日。こんなにワクワクドキドキするのは何年ぶりだろう。夜7時すぎの教習開始時刻の30分前に到着して,自分の番を待つ。ところがいざ始まってみると,大きな750に触れて,震えが止まらなかった。自信は既に完全に滅失しており,技術は無に等しい。バイクが妙に巨大に見えて,恐ろしくて仕方がない。たかがスタンドを払うのにアワアワと3度繰り返す。ヨレヨレヨタヨタ,押して歩いて汗して嘆く。真冬なのに身体は真夏。エンジンをかけたら,顔が引きつる。クラッチを繋いだところが,身体は後ろに置いてきぼり。初日は外周を回って止まるを繰り返すだけだが,停止時にフラフラして安定して止まれない。バランス感覚があまりにも悪くなっていることに愕然とする。こんなものに,かつて乗っていたなど信じられない。そういえば,バイクを降りて四輪自動車に乗り換えた頃,体力が急激に落ちたことを思い出す。やはりバイクは筋力の必要な乗り物であり,スポーツなのだ。ならばよし,もういちど筋力を鍛えてこの200キロ超の車体を自在に扱えるようになろうじゃないか。娘よ,愚かさ加減を許しておくれ,父はやっぱり男でありたいと想う。ほんの少し夜空に,僅かに光明が見えそうな気がするのだよ。夜明けに独りバイクに跨って,海を目指したティーンエイジャーの熱い想いが,あの,訳もわからず何かに駆られる,あの気分が,未踏の地を目指す浪漫が,走りつづける心意気が,今,手に届きそうな,そこにありそうに想って止まないのだ。早い話が,幼い娘よ,お前の未来に負けたかねーんだよ。

教習コース外周を数周走り,少しは慣れてきてスロットルを開いたら,ひとりで大笑いしてしまった。楽しいのよ,これが。人が風になるための道具の,加速レスポンスの良さを,一体,幾人の人が知っているのかと問いたい。しかし,1時間の教習を終えたらひどい疲れが残り,その後2日間,筋肉痛と肩こりに苛まれ,遥か星霜の彼方に遠のいた筋力とバランス感覚を望郷した。無論,心身ともに打ちのめされて,数日独り落ち込む結果となった。あんなものを自在に操ることなど,やはり無理な気がして。

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1回目の教習で懲りて,年を越しながら,いい歳して馬鹿な事は止めようと考えた。でも,西暦2000年,正月明け,そういう自身の弱気を自ら力づけるためもあって,近隣のバイクショップ数軒を訪ねて,いまどきのバイク事情を店員さんに伺った。1軒目,店長さん曰く,「バイクは感性の乗り物ですから,自分の好きなものを選べばいいのです。」2軒目,また親切な人で,さまざまな事を教えてくれる。返り咲き遅咲き中年ライダーの卵に向かって,おそらく自身より若い店員さんは,懇切丁寧にバイクを語る。自身の10代の頃の思い出を語ったら,Z2のショーモデル程度の出物をゲットできると,こちらの購買意欲を刺激する。そのところがやはり,プロだね。中年は,その誘惑にハマり,ノッテ見ることの面白さも,客体化できる。幾十の春秋を越えても,好きなものに変わりはない。故に,衝動注文,もうじきZ2がやってくる。愚かな中年は,少年時代の夢にほだされ,教習所通いを再度胸に誓う。

もうこの年齢になると,万一の場合,身体を少々傷つけても,頭さえ残ればなんとかなるじゃないか。最高級のヘルメットと,レーシングパッド入りの,鎧の如きツナギに身を包めば,命だけは維持できるだろう。最悪の場合を想定して,勝手なことをふと考えながら,リスクよりも,自身が自身に課すタスクに挑み,それを全うすることに意義を感じる。いや,そうでありたい。淡々とひたすら日々の努力を重ねたら,やがていつかは目的をゲットできることを,学位取得で確認した。今度は,若い頃の情念を,あの頃の情熱のほとばしりを,自身の内面で客体化したいのだ。そして,やはり今でも,自身に出来ないことなどないと,思いたい。命がけでも,想いたい。それから仕事の都合をつけることができた夜は,教習所に通った。

Z2

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S字クランク,一本橋,バランス感覚があまりにも衰えていることを何度も痛感し打ちひしがれる。高校時代,中型免許を取りに来たときは,バランス感覚には自身があった。一本橋から落ちるバランス感覚のなさなど信じられなかった。スキーでも,転び方と受身の巧さは友人達の賞賛を得たことがある。しかし今は,落ちる,落ちる。まっすぐに走れない。これだと反射神経もそれなりに衰えているに決まっている。

教官の教えによると,歳を取ると誰でも反射神経やバランス感覚も衰える。それを技術と知性でカバーするとの由。なるほど,教えを受け理詰めで考えると,どこに重心を置けば良いのか解ってくる。そして成功すると,一回でマスターすることが出来る。なるほどこれは若い頃とハッキリ違う。頭で理解でき,記憶できるのである,論理を。身体で実現できるのである,理論を。そうか,車でも操縦の仕方が解ったように感じていたのは,これであったか。若い頃に何度も練習して,身体が理解するまで解らなかったのは,これであったか。ここは認識と制御あるのみだ。理論認識と状況把握が肝要である。天空から自身を眺め,時々刻々変化する周囲の状況を完全に認識すること。そして,バイクを操縦している自身を外からの目で眺め,頭脳から指令を発し,肉体を制御すること。若い頃は運転する自分の視点から周りを見ることしか,できなかった。あわてると次の動作が遅れるから,落ち着いて,「たかが機械」を振りまわしてやるぞという意思を確固として持つ。このあたりだけは,若い頃の自分には負けないぞ。

練習を重ねると,やはり身体が記憶を取り戻すものである。昔のように自在に扱えるようになってくる。自転車で修得できるバランス感覚に加えて,速度によって急激に変化する状況に対する瞬間々々の認識力と,そして車体の重さを取りまわす体力が必要である。これは,れっきとしたハードなスポーツだ。やろうぜ。

だんだんと,ナナハンバイクを手なずけることができるようになる。思ったよりも上達は早かったみたい。教官に,19年乗ってない割には上手だとおだてられ,最初見たときはこれはどうかと思ったが,すぐに上手になる,などと誉められて,ますますやる気に燃えて,そして1月末,補習を1回くらったけれど,限定解除を得たのであった。それから春まで,夜帰宅してから,バイクに跨り,低速で練習を重ねた。準備運動も忘れずに。

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4月,春が来た。比叡山,山中越えワインディング。昔に比べるとずいぶん遅いスピードだが,それで良い。この齢になれば,16ビートは必要ない。レゲエなリズムで充分だ。コーナーが連続する。右30R,左20R。腰を落として膝を出す。視線はコーナーの出口に据えろ。エキゾーストノートが木霊して,ツインカムが山間に吼える。マシンを自身に同化しろ。コーナー直前減速,回転加速。傾きに入るとともにスロットルを開けろ。タイヤの接地を五感で感じ,Z2の200キロ超の車体を振り回す。Y2K,もうすぐ21世紀がやってくる,齢に負けてたまるもんか。自身はマシンを操り疾風になれ。右へ,左へ,山を登る。曲がり坂を登り巡りながら,風の中に新緑の息吹を瞬間垣間見る。直列4気筒の咆哮は,コブシが利いてまるで邦楽のようだ。排気音は後方に吹かれ流れ去り,桜の色を肺に充満する。花は桜木,男カワサキ,峠の頂を目指せ。全身にアドレナリンが増幅し,意気高揚して風となる。あの蒼春の輝煌を再度体感し,忘失していた音楽が蘇る。そうだ,10代のあの時,自身は無限の明日に誘われて,漂泊の想い止まず,悪友どもと一緒に山中を巡り,海を,目指した。

浪々と春雪舞うか峠道
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  • 京都コンピュータ学院教員

上記の肩書・経歴等はアキューム19号発刊当時のものです。