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Accumu Vol.20

北海道バイク紀行

北海道バイク紀行

旅に出ました

8月11日に北海道は札幌への出張が入っていた。ある会議なのだが,当初は前日に飛行機で行くつもりだった。

・・・・・・・・・・・・・???・・・・・・・考える・・・・
・・・・・・・・悩む・・・・・その後,,,,,「!」,,,思いつき,船の時刻を調べる。
そして,決断する・・・・

・・・と言う訳で,どうせ前後一日ずつを移動日にするならば,,,,移動するのは前日の10日だし,帰京するのは12日夕方以降になり,帰京したところで皆,翌日から盆休みになるわけで,,,,,会議前々日の夜に京都を発つと・・・嗚呼,舞鶴から船に乗ると20時間で・・・・
「北海道!」
,,,と,言うわけだ。

「旅に出ます。探さないでください」,というわけではなくて,今時,どこにいても携帯やらネットでなんでもできるわけなので,飛行機で出発する筈の日の前日,夜中に舞鶴を出るフェリーを予約し,乗った。
もちろん,一等の愛機,Z1100Rと共に,だ。

札幌で仕事を片付けたら,北海道を走ろう。
若いころからの夢だった,北海道のバイクツーリングだ。

其は,天の示す我が道の向き。
己が意図ではなく,己が望みでもない。
唯,天が我を導くが如く。
其は,神が教示する方向性。
己が意志でもなく,欲でもない。
唯,掻き立てられる仏の引導。

想い。
思い。
重く,のしかかる。

未来が己を牽引するばかり。
天は示し,神は教え仏は引っ張る。
従いて唯,走るのみ。
曇天の中に,唯一点輝く北極星。
北へ帰るのか,北へ行くのか。
何人か知らん,この渇望。

そうなのだよ,理由なんて,なにもない。ただ,いかなくてはならないような,そんな想いしかない。
理由も理屈もない。行かなくてはならない,ただそれだけだ。行きたいだけ。いかなくてはならないと思うだけ。ただそれだけで,行動に移せた時代があった。
10代の頃はそうだったのだが,今は,「そうではない年代」になった。
でも,「そうではない年代」でも,意志あれば,できるのだと信じて。


実は,舞鶴までの道中でバイクの調子がおかしくなった

どうせ翌日の朝から飛行機に乗って札幌に行くなら,その前の夜に舞鶴からフェリーに乗れば,同じことだと思い,京都を発った訳だが,実は,その道中でバイクの調子がおかしくなった。
高速道路上で,急にエンジンが吹けなくなった。アクセルをあおると回るから,燃料系の故障かと思った。
暑い夜で,エンジン温度も上がっていたので,電気系かとも思った。なんとかフェリー乗り場までたどり着いて,メカに電話して症状を伝えた。
以前に経験したのだが,イグニションコイルが中途半端にやられると,吹け上がりが悪くなり,ボソボソともたつくことがある。完全にコイルが飛んでしまわずに,熱でやられたときにそうなるのだ。どうもそんな気がしていた。
一方,燃料がキャブに行かなくなると,同じようになる。
ガソリンホースに噛ませてあるフィルターを見ると,真っ黒だった。タンクの中のゴミが,低回転で巡航していたこと(普段はレッドゾーンまで回しまくる)により,澱が全部下がってきて,キャブを詰まらせたようにも見えた。
船の出発の30分前まで悩みながら,これから京都に帰還するにしても,100kmはあるし,それで途中で止まってしまったら,明日の飛行機には乗れない可能性が高い。
小樽で一晩かけて修理したら良いか,と想いながらも,コイルが飛んでいたら,交換しないといけない。そうなったら,小樽にバイクを置いて,電車で札幌に行けばいい。
それで,乗船した。そして船の中から衛星電話で京都に電話し,相方にイグニションコイルを送ってもらうように手筈を付けた。さらに,別の相方には小樽のバイク屋さんを探してもらって,船の中から電話した。

小樽の北輪商会。電話したら,誠実な人柄とメカに詳しいことがすぐにわかった。「うちはいつも10時頃まで開けてますから」とのことで,小樽で下船して,ショップに向かった。メカニックの名前は原田さんという油冷カタナ乗りだった。常連客の斉藤さんという方もおられたので北海道ツーリングの話を聞きつつ,原田さんと修理に励んだ。腕の良いメカで,的確に作業される。斉藤さんに聞くところによると,北海道全域に顧客がいるという。
タンクを外して洗浄すると,ゴムの溶けたのが出てきた。コックを通って,フィルターを詰まらせていた。キャブも分解したが,キャブまでは至っておらず,綺麗なものだった。レーシングキャブでも,タンクが古い場合は,フィルターを付けておいた方が良い。プラグは,1番と4番がすこしカブリ気味だったから,コイルも壊れかけていると予測できた。
京都から送ってもらったコイルは,札幌に翌日到着する予定だ。夜中の12時半まで,小樽の北輪商会でできる限りのことはして,ホテルに入った。
翌日は,くすぶるエンジンを騙しだまし,小樽の街を一周してから,札幌に至り,仕事の会議に出て,その夜はすすきのの居酒屋で美味いビールと海産物をごちそうになった。

景色の雄大なこと,遠大なこと。

そして翌日,届いたイグニションコイルに交換すると,いつもの空冷カワサキ,Z1100Rのコスワースピストンの咆哮だ。よし,行くぞ!
そして,北を目指した。札幌を出て,歌志内の炭鉱の街を観て,富良野をかすめて,サロベツ原野を突っ走り,日本海側から稚内に至った。その景色の雄大なこと,遠大なこと。

俺の大空,俺の大地。

花の浮島,礼文島。

海抜ゼロメートルから高山植物だけの島,日本最北端の島,礼文島。朝一のフェリーで渡り,島を一巡して稚内に戻った。
その雄大なこと。
山の上から海に飛び込めそうな道。
潮風が強く,山の上も強風。
もっと高く,もっと広く。
バイク乗りは動体視力が速いので,あちこち巡りながら,一瞬で周囲を見回し,写真を撮影して,風と共に去りぬ。
曇天の隙間から陽光が差し込み,海が一部だけ光っている。
そして稚内に戻り,網走・根室を目指す。

稚内から根室まで雨。

稚内から南下し,網走を経て,根室まで。ずっと雨。
雨の中,対向車とすれ違う時に,その轍の水溜まりから,大量の水をかぶることになる。イッキに衣服や靴の隙間から,中へ水が浸み込む。今回は途中でゴム長を買って,登山用の靴ひもで脱げないように縛って,それで雨の中を走った。
衣類はぐしょ濡れだけれど,暑いくらいのシャツやパーカを着込み,合羽を着たら,立っているだけだと大汗をかく。走り出したら涼しくて,スピードに乗ると,もう,気分は最高!空冷カワサキのエンジンは,雨で水冷となって,やたら調子が良い。軽々と吹け上がり,回る。走り出したら雨なんて気にならない。走っているだけで幸せだ。
毎日,風速100km/hの風の中にいると,まるでその中に暮らしているかのように想えてくる。聞こえるのは風の音だけだ。見えるのは,広大な風景と空や海まで続く長い道。
誰もいないんだよ。ここも。宗谷岬から紋別に向かって海岸沿い。
網走から宇登呂へ。雲につながる道。
走りながら考えたことがある。

「もう若くないから」とか,「家族や仕事など,背負っているものが多いから」という言い訳と,「命を賭してすることをしない,あるいは躊躇する」ということの間には,実は微妙な乖離がある。バイクに乗ったり,遠出をしたり,若くなくてはできないように言われていることを実際にしてみると,何か,その乖離を感じるのである。
バイクを降りたことや乗らないこと,命がけで何かに挑まないこと,それらの理由に家族や仕事を持ち出すのは,実は正しくないのではないかと思う。家族や仕事を理由に,何もしないだけではないのか,とも思う。そして,自身はそうではなかったのか,と。
いきなり,独り,まるで気ままに旅立って日本最北端に至り,雨という危険な状態の中を根室目指して突っ走りながら,当たり前だが,絶対に事故を起こさないように,100%の確信を持って運転を続ける。集中力を持続できるようになったのはそこそこ齢を重ねてからだ。若い頃はすぐに眠くなっていたことでも,意志によって集中力を持続できるようになった。意志は年齢とともに強靭になる。
齢を重ねると,反射神経も動体視力も衰える。当たり前だ。しかし,その分,判断力や状況予測力も,上がっている。
その年季の入った判断力や予測力を用いて,若人とともに走り,時には置き去りにする。
雨や霧ならば,何度も雨や霧の中を走った経験がものをいうのは勿論だ。安全に,速く走る術を知るには,相応の歳月が必要だ。
「もう若くないからできない」のは,ただ単に,己の精神が若くないだけであって,さらには,家族や仕事を背負うことは,何の理由にもならない。
こういった走りをしないでいたとしても,若くないとできないことをしないでいても,日頃街にいて車で事故に巻き込まれかけたり,仕事の出張ということで飛行機や船に乗ったり,いつでも,危険はすぐ隣にある。
オートバイはもちろん危険な乗り物だけれど,それに乗りながら,危険に遭遇する確率を,乗らない人と同等にまで下げることは,意志や経験や判断力や技術によって,可能となるのではないか,と思う。

何のために,走っているのかだって?これからもっと生きていくためさ。

知床を越える

稚内から南下し,網走を経て,根室まで。ずっと雨だった訳だが,雨の中,誰もいない道を走ることの嬉しさ。
雲につながる道を走り抜け,宇登呂から知床峠を上って知床の山を見る。
雲に入る。霧の中,雲の中。
知床の野生の鹿の群れに会って。
羅臼から標津を走って僅か16km先の国後を眺める。
海に飛び込んでいく道を走って。
野付半島の道路の終点に至る。
道の両側が海。どちらも,海。海の中に道が伸びていく。
道程に残っていたハマナス。
嗚呼,我が命の旅の空…

根室から摩周湖へ。

雨が上がって。
根室の納沙布岬には,高い塔があって,北方領土を眺めることができる。国後島が遠くに見えて,歯舞諸島がすぐそこに見える。歯舞まではわずか16kmだそうだ。
その後訪れた霧多布岬の売店の親爺は,御年78歳だそうで,歯舞は水晶島の生まれだと言っていた。戦争中に霧多布に疎開していて,そのまま終戦を迎えたという。終戦のときに,役場から戸籍謄本をすべてリュックに入れて持ってきたという人がいたそうで,そのおかげで,北方領土のかつての国民は全員特定できるのだそうだ。
道路の脇に,「返せ!北方領土」というスローガンの看板が林立している。このあたりでは,北方領土問題は全く身近なことで,故郷に帰れない人たちの切実な問題だということがわかる。子供の頃や,中学や高校という多感な時代に終戦を迎え,そして,故郷に帰れなくなった人たちが,普通に生活している。実際に,ロシア領(旧ソビエト領)の島々を眺めると,すぐそこにある,すぐにいけるところに,行けないということの恐ろしさを知る。かつてベルリンが東西に分断されていたときに,その壁を間近に見て戦慄を覚えたことを思い出す。戦争はまだ人々の記憶に残る,この間の出来事であり,未解決の問題が多々残存しているのだ。

摩周湖へ

霧多布から厚岸,そして釧路を経て,弟子屈に至り,摩周湖を観た。
高校時代に自転車で北海道を走ったことがある。釧路から弟子屈まで,走った道は,当時はまだ舗装されていないところも多く,その光景が記憶に残っていたのだが,舗装され整備された道はかつての面影もなく,全くの新しい場所だった。そして,過去は記憶の中にしかなく,現在は現在でしかないことを思い知った。
弟子屈から北上して,摩周湖を目指して,高校生のとき走った道を,今回は北側から登った。高校生だったときに,自転車で駆け降りた直線道路を,今はオートバイで駆け上り,摩周湖を観る。
摩周湖はあのときのままで,霧の中に静かに輝いていた。
そのとき嗚呼,かつて走ったその道であることを掌握して,そこに自身がかつていたことを確信したのだ。
そして,高校生であった自身が喘ぎながら一所懸命走り登った道をイッキに下る。まるで時間を巻き戻しているような錯覚に陥り,もしかしたら,あの頃に戻れるのかもしれないと思ったりもした。駆け降りた道を駆け上り,ゆっくりと喘ぎながら登った道を駆け降りる間,そうだ,俺はこの道を上り,駆け降りたと。
何年も何年も前のこと,自身はここにいた。

襟裳岬から苫小牧に至る

京都を出てから,ずいぶんと走った。あと50kmほどで2000kmになる。毎日,朝から晩まで走っている。こんな楽しいことはない。一日中,風の中だ。遠大な光景を眺めつつ,風の声とエンジン音だけを聞きながら,風の中に暮らしている。
摩周湖から帯広への途中の山中で,またエンジンの調子がおかしくなった。ガソリンスタンドまでなんとか走り,修理した。メインハーネスのイグニションコイルの接続部分が,振動でちぎれていた。いつもと違う走りをすると,あちこちにガタが出てくる。なんせ30年近く前のハーネスだから,劣化していて当然だ。コイルといい,ハーネスといい,新しくしてからでかけるべきだった。
もうすぐ苫小牧。そしてフェリーで帰京する。都に帰る。

風の中に暮らした日々

盆休みを活用してのわずか数日間の旅であったが,毎日,三百数十キロを走り続け,トータルで2300kmに達した。
自由気ままな一人旅だが,自分との闘いであったともいえる。その意味では,「独り耐久レース」だった。誰とも勝敗を決するわけでもない。ただ,走ることに意義や意味を感じて。
しかし,故障の度には,本学フクダメカに電話して助言を得たり,BitoR&Dの美藤さん始めメカの方々から直接電話して頂いて,助言を多々いただいた。多くの助けてくださった「パドックの方々」はありがたかった。同僚も京都から,さまざまに応援をしてくれた。電話で話を聞いてもらうだけでも,そういうさなかにいる当人にとっては,ありがたいものだ。

風の声とエンジン音だけを聞きながら,風の中に暮らしていたのだが,いつも花に取り囲まれていたようにも思う。
人生には,ときどき,あたり一面に花の咲くようなときがあると思う。あるいは,花に囲まれて,その香に包まれるときがあると言うべきか。
この夏の北海道の旅で観た,花畑。赤い色は,サルビアで,紫はラベンダー。黄色はひまわり。最後の赤紫の花はハマナス。
花をみて,また,花をみる,という漢詩を,高校時代の国語の教科書で読んだ記憶がある。

尋胡隠君

渡水復渡水
看花還看花
春風江上路
不覚到君家

胡隠君を尋ぬ

水を渡り復た水を渡る
花を看 還た花を看る
春風江上の路
覚えず君の家に到る

作者は高啓(1336‐1374)

現代語訳
水を渡り,また,水を渡る
花を見て,また,花を見る
春の風に吹かれて,川辺の道
知らない間に君の家に着いた

雨の中を走り,花の香に包まれて,風の中に暮らしていた。自身はこの旅で,どこ に辿り着いたのだろう。なにかが終わり,なにかが始まった気だけはしている。

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Kyouichi Watari
  • 京都コンピュータ学院教員

上記の肩書・経歴等はアキューム19号発刊当時のものです。