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Accumu Vol.3

ほほえみのくに

湯下 秀樹

機上から見る夜のバンコックはエメラルドグリーンに輝いていた午後9時過ぎドンムアン空港に到着したこの空港は日本の狭くて混雑した空港と比べるとはるかに立派で広大な空港施設は清潔でよく冷房が効いている

空港の建物を一歩表に出るともわっとした熱気につつまれ知らぬ間に汗でじとじとする熱帯モンスーン気候のバンコックは雨季の最中だった

私たちを乗せた旧式のバンは空港から続く直線の道路を100キロ以上の速度でバンコック市内に向けて走った車体が小刻みに震えるほどの速度に肝を冷やしていると隣の車線を廃車寸前にみえるトラックが軽々と追い越して行くその荷台を見ると56人の男が強風をまともに受けながらしがみついている片側四車線の道路をどの車もあらん限りの速度で市内を目指して突き進んでいく

バンコックは1782年現ラッタナコーシン王朝の祖チャクリがラーマ一世として即位し都を置いたことに始まる正式名称はクルンテープ(天使の都)と言う

バンコックは朝から強い日差しだった日光が降ってくる広い空の下に不揃いな家並が延々と続いているそういった雑多な建物の間からすらりと背を伸ばした熱帯の樹木がゆったりとした葉を広げている年間平均気温が30度にも及ぶタイでは人々は木陰の涼しさを求める

アパートの屋上では女性たちが洗濯物を乾しているタイの女性は働き者だという定説があり社会の様々な分野への進出もめざましいもともとタイは男女平等の伝統文化を有していて男女間にあまり明確な分業が見られないこういった社会の特質をアメリカの文化人類学者ジョンエンブリーは「ゆるやかな構造の社会」と呼んだ

現在バンコックは近代都市への脱皮を図ろうとしている最新設備の空港高速道路市内の至る所に高層ビルが建設されかつて市中に張り巡らされていた水路は埋められ代わりに道路が造られた繁華街では日本でも馴染みのコンビニエンスストアやファーストフードの店を見かける

その一方で近代化の弊害も顕著であるひとつにはスラム化の進行クロントイ地区に行くと真新しい高速道路のすぐ傍にトタンや古板を重ねただけのバラックの群れが続いているただそこで遊ぶ子供たちの様子には暗さがなくそばで立ち話をする大人たちにも笑いが見えるこのスラム街からは表面上あまり貧しさが感じられないむしろ他の地区に比べてもっと強烈な生活感が漲っているという感じさえするこういった印象を受けるのも「貧困はあるが飢餓はない」と言われる南国の食物が豊富で廉価な気候風土のせいかもしれない

弊害の二つ目として挙げられるのがいわゆる交通戦争であるバンコックの道路事情は最悪でいつも自動車やバイクで溢れ市の中心までの10キロメートルほどの道程に1時間半かかるほどの交通渋滞が普通である渋滞に加えて交通事故による死亡者数も年々増加する一方で社会問題になっている

代替の交通機関の整備が望まれるところだが河口デルタの柔らかい地盤が災いして地下鉄の開発も不可能とのことである

様々な問題を抱えながらも古いものと新しいものが混在する過渡期のバンコックには他では見られない活気がある

タイ

プラトゥーナムにはバンコックの台所と呼ばれる市場がある道には屋台が立ち並び色々な匂いをさせている果物屋の店先は緑や赤の原色の洪水でマンゴーパパイヤマンゴスチンといった南国の果物が所狭しと並べられている剌の生えたラグビーボールのような果物がある果物の王様ドリアンだ鼻につんとくる強い臭いの果肉は口に含むとまったりとして珍味である魚屋も日本では見られない魚を店先に並べている鱗のきめの粗い40から50センチほどもある魚はチャオプラヤ川で獲れたものだ

チャオプラヤ川(メナム)は全長650キロにも及ぶゆるやかな流れの大河で褐色の水を湛えバンコックを撫でるようにして流れているほとりには世界一と名高いオリエンタルホテルがあるこのホテルはモームスタインベック三島由紀夫が宿泊したことでも有名でテラスから眺める夕陽を背景にしたチャオプラヤ川が美しい対岸はトンブリという街でかつて都があったここには暁の寺と呼ばれる寺院がある三島由紀夫の小説の題名にもなった寺院でバンコックから船で渡ると天を剌すような石の塔が見えてくる三島はこの塔を次のように表現している

「塔の重層感重複感は息苦しいほどであった色彩と光輝に充ちた高さが幾重にも刻まれて頂に向って細まるさまは幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである」三島由紀夫(暁の寺)

バンコックを歩いていて驚くことがある日本の企業の看板がやたらに多いことだ日本の有名デパートもある覗いてみると商品はもちろん陳列方法店員の物腰までが日本とそっくりで日本にいる錯覚に陥りそうになる自動車の7から8割までが日本車で「経済侵略」という言葉の意味が痛感される

1970年代タイでは日本製品不買運動が起こり反日感情が高まったそういった運動の中心は学生たちだったいつの時代も学生たちは歴史のある側面を担ってきたと言えるかもしれない現在の学生たちの学ぶ環境を見るためにチュラロンコン大学を訪れたバンコック王朝最高の名君と言われるラーマ5世の名を冠するこの大学はバンコックの中心郡に広大な敷地を有している瀟洒な校舎の建ち並ぶ緑の多いキャンパスはひっそりしていて芝生の上で読書にはげむ学生の姿が見られたここだけはバンコックの喧噪とは無関係であるかのように静寂に包まれている本を手にして歩く学生たちの顔はこの国の未来を担う者としての自信に満ちていた

19世紀近隣諸国が植民地化されて行くなかでタイが独立を守り抜けた原因のひとつは王室を中心とした伝統文化を確固として保持したことにあるしかもその伝統文化のみに固執するのではなく異文化に対しては寛容で状況に応じて柔軟にそれを取り入れたことにある自国文化を保持する「剛」の側面と応変性に満ちた「柔」の側面を備えているタイ社会の特質を社会学者赤木攻氏は「剛柔社会」と呼んでいる

日本を始めとする海外資本の流入が激しい現在でもタイ人は自国のアイデンティティを見失うことなく自国の伝統文化を誇りとしている特に人々は王室を敬愛して止まない食料品や日用雑貨の溢れる市場の雑踏のなかに王室の方々の肖像画を売る店がさりげなくあるこの国ならではの光景と言えるだろう

「マイペンライ」という言葉をしばしば耳にする日常生活の様々な場面で用いられるこの言葉にうまい訳語は見あたらないが何か事があった時タイ人はくよくよせず楽天的に乗り切ろうとしてこの言葉を使うタイは楽天的で陽気な国民性を有すると言われる実際街で出会う人々の表情は明るいタイ人は「サバーイ」(快適)であることに価値を置く日本人のように綿密なスケジュールに縛られた生き方は「自由」を意味する「タイ」の人々には理解しがたいことかもしれない

バンコックに来てから人なつっこい微笑みをよく見かけたホテルでは従業員が会釈よりも先に微笑みで迎えてくれた露店でクレープに似たものを焼いているのが珍しくて眺めていると店の逞しそうなおばさんがはにかんで微笑んでくれたいずれもつくりものでない自然に生まれた微笑みであった

タイ

タイは仏教国である修行僧の自力による解脱の成就に重点を置く小乗仏教の国であるオレンジ色の袈裟に身を包んだ僧侶の姿をよく見かける街角を歩む僧侶たちのみは威厳に満ちた顔つきでめったに笑わないタイ人はかっとなる熱いこころ(ジャイローン)を軽蔑し冷静なこころ(ジャイジェン)を美徳とする僧侶の表情はその美徳を体現しているように思える

タイ

酷暑のなかワットポーを訪れたこの寺院は全長50メートル余りの巨大な仏陀の寝像があることで有名である仏塔が林立する境内は熱でゆらゆらして眩い涼しげな菩提樹の木陰をぬけて仏殿に入ると薄暗い中にその黄金に輝く涅槃像はあったゆったりと横たわった顔はおだやかだった涅槃像の背後は回廊となっており金属の壷が並んでいるそこに信者が一枚ずつ銅貨を入れていくそのため銅貨の澄んだ音が間断なく響き合い涅槃像の後ろから音楽のように聞こえてくる

ワットプラケオ(エメラルド寺院)は最も格式の高い王立寺院で1784年以来の建築様式をとどめている門をくぐると黄金色にそびえ立つ仏塔が目に入る回廊の壁には鎧で身を固めた猿の怪物の壁画が描かれている猿神ハヌーマンだインドの叙事詩「ラーマーヤナ」に出て来る怪物であるタイではインド的文化の影響が強い民族舞踊も「ラーマーヤナ」から題材を採っている

タイ

エメラルド寺院はきらびやかで繊細なアラベスクが全面に細工されていて見る者の目を奪うオレンジそして黄金強い日差しを浴びてさらに強烈なまぶしさを帯びたそれらの色彩に囲まれていると異次元に迷いこんだような気がしてくる

本堂にはエメラルド色の石の仏像があるそしてその顔は笑っているやわらかい微笑みだ神々しいと言うよりはむしろ人間臭さを感じさせるそれはバンコックの街角で見かけた人々の微笑みと寸分違わぬものに思えた

非日常的な異次元に迷い込んでその奥で出会った日常的な微笑みそれを見ているとほっとした気分になれる

タイの人々が見せてくれた微笑みははにかみを含んだ内気な微笑みだったしかし単なる照れ笑いとは違うその微笑みの内気さは友愛と寛容に満ち溢れていた

それはまたつくりものでない自然な微笑みであったしかし単なる素朴な感情の発露とは違うそれは自然に見えるまで洗練された文化的な表現である

その微笑みの魅力を語ることは難しいただひとつ言えるのはこのエレガントな微笑は見る者をなぜか幸せな気持ちにさせてくれるということだ

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湯下 秀樹
Hideki Yushita
  • 京都コンピュータ学院教員
  • 早稲田大学法学部卒業
  • 同志社大学大学院法学研究科博士課程前期課程修了
  • 修士(法学)
  • 2004年に京都市文化芸術振興条例策定協議会委員を務める
  • 著書「インターネット検索能力検定試験教本」(共著)

上記の肩書経歴等はアキューム16号発刊当時のものです