Accumu 京都情報大学院大学初代学長 萩原 宏先生が永眠 学校葬・追悼式を挙行

萩原先生の思い出

立命館大学情報理工学部教授 小柳 滋

私は1971年に京都大学工学部数理工学科の萩原研究室に配属されて以来,1977年に博士課程を卒業するまで6年間萩原先生にご指導いただきました。萩原研への配属を希望した理由は,萩原先生の論理回路の授業に興味をもち,コンピュータの研究に携わりたいと思ったからです。萩原先生との関係は卒業してからも続き,私の結婚式の仲人をお願いしたり,実家が近所なので正月にはご挨拶にお伺いしたりと,公私ともども非常にお世話になりました。いろいろな思い出がありますが,研究に関する先生の思い出をいくつかご紹介しようと思います。

私の卒業論文のテーマは,先生との面談で決めました。同期の学生は皆ソフトウェア系のテーマを希望しましたが,私がハードウェア系を希望したところ,「それではマイクロプログラミングにしなさい。論文を3つ渡すから,これらを読んでまとめて,プラスアルファを考えなさい」というご指示でした。当時はマイクロプログラミングが注目されており,その場で最新の英語論文を3ついただき,渡邉勝正先生や先輩に教えてもらいながら,必死に理解しようと努めました。3つとも,マイクロプログラミング方式の新しい計算機のアーキテクチャの論文でしたが,プラスアルファをどうやって出そうかと考えました。他にアイデアもないので,自分なりのペーパーマシンを勝手に想定して,マイクロプログラムを書いてみました。萩原先生はこの分野の第一人者であり,このテーマをいただいたことは,その後の私の研究者人生の方向を決めたきっかけでもあり,非常に光栄だったと思います。

修士論文のテーマは,マイクロプログラミングによる初等関数近似です。このときは,「FFTというアルゴリズムがあり,100倍速いらしい。FFTでは三角関数を使うから,マイクロプログラミングで三角関数を高速化すればおもしろい」という理由でした。当時,情報工学教室にマイクロプログラミング可能なHITAC 8350という計算機が導入され,この上でマイクロプログラムの実験を行う環境が備わったので,これを利用するテーマとして考えていただいたのだと思います。このテーマは最初の1年間は何もアイデアが浮かびませんでしたが,幸いにもCORDICという新しいアルゴリズムの論文が発表されたのを教えていただき,まずこれをHITAC 8350のマイクロプログラムで実装することから始めました。そこからいろんな発展があり,修士論文としてまとめることができました。

博士論文のテーマは低レベル並列処理コンピュータQA-1の開発でした。私が博士課程に進学したときに大型の科研費が当たり,研究室で計算機を作ろうという計画が始まり,当時は助手の富田先生,M1の柴山先生と私の3名でスタートしました。この研究の構想を練っている頃,萩原先生に呼び出され,「この研究は図形処理コンピュータという名目だよ。図形のx座標とy座標は並列に計算できる。だから,ALUを2個備えたマイクロプログラム制御のコンピュータにしなさい」というアドバイスをいただきました。私は,「3次元図形もあるのでALUは3個必要ですよ」というと,先生は,「そうか。ではきりのよい4個にしよう」とおっしゃいました。QA-1の基本構想は,この先生との会話で決まりました。

研究に関して,萩原先生のお言葉で印象に残っているものが2つあります。1つ目は,「論文は紙くずだ。尻も拭けない」です。萩原先生のモットーはものづくりであり,ものを作らずに論文を書くことに対する戒めだと思います。そういえば,博士課程を卒業するまで,萩原先生に論文を書けと言われたことは一度もありませんでした。最初に書いた査読論文は,博士課程の卒業間近の3月でした。また,私の就職についてご相談したときも,「電総研や通研はものづくりを外注して論文ばっかり書いている。メーカに就職して,ものづくりをやりなさい」とおっしゃいました。

2つ目は,「並列処理は役に立たん。役に立つのは,図形のx座標,y座標の計算だけだ」です。これは言い換えると,「役に立つのは特定分野の細粒度並列処理だけで,一般的な分野での並列処理は役に立たない」というニュアンスでしょうか。博士課程の頃は並列処理に興味を持ち,この先生の言葉を覆したいと思っていましたが,容易ではありませんでした。就職してから並列処理の研究を始めたときも並列処理の難しさに直面し,先生の言葉の重みを強く感じていました。並列処理が本当の意味で実用になったのはつい最近ではないかと思います。萩原先生に言わせれば,「いや,まだまだ甘いな。この程度なら役に立つとはいえない」のかもしれません。

以上のように,萩原先生には数々の場面で重みがあり,印象に残るアドバイスをいただきました。教育者として強い信念をお持ちで,信念に対しては非常に頑固でした。私も大学での教育に携わる者として,萩原先生に教えていただいた思い出を忘れず,先生の御遺志をついでいきたいと考えています。

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小柳 滋
Shigeru Oyanagi
  • 立命館大学情報理工学部教授

上記の肩書・経歴等はアキューム22・23号発刊当時のものです。