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Accumu Vol.18

寄贈パソコンが開く世界への扉 パプアニューギニア

京都コンピュータ学院 西村 祐二郎

寄贈パソコンが開く世界への扉 パプアニューギニア
パソコンの寄贈を伝える京都新聞(2009年5月27日付)
パソコンの寄贈を伝える京都新聞(2009年5月27日付)
パソコンの出発風景(洛北校の学生と)
パソコンの出発風景(洛北校の学生と)

2009年,京都コンピュータ学院(KCG)は,海外コンピュータ教育支援活動(IDCE)の一環として,本学院で使用した53台のパソコンを,日本から南へ約4600キロ離れたパプアニューギニアのゴロカ大学に寄贈しました。今回のパプアニューギニアへの支援で,KCGのIDCEの対象国は22ヵ国目となりました。

2009年2月,教職員と学生ボランティアによって行われてきたパソコン寄贈のための準備作業(フォーマット,清掃,梱包,輸送関連の諸手続き)を終え,53台のパソコンは京都を出発しました。そして,5月にようやく寄贈先であるパプアニューギニアの高地にあるゴロカ大学に到着したのです。

パソコン寄贈に至る経緯

マイケル・ソマレ首相と筆者
マイケル・ソマレ首相と筆者

今回の寄贈先のゴロカ大学では,ICTマネージャーとして,日本人の原田武彦さんが働いています。原田さんは,青年海外協力隊員として1997年から2年間,ゴロカ大学でコンピュータ技術を教え,帰国後も現地と日本を行き来していました。その後,パプアニューギニアの女性と結婚して,2007年から再び個人で契約しゴロカ大学に勤務しています。今回のパソコン寄贈は,私(青年海外協力隊員日本語教師として1998年から2年5ヵ月,同国で活動)が,原田さんが勤めるゴロカ大学のパソコン不足を知ったことがきっかけでした。2008年6月8日に読売テレビで放送された山口智充さんの「グッと!地球便」でゴロカ大学の原田さんが取材を受け,番組内でゴロカ大学の様子やパソコン不足が放送されました。この番組の編集の際,取材内で通訳しきれなかった現地語(ピジン英語)の通訳として私が呼ばれたことがKCGとゴロカ大学の橋渡しをすることになったのです。

2009年5月19日,太平洋・島サミット(第5回日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議,5月22日~23日)の参加のため来日したパプアニューギアのマイケル・ソマレ首相にお会いし,今回のパソコン寄贈の報告を行いました。また,前年の2008年11月1日に開催されたKCG創立45周年記念式典および記念祝賀会には,駐日パプアニューギニア大使館よりマシュー・ドレウェイ一等書記官にご参列いただき,ご挨拶を頂戴しました。

寄贈パソコンの引き取り式

準備中のKCG Hasegawa Labと寄贈されたコンピュータ
準備中のKCG Hasegawa Labと寄贈されたコンピュータ

2009年9月22日,ゴロカ大学で寄贈パソコンの引き取り式が行われ,私が出席することになりました。ちょうど,ゴロカ大学では,National Education Conferenceという教育関係の会議が開催中で,その合間を縫ってメインホールでKCGの海外コンピュータ教育支援活動が紹介されました。その際,長谷川靖子学院長のスピーチを代読し,多くのパプアニューギニアの教育関係者の方から温かい拍手と感謝の言葉をいただきました。ゴロカ大学では今回の寄贈を喜び,新しく設ける大学院生向けのコンピュータ室の名前を,京都コンピュータ学院(Kyoto Computer Gakuin)の頭文字とIDCEの創設者である長谷川靖子学院長および長谷川由さんの名をとり,『KCG Hasegawa Lab』と命名していただけるとのことになりました。

パソコン不足に悩むゴロカ大学

パソコンを使って課題作成中の学生
パソコンを使って課題作成中の学生
廊下でパソコンの順番待ちをする学生たち
廊下でパソコンの順番待ちをする学生たち

KCGから贈られたパソコンが置かれている教室は,学生たちでごった返していました。パプアニューギニアの大学でも,現在では講義の提出課題の作成はパソコンで行います。1回2時間の完全入れ替え制で,入れ替え時間前には,順番を待つ学生が廊下にまで溢れていました。

世界中に急速に広がる情報化の流れの中で,発展途上国の情報化の遅れはデジタルデバイド(情報格差)と呼ばれ,大きな問題となっています。ゴロカ大学でも,約1900人の学生に対して,大学所有のパソコンは約300台,学生が自由に使用できるパソコンとなると約100台(学生19人で1台)しかありませんでした。今回の寄贈で学生13人に対して1台となり,学生の学習環境も改善されました。しかし,まだ十分な台数とは言えないのも事実で,ゴロカ大学では2010年にはパソコン1台に付き学生6人以内という数字を目標にしています。

ゴロカコーヒーのプレゼント

ゴロカコーヒー(ブルーマウンテン)
ゴロカコーヒー(ブルーマウンテン)
京都駅前校でコーヒーが振る舞われたときの様子
京都駅前校でコーヒーが振る舞われたときの様子

今回,寄贈パソコンの受け取り式で,ゴロカ大学からゴロカ名産のブルーマウンテンコーヒーが贈られました。ゴロカは標高約1500メートルの高地にあり,コーヒーの産地です。町から少し離れると,すぐにコーヒー畑が広がるのを目にすることができます。また,パプアニューギニアは全体的に高温多湿な熱帯雨林気候なのですが,4000メートル級の山もある高地は朝晩に気温が一桁まで下がることもあり,この寒暖差と清涼な空気,十分な降水量,豊かな土壌が良質のコーヒーを栽培するのに適しているのです。

そして2009年10月9日,そのゴロカ産のコーヒー(ブルーマウンテン)がKCG京都駅前校で学生や教職員に振る舞われました。駐日パプアニューギニア大使館からもゴロカ産のコーヒーが贈られ,合わせて3000グラム・約300杯分となりました。当日,コーヒーを配布した京都駅前校のエントランスホールには,コーヒーの香りが漂うなか,コーヒーを待つ学生と教職員の列が2階へと続く階段の上にまで達する盛況ぶりでした。学生と教職員は遠く離れた南の島でKCGから贈られたコンピュータを喜ぶパプアニューギニアの学生たちを思い,香り高いコーヒーに舌鼓を打ちました。

世界中にワントークを作ろう

ゴロカ近郊の川で魚を採って遊ぶ子供たち
ゴロカ近郊の川で魚を採って遊ぶ子供たち
ムームー(蒸し焼き料理)調理中
ムームー(蒸し焼き料理)調理中
パプアニューギニア国旗のシャツを着た学生
パプアニューギニア国旗のシャツを着た学生
会議参加者歓迎のダンスを踊る学生たち
会議参加者歓迎のダンスを踊る学生たち
民族衣装を身につけてパソコンを操作する学生
民族衣装を身につけてパソコンを操作する学生
図書館の前にいた女子学生たち
図書館の前にいた女子学生たち
民族衣装で歓迎してくれたフリ族のおじさん
民族衣装で歓迎してくれたフリ族のおじさん

私は1998年7月から2000年末までの2年5ヵ月の間,青年海外協力隊の日本語教師としてパプアニューギニアの高校で日本語教師をしていましたが,今回,ゴロカ大学で行われた寄贈パソコンの引き取り式に合わせて,9年ぶりにパプアニューギニアの土を踏むことができました。

毎週土曜日の午後9時に成田空港を出発する直行便は,6時間半後の早朝4時半(時差は+1時間)には,首都ポートモレスビーに到着します。今回,早朝のポートモレスビー・ジャクソン空港で出迎えてくれたのが,現地の旅行会社に勤めるポールくんでした。ポールくんは神戸に2年間住んだことがある私の友人で,日本語の会話も堪能です。

目的地であるゴロカには,ポートモレスビーからさらに国内線の飛行機で1時間ほどかかります。パプアニューギニアは厳しい気候でジャングルや山が多いため,未だ多くの主要都市は道路で結ばれていないのです。ポールくんは,他の日本人観光客の対応を終え,国内線の乗換口まで一緒に来てくれました。

ここで早々にアクシデントに見舞われました。今回,ゴロカまでニューギニア航空の50人乗りの飛行機に乗る予定でしたが,なんと当日その50人乗りの飛行機の故障により,ひと回り小さな36人乗りの飛行機に変更になってしまったのです。もちろん,搭乗予定だった乗客から14人が溢れることになります。そして運が悪いことに私は搭乗口で係の人にストップをかけられたのです。その運の悪い14人の中に入れられてしまいそうになったときに助けてくれたのがポールくんでした。空港職員と顔見知りのポールくんの交渉の末,36人目の搭乗者としてなんとか予定の飛行機に乗ることができたのでした。

パプアニューギニアにはワントーク(WANTOK)システムというものがあります。ワントークというのは,英語のONE TALKのこと。言語が800以上あると言われているパプアニューギニアにおいて,同じ言語を話す仲間の意味です。これは同じ言葉を話す仲間,家族,村人,部族,ひいては仲間を意味します。今回,ワントークであるポールくんに助けられたわけです。このように,ワントークの結びつきで相互に助け合いながら(悪い意味ではもたれ合いながら)生きるのがパプアニューギニアの生き方なのです。

ワントークシステムからも分かるように,人と人との繋がりが強いパプアニューギニアの社会にも,近年,情報化の波は押し寄せています。今では9年前にはなかった携帯電話が多くの人や地域に普及しています。そして9年前にはほんのわずかな人しか触ることがなかったパソコンも,少しずつですが普及してきています。通信環境は悪いものの,インターネットも普及しつつあり,私の元教え子(日本語を習っていた元学生)の一部ともメールやFacebookでやり取りできる時代になりました。しかし,インターネットの恩恵を享受できる人は限られた人たちです。2008年のITUの統計によると日本のインターネット普及率が56.88%であるのに対し,パプアニューギニアは1.82%でしかありません。都市部を離れた多くの地域(村)では,今でも電気や水道もない生活は当たり前で,農業,漁業,狩猟を生活の基盤としている人々がほとんどです。そうした状況の中で,少しでも多くの人に,しかも平等にパソコンを,そしてインターネットを使用する機会を与えることができるのは,現在のパプアニューギニアでは教育の場をおいて他にはありません。

今回の寄贈先であるゴロカ大学は,教育学部,人文学部そして理学部の3つの学部で構成される総合大学です。そして,パプアニューギニアの教員養成の拠点として位置づけられています。ここで学んだ学生たちの多くは,全国で教員として活躍することになります。したがって,ゴロカ大学での教育や身につけたコンピュータに関する知識は,全国の小中高校へと波及していくことになるのです。

コンピュータ,そしてインターネットの世界的な普及は,時間,場所を問わず,世界中の人々が相互にコミュニケーションすることを可能にしました。京都コンピュータ学院の海外コンピュータ教育支援活動(IDCE)は,パプアニューギニアのみならず発展途上国の多くの人々を,コンピュータ,そしてインターネットを通して世界への扉に導いています。

今回のゴロカ大学へのパソコン寄贈が,パプアニューギニアの人々が日本をはじめ,世界中にワントーク(仲間)を作るきっかけになることを期待しています。


IDCE
(International Development of Computer Education:海外コンピュータ教育支援活動)

1989年にKCGが開始した発展途上国のコンピュータ教育支援を行うプロジェクト。学院の中古パソコンを途上国に寄贈し,これを利用して,途上国のコンピュータ・リテラシー教育の開発・浸透を現地教育省・科学技術省等との協力において図ろうとするボランタリー活動。パソコンの寄贈に合わせ,研修生の受け入れ,専門家の派遣などを続けている。現在まで寄贈パソコン台数は3000台以上に上る。支援対象国はタイ,ガーナ,ポーランド,ケニア,ジンバブエ,ペルー,スリランカ,中国,ブルネイ,マラウイ,ナイジェリア,モンゴル,キルギス,ボスニア・ヘルツェゴビナ,エリトリア,タンザニア,ウガンダ,モザンビーク,サウジアラビア,メキシコ,ミャンマーに,今回のパプアニューギニアを加え,合わせて22ヵ国に及ぶ。

2006年には,これらの活動が評価され,国連の専門機関の一つである財団法人日本ITU(国際電気通信連合)協会よりKCGの長谷川靖子学院長が「国際協力特別賞」を受賞した。パソコンを寄贈する際には,KCG の学生たちも清掃・梱包などのボランティアに参加し,国際協力の一翼を担っている。

パプアニューギニア独立国

日本から南へ約4600km,成田空港から直行便で約6 時間30分,赤道のすぐ南にある。世界で2番目に大きな島であるニューギニア島の東半分をはじめとする600の島々からなり,南太平洋最後の楽園といわれる。透き通る海や4000m級の山々,そして生い茂るジャングル。そして長い歴史の中で受け継がれた伝統の文化が息づいている。面積は日本の約1.25倍。人口約600万人。公用語は英語,共通語がピジン英語,ヒリモツ語であるが,言語の数は800以上あるといわれている。首都はポートモレスビー。1975年,オーストラリアから独立した。

太平洋戦争では,日本軍が1942年1月にニューブリテン島ラバウルに上陸,ニューブリテン,ニューアイルランド,ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し,首都ポートモレスビー攻略を狙ったが,飢えとマラリアのために多くの死者を出して撤退。その後,制海権,制空権を失い補給を絶たれたニューギニアの日本軍は,「ジャワの極楽,ビルマの地獄,死んでも帰れぬニューギニア」と謡われ,日本軍だけでも13万人以上の死者を出す凄惨な戦場となった。

この著者の他の記事を読む
西村 祐二郎
Yujiro Nishimura
  • 東京農業大学卒
  • 青年海外協力隊日本語教師(パプアニューギニア国立ソゲリ高校)を経て京都コンピュータ学院教員
  • 鴨川校教頭
  • 京都情報大学院大学 助教

上記の肩書・経歴等はアキューム24号発刊当時のものです。